第6話 ダンスパーティーの夜④

 体育館の外に出ると、夜空に幾つかの星が煌めいており、頬を撫でる夜風がやや冷たかった。

 五月下旬とはいえ、肌を撫でる風はまだ寒い。


 そんな夜風が吹く校庭に出ると、俺と豊崎は花壇の近くに設置された木製の白いベンチに腰を下ろした。


「少し冷えるな。豊崎、これを着てくれ」


「ありがとうございます。でも、それだと神崎君が」


「俺は平気だ。それにお前の方が圧倒的に薄着だ」


「フフフッ。神崎君はやっぱり優しいですね」


 着ていたフォーマルのジャケットを脱いで豊崎の肩にそっとかけると、彼女が俺の顔を見上げて優しく微笑んだ。

 先程まで少しばかりムッとしていたのだが、今はいつもの穏やかな表情に戻っている。

 そんな豊崎の顔を見てホッとすると、俺は夜空を見上げ口を開いた。


「色々とすまなかったな」


「なにがですか?」


「いや、さっきの件を蒸し返すわけではないが、俺はこんな見た目の男だ。そんな見てくれの悪い俺といるだけでお前が嫌な思いをするのだけは耐えられなくてな」


「それは違いますよ、神崎君」


「む? なにがだ?」


「私は神崎君と一緒にいて嫌な思いなんてしていません」


「いや、しかしさっき……」


「さっきのことはあの人たちが神崎君のことを悪く言ってきたからそれが許せなくて反論しただけで、私が嫌な思いをしたわけではありません。……でも、正直悔しいです」


「悔しい?」


「はい。神崎君を悪く言ったあの人たちに神崎君の良いところをもっと沢山言い返せなかったことがです」


 唇を尖らせてそう話す豊崎に俺は呆然としていた。


 俺のような男のためにそこまで感情的になってくれる彼女に驚きを隠せない。

 未だかつて俺を庇護してくれたような女子は、記憶の中でくらいしかいなかった。

 それ以外の女子たちは皆同じようなものであり、やはりこの俺を恐れている者の方が多かっただろう。

 そんな女子たちとは明らかに違う豊崎を見て俺は目頭が熱くなり、鼻の奥がツンとした。


「え? どうしたんですか神崎君?」


「あ、いやなんというか。豊崎はいい奴だなと思えてな」


「どうしてですか?」


「俺のような男のためにそこまでムキになって怒ってくれて感動しているんだ」


「そ、そんなことないですよ! 私はただ、神崎君のことを皆さんがよくわかっていないというか、本当の神崎君を知らなさすぎだなって思えたからつい……」


 ……俺のことを皆がわかっていない、か。


 その発言から察するに、豊崎は俺の気付かないところで俺の行動を観察し、そう判断してくれていたのかもしれない。

 しかし、当人である俺も自分に優しさがあるかと問われれば首を捻ってしまうのだが……。


「なぁ、豊崎。不意に思ったのだが、どうして豊崎は俺が優しいと思うんだ?」


「えへへ~。それはですね~」


 俺の問いかけに豊崎は嬉しそうに微笑むと、一本指を立ててどこか自慢げに胸を張って話し始めた。


「では、神崎君が優しい人だということついて説明しますね? 今から一ヶ月ほど前に戻りますが、通学路脇にある川で子猫が落ちて流された事がありましたよね? その時、その光景を見ていた私を含む他の生徒たちは何もできずにその子猫が流れてゆくさまを見つめることしかできませんでした。しかしそこに、自分が濡れてしまうことも躊躇わず、川に飛び込んだ勇敢な男子生徒が――」


「もういいやめてくれ。その話は思い出しても恥ずかしくて死にそうになる」


「どうしてです? あの時の神崎君はとても格好良かったですよ!」


 豊崎が話した通り少し前の話だが、部活の朝練でランニングをしている最中に俺は川に流されていた子猫を助けるため川へと飛び込んだことがある。

 しかしその後、その子猫を助けて岸に上がったはいいものの、着ていた空手着の帯が緩んでしまい空手着の下がずり落ちてこちらを傍観していた生徒たちの前で見事にパンツを晒してしまったという恥ずかしいエピソードがあった。


