第9話 豊崎の異変

「お、おい……アレ」


「言うな。きっと豊崎さんと上手くいかなかったんだろ? それくらい察してやれよ」


「でもさ、いくらなんでもショック受け過ぎじゃね? 神崎君、頭とか真っ白だぞ?」


「ていうか、なんか口から出てね? 魂じゃね?」


 現在クラスの中で囁かれているホットな話題といえば、俺が豊崎にフラれたという話題である。

 豊崎に告白してフラれたあの日から俺は常に無気力であり、何をやっても身が入らないという状態だった。


 自分なりに鉄の心を持っていると思っていたのだが、とんだ豆腐メンタルだった。

 情けない。本当に情けない男だ俺は……。


 豊崎といえばあの日、まるで俺から逃げるように帰ってしまった。

 そして、その翌日から学校を欠席し続けている。


 やはり、俺と顔を合わせ辛いがために休んでいるのだろう。

 あの時、俺があのような愚行に走らなければ今でも豊崎といつも通りに話をできていただろう。

 そう思うと自分が許せなくて、情けなくて、気付くとあの日のことを思い出してしまい後悔の念に苛まれていた。


「……ぬおおおおおおおおおおっ! 俺の愚か者が、愚か者が、愚か者があああああっ!」


 何度も自分の机に額を打ちつけて気を紛らわそうとするも、この胸の内から湧き上がる心苦しい気持ちを誤魔化せなかった。

 こんな事をしたところであの日に戻ることなどできないというのに。まったく、無駄なあがきというやつだ。


 何度か机に頭突きをしてからふと冷静になり溜息をこぼすと、自分の机の表面がくの字にへし折れ陥没しており、周囲にいたクラスメイトたちが戦慄した表情を浮かべていることに気付いた。


「いかんいかん。なにをしているんだ俺は? こんなことをしたところで状況はなにも変わらんではないか!」


 というより、これから授業だというのにこの机をどうしたものか……。


 自分の愚行に恥ずかしさを感じて顔を伏せようとしたその時、教室の引き戸が音を立てて開かれた。

 その音に視線をやると、教室の入り口から豊崎が入室してきた。


 豊崎はいつも通り長い黒髪を三つ編みにして一つに束ねて眼鏡をかけていた。

 普段と変わらぬ制服姿で登校してきた豊崎に安堵の息を吐いた俺であったが、ふと見た彼女に違和感を覚えた。


 豊崎はどこかやつれており、スクールバックを両手で持つその姿が妙に重たそうだった。

 それどころか、フラフラとした足取りで俯いたまま教室の中を歩いているものだから、他のクラスメイトと何度かぶつかりそうになっている。


 やはり、様子がおかしい……。


 とはいえ、彼女にフラレた俺が声をかけるなど、豊崎からしてみれば迷惑な行為かもしれない。

 故に、彼女へ気軽に声などかけられない。

 俺はフラフラと歩いて自分の席に向かう豊崎を心配しつつ見守ることしかできなかった。

 するとその時――、


「きゃうっ!?」


 他のクラスメイトが使う机の脚につま先を引っ掛けたのか、豊崎が顔から床へ倒れ込んだ。

 その光景にクラスメイトたちが一瞬だけどよめいていたが、誰も転倒した豊崎に手を差し伸べようとはしていなかった。

 その一部始終を見ていた俺は素早く席を立つと、教室の床でうつ伏せに倒れていた豊崎に駆け寄った。


「と、豊崎……だ、大丈夫か!?」


「か、神崎くん!?」


 豊崎は驚いたような声を上げると、赤くなった鼻先を片手で押さえて俺の顔を見上げてくる。

 しかし、そのすぐあとに視線を下げてしまい、気まずそうな表情を浮かべて立ち上がった。


「大丈夫か? 顔から転倒したようだが、鼻血とか出ていないか?」


「う、ううん。なんともないですからその……席に戻ってください」


「そ……そうか」


 スカートの裾に着いた埃を払い、視線を泳がせてよそよそしくそう言った彼女の言葉に俺はショックを受けた。

 席に戻れということは、俺の顔も見たくないということか……。


 俺がデートの時に豊崎へ告白などしなければ、今日も彼女と普通に会話ができていたかもしれない。

 だが、それすらも今は憚れてしまうというこの現実に、俺は胸が苦しくて仕方なかった。


「……すまん」


「え? な、なぜ謝るんですか?」


「いや、なんでもない……俺のことは忘れてくれ」


「か、神崎……くん?」


 眼鏡のフレームを指先で正し、小首を傾げる豊崎に背を向けると、俺はトボトボとした足取りで自分の席に向かった。


 あの日の自分を俺は一生呪うだろう。

 いくらその場のムードに浮かれてしまったとはいえ、告白という選択肢は大きな間違いだった。

 あそこで踏みとどまっていれば、俺は今も豊崎の笑顔を見ることができ、普通の友達として接することができたと思う。

 それを失ったことがこんなにも辛いことだなんて思いもしなかった。


 空手の稽古で負った傷は時間が経てば癒えるというのに、この心に負った傷だけは癒える気がしない。

 そうか、これが失恋というものか。

 これは思っていた以上にキツイものだな。


「あの、神崎くん!」


「む? なんだ?」


「え、えっと……」


 俺が振り返ると、豊崎が両手を胸の前でギュッと握り、なにか言いたそうな顔をして立っていた。

 しかし、周囲にいたクラスメイトたちから注目の視線を浴びている事に気付いたのか、豊崎はそれ以上はなにも言わず俯いてしまった。


「……な、なんでもないです。ごめんなさい」


 豊崎は俺に背を向けると、静かに自分の席へ戻った。

 一体豊崎は俺になにを言おうとしていたのだろう? 

 まぁ、それを気にしたところで意味はないのだが……。


 教室の至るところからクラスメイトたちのヒソヒソとした小声が聞こえてくる。

 きっと彼ら彼女らは、俺が豊崎にフラレたことを面白可笑しく話しているのだろう。

 今日ほど耳に届くその小声が鬱陶しく思えた日はない。


「……神崎くん、ごめんなさい」


 一瞬、豊崎の席の方から彼女のか細い声が聴こえたような気がしたが、俺はそちらに顔を向けるような事はしなかった。

 結局その日、豊崎と俺がそれ以上の会話を交わすことはなく、次の日から豊崎は再び学校を休むようになった。

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