第16話 二人の秘密

 豊崎とキスをしてから数分後、俺は身体からかなりの生気を奪われたためか動けなくなり、部屋の中心で大の字になりながら呆然と天井を見つめていた。


「ご、ごめんなさい神崎くん! 私が上手く制御をできないからこんな事に……」


 涙目ではあるものの、俺の身体を揺さぶる豊崎の表情はどこか艶々としており、今までの空腹が全て満たされたような様子だった。


 しばらくして、ようやく身体を動かせるようになった俺はゆっくり上半身を起こすと、潤んだ瞳で鼻を啜る豊崎の頭を優しく撫でた。


「いや、安心しろ豊崎。俺ならもう大丈夫だ」


「グスッ……本当、ですか?」


「あぁ。確かに、さっきまでは動くこともままならなかったが、俺の回復力は野生動物以上だと医者に言われたことがある。そのおかげか、もう普通に立つこともできるぞ?」


 誇張するわけでも見栄を張るわけでもなく、俺の体力はすでに完全回復をしていた。

 なんなら、今から四十キロのマラソンをしても問題ないだろう。


「流石は神崎くんです。あ、でも、さっきはいきなりあんな事をしてその……本当にごめんなさい!」


 豊崎がペコリと頭を下げると、一つに束ねた三つ編みの髪がピョンと跳ね上がる。

 あんな事と言われた瞬間、俺は先ほどの豊崎とキスをした場面を思い出して、ひとり顔を赤くしていた。


「ずっと空腹を我慢してきたのですが、神崎くんから告白の返事をもらえた瞬間から私の気持ちとキス衝動が抑えきれなくなってしまって、あんな強引にキスをしてしまいました……これからは気を付けますね」


「なるほど。それであんな破廉恥……ゲフンッ! 情熱的なキスを俺にしてきたというわけか。まあ気にするな、俺もいい経験になったぞ」


 あの時の豊崎はとても魅力的というか官能的であり、破廉恥かつ大胆だった。

 そういう経験のない俺にはかなりの刺激だったが、それが豊崎ならば文句を言う必要などない。むしろ、大歓迎と言っても過言ではないだろう。


「あ、でも! 誤解をされたくないから説明しますけど、私は本当に神崎くんとキスをしたかったんですよ? そこは間違えないで欲しいです!」


 両手を胸の前で握り、キラキラとした瞳で俺を見つめてくる豊崎。


 なんというか、あのキスが空腹を満たすためだけに行われた行為だとしても俺は一向に構わないのだが、豊崎はそこを誤解をされたくないのか必死な様子で詰め寄ってくる。

 そんな彼女を前にして、俺もまた必死に視線を泳がせていた。


「お、落ち着け豊崎! とにかくアレだ、もう少し離れてくれないか!?」


「それはなぜですか? ひょっとして、神崎くんは私の言うことが信用できないんですか!」


 ……そうではない、そうではないのだ!


 現在の豊崎は下着姿であるから、俺としても目のやり場に困るのだが、当人はまったく気にしていない様子だから困りものだ。

 これも淫魔に転生してしまった影響なのだろうか。

 豊崎よ、頼むからなにか上着を羽織ってくれ!


「神崎くん、私は本当に神崎くんの事が好きでキスをしたんですよ? ですから、お腹が空き過ぎてキスをしたわけじゃありませんからね? 勘違いはしないでくださいね!」


「あ、あぁ……それは理解した。まあ、俺としては別に空腹を満たすために行われたキスだとしても、お前を軽蔑するようなことはせんぞ?」


「そうは言われても、これは私にとって大切なことなんです! だって……」


 と、口にしてから俯きがちになると、豊崎が頬を赤らめて自身の唇に人差し指を当てて、綺麗な瞳を潤ませた。


「は、初めて好きになった人とのはとても大事なことですし、それにその相手が……神崎くんで本当に嬉しかったんです」


「……っ」


 ……正直、俺は全身が炎に包まれたと思えるほど熱くなった。

 ぬおおおおおおおっ!? 豊崎ぃ! お前はどうしてそんなに可愛いのだ!


