その636 武闘大会8
「えー、もう帰っちゃうんですかー?」
ネムは不満気な顔で言った。
「正直、俺としても全部観て帰りたいんだけど、そこまでミナジリ共和国を離れてられないんだよ」
「約束の日は明後日だからもう少しいられると思ったのにぃ」
ぷくりと頬を膨らませるネムに苦笑しながら、俺は転移するためにその手を握った。
「それじゃあ報告楽しみにしてるよ」
俺は見送りのナタリーとリィたんにそう言うと、彼女たちはニコリと笑って応えてくれた。
「じゃあ――」
「――あのっ」
しかし、俺の転移を止めた者がいた。
皆で声がした方を見ると、そこにはシェルフのプリンセスガード、クレアがそこにいたのだった。
ナタリーとリィたんをちらりと見たクレアは、申し訳なさそうにその間を通り、俺の前までやって来た。
そしてクレアは俺に耳打ちするように小声で言った。
「あの、何も起きません……よね?」
「私としてはそうしたいところです」
彼女は俺がシェルフで行動を起こす理由を知っている数少ない存在。シェルフが気がかりなのもわかる。
しかし――、
「まずは予選を勝ち抜く事だけに集中した方がいいですよ」
俺が微笑みながら言うと、彼女は腰のダガーに手を添え、そして強く握った。
「……はい」
「どう転ぼうともすぐに連絡が入ると思うので、そう気にせずリラックスしてくださいよ」
「う……そう言われると胃が……」
言わない方が良かったかもしれない。
だが、それが彼女の選択だ。こればかりは呑み込んでもらうしかない。
「それじゃあ、また」
「はい」
クレアに、そしてクレアの奥にいるナタリーとリィたんに再度アイコンタクトを送り、俺とネムは法王国からミナジリ共和国へと戻ってきたのだ。
◇◆◇ ◆◇◆
戻って来て早々、俺はずっと気になってた事をネムに聞いた。
「ところで、その背中の大きな風呂敷は何?」
「え、私物ですけど?」
「行きにはなかったよね?」
「皆さんが活躍してる間、私も頑張ってたという事です」
ふふんと胸を張るネムだが、どうやらこの風呂敷の中身は私物というより私財と言い換えた方がいいのかもしれない。さっきからチャリチャリ鳴ってるしな。
「それじゃあ明後日の午前十時、屋敷に来てくれればいいから」
「はい、わかりました」
冒険者ギルドの前でネムと別れ、俺は足早に屋敷へ戻った。
今回、俺としては最後まで武闘大会を観戦していてもよかった。事実、皆の成長や活躍、それに結果も気になってはいる。
しかし、それ以上に気になる事があるならば、足早に戻ってしまうだろう。
「戻りましたよ、
プリシラの部屋の扉を開けると同時、彼女は部屋にいたコリンに言った。
「ほら、すぐに帰って来ただろう?」
「すごーい! お兄ちゃん、おかえりー!」
二人がどんな会話をしたのかが容易に想像がつく。
まぁ、プリシラからすれば、俺に対して餌を吊るして待ってる状態だしな。俺の行動くらいすぐに読めるだろう。
「賢者様、ホントにすごーい!」
それがコリンにわかるかといったらそうとはならない。
俺はやれやれと溜め息を吐きながら、ベッド近くの椅子に腰を下ろした。
「お土産は?」
「開口一番それですか?」
「キミだって早々に座っただろう?」
確かに、俺がいくら元首といえどプリシラはゲスト。
着席の許可くらいは求めるべきだったろう。
どちらも急いている……いや、今回に限って言えばそれは俺だけなのかもしれない。
「はぁ……こんなの最初から私の【闇空間】に入ってるんですよ」
言いながら、俺は【闇空間】からプリシラご注文の【ミケラルド・オード・ミナジリ正装バージョン(青年)】と、【ミケラルド・オード・ミナジリ寝間着バージョン(少年)】を取り出した。
「ほわぁ~……」
やつれた顔が一気に紅潮するプリシラ。
小首を傾げるコリンには正直まだ早いと思う。
「いいね、特にこの少年バージョンは最高だ!! 眠そうに目を擦り、飛び出るアホ毛が美の極致を表しているっ!! なぁ聞いてるか、キミィッ!!」
「私はプリシラさんの唾を浴びる趣味はないんですよ」
顔を拭きながらプリシラをじーっと見るも、彼女はそんな視線はお構いなしといった感じだ。
「キミ的にはご褒美じゃないのかい?」
「出来れば恥じらいは欲しいところです」
「コリンが見てる前でそれはちょっと……」
「プリシラさんが先に言ったんですよ」
「唾を浴びたいとか言い始めたのはそっちじゃないか?」
賢者の耳は腐っていらっしゃる。まぁ、脳内もお腐りなさっているから仕方ないのかもしれない。
だが、俺も聖女アリス人形や勇者エメリー人形を売ってる身だ。彼女の反応は否定してはいけない……と思う。
「さぁ、そろそろ教えてください。アナタの秘密を」
ピタリと止まったプリシラは、すんと鼻息を吐いた後、コリンを見た。それが人払いだとコリンが理解する程には、この空気はピンと張り詰めていたような気がする。
ちょこんとお辞儀をして部屋を出て行ったコリンを見送った後、俺とプリシラは互いに見合った。
そして、ベッド脇に二体の人形を置き、何故か布団を掛けた。
「…………もしかして一緒に寝るつもりですか?」
「そのつもりだ」
張り詰めた空気はどこへやら?
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