第101話 全てが報われる……瞬間。


 頬にめり込んだ人差し指はそのまま。

 首を僅かに動かせば済むだけなのに、驚きのせいで動いてくれない。


 ……振り向きざまに合った目も、そのまま。


 「「…………」」


 固まる俺に対し秋月さんは「うん?」と首を傾げてきた。人差し指をぐりぐりと回しながら「元気ない顔してるぞー」と続けた。


「んにゃ、にゃんのことかな」


 ようやく口が開いたかと思うも、戸惑いと焦りを隠せない。それどころか、少し、噛んでしまった。


 ……いや、そんなどころじゃない。

 頬に指が押し当てられてるせいで……上手く喋れなかったんだ。


 なにしてるんだよ俺。


「ふっふっふぅー、正義のヒーローは多くは語らないと。そういうことですか! 格好良いやつめ〜、このこのぉ〜!」


 頬から人差し指が離れると、そのまま背中をポンポンされた。


 と、同時にぴょこんと隣にくっ付き、俺の顔を覗き込んできた。


 初対面なのにこの距離感。


 俺が元気ない様子だから、気遣ってる?


 ……ありえない。


 ここはかつての世界とは違う。

 俺と秋月さんは友達でもなければ知り合いですらないんだぞ。


「秋月さん、なんていうかその……近いよ」

「わぁ! わたしの名前知ってるんだぁ! うっれしぃなぁ♪」


 そう言うと、今度はそのまま正面へと回ってきた。


「ねえ、友達になってよ!」


「……ちょっと待って。さっきから唐突過ぎるよ。どうして俺なんかに構うの? 他の誰かと間違えてない?」


 あれ、俺なに言ってるんだろう。

 あの秋月さんが友達になろうと言ってくれてるんだぞ。


 ここは思考を停止して手放しで喜ぶ場面だろ。

 ……なのに、どうしてかな。喜べない。


「それはねぇ〜、見ちゃったんだよ。昨日七組であったことを!」

「……え」


「委員会の仕事でね、隣の教室に残ってたのさ。そしたら拍手の音が聞こえてきて。これは、いったい、なにごとかぁー! と思ってね、見に行ったの」


「……そっか。あれを見られちゃってたんだね」


「へへ、そだよ。でも今日、学校来たらびっくり! 何がびっくりって、誰も君のしたことを知らないの! 龍王寺くんが二見さんを守ったヒーローのように噂されてるし。本当のヒーローは君なのに、君はそれを良しとしてる。これを格好良いと言わずなんと言う! って思ったら居てもたってもいられなくって。この気持ちを伝えに来た!」


 そういうことか。そりゃそうだ。

 俺みたいなおまんじゅうを格好良いと言うなんて、おかしいと思った。


 結局、この先には何もないことがわかっているんだ。友達になったところで未来は知れている。


 だから、嬉しくもならないしこの場から早く消えたいとも思う。


 いつからだろう。

 諦めとは少し違う。吹っ切れ……とも違う。


 悟り……というのだろうか。


「おーい、聞いてるかなぁ?」

「……聞いてる、よ」


「つまりだよ、格好良かったよ。八ノ瀬陸くん! わたしはこれが言いたかったのだ!」


「……それって男として格好良いってわけじゃないよね。誤解されるようなことは、言わないほうがいいと思う」


 期待するだけ無駄なんだ。

 スパッと切り捨ててくれたほうが楽だ。


「……思うよ。男として格好良いなって。……って、ちょっとちょっと君ぃ〜! な、なんてこと言わせるのかなぁ。言ってるこっちが恥ずかしくなっちゃったよぉ!」


 なんだよ……これ?

 あの、秋月さんが目の前で頬を赤く染めもじもじしている。それはまるで俺に照れているとしか思えない光景だった。


 蓋をしていたはずのかつての想いが掘り返される。

 長い長いタイムリープ生活が走馬灯のように駆け巡る。


 好きで好きで好きで好きで仕方がなかった。

 好きだった。好きだった。大好きだった。


 死を賭しても……構わないと思った。


 それがいま、手を伸ばせば届きそうな距離にある。


 ……もしかして俺は、秋月さんと付き合えるのか?


 ……報われるのか?



 ──ドクンッ。


 違う。そうじゃないんだ。


 

「え、えぇぇーー?! ど、どうしたんだね君ぃ! あっ、えっ、えーと、そうだハンカチ‼︎」


 ◇


 気付いたら俺は、涙を流していた。


 自分の気持ちと向き合うのが怖くて、耐えられなくなってしまったんだ。


 少しも嬉しいと思えなかった。

 俺の中での秋月さんは、とっくに決着がついていたんだ。


 ──そのことに気付いてしまった。


 俺が好きなのは……。

 心の中ですら言葉にしてしまうと、全てが壊れてしまいそうで、ただ涙を流すことしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る