 豊崎は照れくさそうにモジモジすると、お尻から生えた悪魔の尻尾の先端を両手で掴み、再びムニムニと弄りだした。


「神崎くんと恋人同士になれて本当に幸せです。あの、神崎くん……これからは私のことを下の名前で呼んでくれませんか?」


「下の名前で、か?」


「はい! だって、恋人同士なのに苗字で呼び合うのはなにか違うじゃないですか?」


「そうなのか? 俺はそれでも構わないと思っていたのだが」


「それはダメですよ神崎くん! なんと言いますか、お互いに苗字で呼び合っているという感覚はまだ二人の間に距離感があるというか、友達同士のままなような気がして、なんていうかちょっと嫌です……」


 少し拗ねたような顔をすると、豊崎がお尻から生えた自分の尻尾の先端を両手持ちして甘噛みする。


 確かに彼女が言う通り、苗字で呼び合うのは友人関係であるという印象の方が強いかもしれない。

 それなら今の俺と豊崎は恋人同士になったわけなのだから、下の名前で呼び合う方が恋人同士としてごく自然なのかもしれん。

 ならば、そうすることに越したことはないだろう。


「わかった。では、これから俺は豊崎のことを『詩音』と呼ぼう!」


「では、私は神崎くんのことを『ハガネくん』とお呼びしますね!」


 屈託のない笑顔を浮かべる豊崎に俺の心が高鳴った。


 俺のような武骨でデリカシーのない男に、こんなにも可愛い彼女ができるなんて誰もが信じられないことだろう。

 それは俺自身が一番強く思っていることだ。

 だが、それと同時に俺は彼女の笑顔を守るため、今まで以上に肉体も精神も鍛え上げ、精進する必要があると感じた。


 どんな脅威からも豊崎を守りたい……。

 そんな想いが自然と胸の内側から込み上げてくるこの感覚こそが、彼女に対する『愛』というものなのだろうか。


「……豊崎」


「はい?」


「俺はこれから、お前を守るためにさらに強くなろうと思う。こんな俺だが、これからもよろしく頼む」


 目の前でペタンと座る豊崎を見て俺は正座をすると、武人らしく両拳を床に着けて深々と頭を下げた。

 そんな俺の頭の上から、豊崎の明るい声が聴こえてくる。


「こちらこそです。というか、!」


「む? なんだ?」


「私のことはちゃんとと、呼んでくださいね?」


 正座をしながら頭を上げた俺に、豊崎――いや、詩音は一本指を立てると、くすりと笑ってウィンクをしてきた。

 その愛らしい仕草を前にして俺は完全に胸を打ち抜かれてしまい、しばらく呆然としたまま彼女に見惚れていた。


「ハガネくん。そろそろお母さんが夕飯の支度を終えたと思いますし、今晩はウチで一緒に夕飯を――」


「詩音ちゃ~ん? 夕飯の準備ができたから、神崎くんも一緒に……」


 と、なんの前触れもなく開かれたドアの影から豊崎母が顔の覗かせてきた。


 そして、豊崎母は俺たち二人の姿を見てしばし立ち尽くしていると、ニヤリとした笑みを浮かべて口元を片手で隠した。


「あらあら~、お取込み中だったところを邪魔したみたいでごめんなさいね? お母さん、ずっと下で待っているから、降りてきてね~?」


「え? お母さん、それってどういう……」


「お、おい、詩音!」


 豊崎母の発した言葉に俺が床の上に脱ぎ捨てられた服を指差すと、詩音は自分があられもない姿をしていたことにようやく気付いたようで、床に落ちていた服を慌てて拾い上げてその顔を一気に赤面させた。


「は、ハガネくん!? こっちを見ちゃダメですぅー!」


「今さらだと思うが!?」


「あらあら~。これなら、早くに孫の顔が見れそうでお母さん嬉しいわ~!」


「お母さんも部屋から出て行ってください! それと、ハガネくんもです!」


 その後、豊崎母と一緒に部屋から追い出された俺は、着替えを済ませた詩音と一緒に豊崎家で夕飯をご馳走になった。


 その時、彼女が少しだけムスッとしていたのだが、どうしてもひとつだけ言わせて欲しかった。

 詩音よ、それはお前が自らやらかしたことではないか、と……。


 こうして、俺は悪魔に転生した詩音の彼氏となった。

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