その655 一師二弟1

 せきを切ったように父親ダイモンに泣きついたコリンは、正直見ていられなかった。慰める訳にもいかず、諭す訳にもいかす。

 目の前にあるどうしようもない現実に、俺も、リルハも、ヒルダも、そしてダイモンでさえも何も言えなかった。ただそこにいるだけ。そこにいて時間を共有する事しか出来なかったのだ。

 泣き止む事のないコリンを抱きかかえ、ダイモンは一旦部屋を出た。


「……ミケラルド殿、師匠の命が間もなく尽きるという話……本当か……?」

「三、四日前の時点でご本人の口から『二週間』と」

「なるほど、ミケラルド殿が我々に連絡してきた段階か。となると残り十日程……ヒルダ、この後は?」


 リルハが隣に座るヒルダにそう聞くと、彼女はすっと立ち上がって言った。


「行きましょう、お姉様」

「お前、聖騎士学校の講師は?」

「そんなものはイヅナに代理でも頼みます」

「冒険者は楽でいいな……まったく」

「あら、お姉様のところはそうでないと? 商人ギルドというのは頭がいないだけで機能しないのですか?」


 師匠の事となると、ヒルダはリルハにかみつくようだ。


「商人ギルドをまとめるという事がどういう事か、ヒルダにはわかって欲しいものだよ。ギルド代表を代理で立てるだけでも承認が必要なんだよ」

「不測の事態です」

「私ももっと衝動的に動けたらいいのだがね」


 ギリと口を結ぶヒルダ……が、何故か俺を見た。

 とても鋭い視線である。ヒルダがもう三十くらい若ければ俺としてもご褒美だったかもしれない。


「ミケラルド殿」

「は、はい……何でしょう?」

「ミケラルド殿としては我々にミナジリ共和国に来て欲しい。そうでしょう?」

「え? まぁプリシラさんは大切な客人ゲストなので、その安寧を求めるのであればそうでしょうね」

「お姉様は常にこのギルドマスター室に入り浸り、適宜指示を出さねばならないと申しております」

「目の前で聞いてましたから存じております」

「ならば、このギルドマスター室と師匠の部屋を繋いでしまえばいいのでは?」


 ……なるほど、テレポートポイントをここに置けという事か。驚いたリルハがヒルダを見上げ、そして俺を見る。ちらりと。

 出来るの? 出来ちゃうの? と言いたげな顔である。

 まぁ、出来るけど、流石にこの技術を商人ギルドの頭に渡すのは恐ろしい気がする。


「はぁ……リルハ殿、一筆お願いします」

「ほぉ、契約書か。意外に慎重だな、ミケラルド殿」


 ニヤリと笑うリルハが、どこからか出した紙とペンを走らせる。どうやらリルハは、俺が言わずともその契約内容を理解していたようだった。


「師プリシラを看取るまでの期限付き……ですか」


 つまるところ、プリシラが死ぬその日まで、法王国のギルドマスター室ここと、ミナジリ共和国のプリシラの部屋を転移出来るようにするという事だ。

 こんな言葉、泣いてるコリンには聞かせられないよ、ホント。ダイモンが気まずそうに退室したのは間違いじゃなかったな。


「何とも、いかにも我々らしい……」

コリンかのじょには悪いがな。だが、師匠ならこれを喜んでくれる」

「確かに、プリシラさんならそうですね。いいでしょう、サインしますよ」

「契約成立だ」


 軽く握手を交わした俺たち。

 そして俺は、再度待ち合わせの約束をし、ギルドマスター室にテレポートポイントを置いて帰った。

 最初、法王国観光をしてきなよとダイモンに言ったが、やはりコリンはそんな気分になれる訳もなく、三人でミナジリ共和国へ帰った。

 屋敷に戻ると、コリンはいつもの笑顔に戻っていた。

 どこかぎこちない、プロの笑顔。

 勝手知ったる我が家ではあるが、プリシラの部屋はコリンの領域テリトリーである。コリンに案内され、俺とダイモンはプリシラの部屋までやって来た。


「プリシラ様、コリンにございます。失礼します」


 入室の許可なくとも入るという事は、コリンに関して言えば、プリシラがそれを許可しているのだろう。

 おそらく、プリシラの声を部屋に扉の外に届かせるのは、もう難しいという事なのだろう。

 室内を見せないよう、扉の隙間からそっと部屋に入ったコリンがそこからちょこんと顔を出す。


「少々お待ちください」


 俺は、腐ってもピエロっても下卑っても元首で男である。プリシラにも準備というものが必要なのだ。扉の外で待つ俺とダイモンは、だらしなくも壁に寄りかかった。


「悪いなダイモン」

「いえ、あの子が物心つく頃にはカミさんはもういなかったんで、旦那には感謝してます」

「それでもコリンが辛い思いをする事は変わらない」

「シュッツさんがね、前に教えてくれたんすよ」

「何て?」

「『間もなく寿命を迎える者にコリンを付ける』って」


 ダイモンにも話を通したのか。

 なるほど、シュバイツシュッツらしいな。


「『執事やメイドは時に主人を守り、主人を諫める必要がある。だからこそ何事にも動じない胆力が必要となる』とか言われたんじゃないか?」

「ははは、正にその通りです。確かにコリンは死を知らない。長い人生をかけてそれを知っていくんだって思ってたんですが、ちょっと急でしたね」

「すまない、俺が許可したんだ」

シュバイツシュッツさんからも言われましたよ。大丈夫です、こればっかりは親じゃ出来ませんでしたから。あの子もここで働くと決めたんですから。俺としても、コリンに死と向き合う術は持っておいて欲しいですから」


 それがコリンにとって正しいのかはわからない。

 でも、その壁に直面する事だけは確かなのだ。乗り越えてもいい、足搔いてもいい、立ち止まってもいい、回り道をしてもいい。それはコリンが選ぶ事だから。

 我々はただ、あの子の家になってやる事くらいしか出来ない。それでも明日を歩む彼女には、必要な事なのだろう。


「ミケラルド様、準備が出来ました」

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