 まさかあの場に豊崎がいたとは知らなかった……。


「誰も助けることができない命を自ら進んで助けようとする。それは優しさと勇気がなければできないことだと私は思います。あ、あとはですね! 高校の裏山から下りてきた野性の猪が校庭で練習をしていた野球部を襲っていたところを神崎君が捕まえて再び山に返したという――」


「それもやめてくれ。あの時も俺は……」


 猪の牙で空手着の尻部分を破かれた。


 猪の突進を躱した際に道着の尻部分が破れてしまい、またもや大衆の前でパンツを晒したということがあった。

 その猪は掌底打ちで失神させて山へと返したのだが、あの時も野球部以外に数人の同級生たちが見ていたことを知っていたが、まさかその場にも豊崎が居合わせていたとは……。


「他にも強風で飛ばされそうになっていた老朽化したプレハブ小屋を神崎君が一人で補強して凌いだという出来事と、あとは道路で倒れていた巨漢のオジサンを担いで数十キロ先の病院まで救急車よりも早く運んだという出来事とか!」


「わ、わかったからもうやめてくれ!? 恥ずかしくて死にそうになる!」


 どこからどのようにして豊崎が俺のことを見ていたのかは皆目見当もつかないのだが、豊崎が俺のことを過大評価してくれているということは十分理解できた。


 この見た目のせいで色々と面倒事に巻き込まれてきたこともあったが、今はなんだか報われたような気がする。


 豊崎のように一人でも俺のことを優しいと思ってくれている存在がいると知れたことでこの世界もまだまだ捨てたものではないと思えた。


「いつも陰ながら神崎君の勇姿を見てきました。だから神崎君は心が優しくて正義感のあるヒーローのような人だと私は思っているんですよ?」


 その言葉に感動して胸が熱くなった。

 ……うおおおおおおおおっ! 豊崎よ、俺は今猛烈に感動しているぞ!


「あの、神崎君?」


「ぬぅ、なんだ?」


「私はもっと神崎君と仲良くなりたいですし、もっと神崎君のことを知りたいです。ですからその……」


「?」


 そこまで言うと豊崎は俯いて頬を赤く染めた。

 なるほど。俺と仲良くなり俺のことをもっと知りたいか。

 ん? おい、ちょっと待て。それはつまり――。


「と、豊崎? お前、まさか……」


 俺の言葉に豊崎がこくりと頷く。


 なんということだ。

 まさかこのような形で俺にも青い春、つまりは『青春』が訪れてこようとしているのではないだろうか!


 そう思えた瞬間から一気に顔が熱くなり、緊張してごくりと生唾を呑む。

 すると、豊崎が俺の顔を見つめて口を開いた。


「ですからその、私は、神崎君と……」


 ――とうとう来るのか俺の春! 

 ならばそれを甘んじて受け入れようではないか!

 

 胸の鼓動が激しさを増す中で豊崎の唇に意識が集中する。

 生まれてからこの齢になるまでこのようにドキドキしたことなどなかった。

 俺が求めていた青春はすぐ傍にあった。

 さあ、言ってくれ豊崎!


「神崎君と……つ……」


「つ、つぅ!?」


 この流れで口にしようとしている頭文字が『つ』といえば、当然『付き合ってください』ではなかろうか!? 


 日本男児としてこの世に生を受けてからはや十六年。

 どれほどこのようなシチュエーションに憧れてきたことか。

 いいぞ豊崎、俺はお前の全てを受け入れよう。

 そして、お前を必ず幸せにしてやるから任せろおおおおおおおっ!


 と、そんな期待と興奮で鼻息を荒くしていた俺に豊崎は――。


「……つ、つまり、友達になりたいです!」


 ……と、言った。


「……」


 ……ちーん。というリンの音が俺の脳内に響いたような気がした。

 無駄に期待していただけその反動は大きい。

 それを例えるならカウンターをもらった時の脳震盪に近いかも知れない。


 正直、恥ずかしくて泣けてくる。

 そうだよな。こんな俺に可愛い豊崎が靡くはずがないもんな! 

 こんちくしょおおおおおおおおおっ!? 


「あの、神崎君。どうして泣いているのですか?」


「ぬおおおおおおおおおおっ! なんでもないから気にしないでくれ豊崎! これは心の汗というやつだあああああああああ!」


 決してこの涙の意味を彼女に悟られてはいけない。

 男が泣いていい時はこの世に生まれた時と、親が死んだ時だけだと親父から教わった。

 しかし、今の俺は期待を裏切られた切なさと勝手な妄想に酔いしれていた自分への情けなさで涙を流している。


 俺の未熟者め! 今晩は罰として家で腕立て伏せを千回だああああああっ!


「あの、神崎君? 大丈夫ですか?」


「ああ、問題ない。それより、今宵は星が随分と綺麗だな……」


 キョトンとした表情の豊崎に背を向けると、俺は独り夜空を見上げた。

 神よ。やはり俺の青春はまだ先ということなのか。

 だが、それもまた一興だ。


 目元の涙を袖口で素早く拭い去り咳払いをすると、俺は溜息を吐いて豊崎に振り向いた。


「豊崎。俺はお前が友達になりたいと言ってくれたことに対して猛烈に感動した。こんな不器用で仕方ない男でよければ友達になってくれ!」


「はい! 喜んで!」


 ……本当に可愛い笑顔だ。その笑顔を近くで見られるのなら友達だっていいじゃないか!


 鼻を啜って俺が右手を差し伸べると、豊崎がニッコリと笑ってその手を握り返してくる。

 そうさ。この方が自然であり、俺らしいと言えば俺らしいじゃないか。

 だが、この胸を埋め尽くす切なさを消化するにはおそらく二日はかかるだろう。


「神崎君。これからもよろしくお願いします!」


「ああ、勿論だ! なにかあったらいつでも俺を頼ってくれ。なんせ俺たちは『友達』なのだからな!」


 再び豊崎に背を向けてひとりすすり泣いていると、体育館の方が騒がしくなった。

 どうやら、今回のパーティーが佳境に入ったのだろう。

 事前に配られたプログラムによれば、パーティーの最後はビンゴ大会で締めくくられると記されていた。景品もかなり豪華であり、皆が興奮するのも無理はないだろう。


「神崎君、急いで戻りましょう!」


「え?」


「ビンゴ大会が始まってしまいますよ。景品の中にはあの有名なテーマパークのチケットが含まれていました。これは必ずゲットすべきです!」


 体育館から聴こえてくる同級生たちの歓声に耳を傾けていると、豊崎がにべもなく俺の手を取り慌てて走り出す。

 そうか。豊崎はあの遊園地に行きたいのか。

 それならここは友達であるこの俺が一肌脱ぐとしよう――。


「よし、豊崎。俺がもしお前の望むチケットをゲットできたらプレゼントしてやるぞ!」


「本当ですか!?」


「男に二言はない。任せておけ! 故に走るぞ……ぬおおおおおおおおおおおおおおっ!」


「きゃあっ! ちょっと神崎君!?」


 俺は豊崎の華奢な身体を肩に担ぐと、猛烈な勢いで体育館へ走り出す。

 その時、俺の瞳から零れた失恋の涙が地面に幾つものシミを作っていたが、彼女がそれに気付くことはないだろう。


「まだ本格的に始まってはいないようだ! 飛ばすぞ豊崎!」


「は、はい! お願いします!」


 豊崎を肩に担いだまま俺が体育館の中へ駆けこむと、同級生たちがなにごとかという表情で目を丸くしていた。


「フーッ……フーッ……なんとかビンゴ大会には間に合ったようだ。俺たちにもビンゴカードを譲ってくれ!」


 呼吸を乱したまま司会進行を務める同級生に俺が近づくと、そいつは青ざめた表情でガクガクと震えながらビンゴカードを手渡してくれた。


 俺と豊崎はそのビンゴカードを受け取ると、今宵のパーティーの締めくくりとなるビンゴ大会を存分に楽しんだ。


 だが、このダンスパーティのあとに彼女がなるとは、当時の俺は知る由もなかった……。

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