◆その325 前日

 夜、ミナジリ邸にてミケラルドは静かに時を待っていた。

 いつもの夜とは言えないその夜は、やけに静かだった。

 それもそのはずで、現在屋敷にはミナジリ邸の使用人はほとんどいなかったからだ。

 ラジーンや魔帝グラムス、シュバイツや、警備に残る者以外は皆、ミナジリ共和国のオードの町へ避難しているのだ。


「……暇」


 それは、戦争を明日に控えた男の言葉ではなかった。

 ミケラルドはのそりと屋敷を出る。屋敷の外にあるベンチでは、一人の男が腰を下ろしていた。


「あれ、ジェイルさん?」

「ミックか」

「眠るにはまだ早い時間ですからね、ちょっと散歩でもと」

「領内か?」

「今日ばかりはそうしておきます」

「殊勝な事だな。気を付けて行って来い」

「では」


 ジェイルにそう言った後、ミケラルドは静かに闇に消えていく。


 ◇◆◇ ◆◇◆


 ミナジリの冒険者ギルドは、閑散かんさんとしていた。

 冒険者ギルドの屋根の上にギルド印の刺繍が入った旗がなびく。これは、どの国においても中立を示す意味として、古くからギルドがおこなってきた戦時下の対処方。

 ギルドの外から屋根を見上げるギルド員のネム。


「不安ですね」


 隣にいる先輩ギルド員のニコルがそれを拾う。


「そうね」

「大丈夫かなぁ……ミケラルドさん」


 俯きながらそう零すネムに、ニコルがくすりと笑う。


「あら、やっぱり不安なのはそっちなのね」

「へ? あ、ち、違います! リプトゥア国がギルドに侵入しないか不安だなーって意味ですからね!」

「私が何を不安なのかはまだ言ってなかったけど?」

「だってニコルさん、『そっち』って!」

「どっちとも言ってないわよ」

「それは……うぅ、ずるいです……」

「……ディック様が一時避難を認めたのに、残るって言い張ったのはどこの誰だったかしら」

「……ここの私です」


 両手で顔を覆ったネムの顔は、真っ赤に染まっていた。


「私は、中々出来る事じゃないと思う」

「へ?」

「普通は一目散に逃げるものよ」

「で、でもニコルさんだって……」


 ネムが言うも、ニコルから答えは返って来なかった。

 顎先に細く長い指を当て、ぼんやりと空を見上げるニコルが、しばらく考えこんだ後、ようやく答えを出す。


「……そうなのよね。何で残るって言っちゃったのかしら?」

「な、何も考えずに残るって言ってたんですかっ?」

「じゃあネムの考えってやつを聞かせてちょうだい?」

「うっ、そ、それはアレです!」

「どれ?」

「アレですよ、アレ!」

「やっぱりノープランじゃない」


 やれやれと肩を竦めたニコルと、頬を膨らませるネム。

 そんな二人の後ろから声が届く。


「へぇ、ニコルさんってネムとはそういう風に喋るんですね」

「「っ!? ミ、ミケラルドさんっ!」」


 振り向いたその先にはミケラルドがいた。

 ミケラルドの顔には緊張の色はなく、二人は見合ってゴクリと喉を鳴らした。


「……意外です。てっきりお忙しいのかと」


 ネムが言葉を選びながらそう言うと、ミケラルドは微笑みながら答えた。


「もうここまで来たら、なるようになるって感じですよ」


 ネムとニコルは、普段と変わらないミケラルドを見、ホッとすると共に苦笑した。

 ニコルがギルドの扉に向き、ミケラルドをいざなうように言う。


「ここではなんです。どうぞ中へ」

「え、いいんですか?」


 そう聞いたのはミケラルドではなく、ネムだった。

 するとニコルは、くすりと笑ってから言った。


「彼は冒険者です。冒険者ギルドは絶対中立。入れる事に何の問題もありませんよ」


 その言葉にパァっと顔を明るくさせたネムは、ニコルにならうようにミケラルドをギルドへいざなった。


「ですね! ようこそ冒険者ギルドへっ!」


 微笑んだ二人に迎えられ、ミケラルドが冒険者ギルドへ入る。

 冒険者が一人もいないギルド内を見回すミケラルド。


「うわぁ、酒場も閉まってるんですね」

「よろしければ何か作りますか?」


 酒場の方へ向かうニコルにミケラルドが首を傾げる。


「いいんですか?」

「簡単なものなら」


 カウンターに入ったニコルが、グラスを用意しながら言う。


「じゃあ蜂蜜酒ミードを。ネムとニコルさんは?」

「え、駄目ですよ。私たち勤務中ですから!」

「アルコールなければいいでしょう。それとも、水分補給しちゃいけない程のブラック企業でしたっけ、冒険者ギルドって?」


 困った様子のネムが、ニコルに向く。

 すると、ニコルが静かに一つ頷く。


「じゃあ私葡萄ぶどうジュースがいいです!」


 と、言いながらミケラルドの隣に座るネム。

 そして、


「俺はエールだ」

「っ!? ディック様っ!?」


 驚いたのはネムだけだった。

 ニコルはカウンター越しからネムの背後が見えていた。

 そしてミケラルドは、当然ディックの接近に気付いていたからだ。


「どうしてギルドにっ?」

「あのな、こう見えてもここのギルドマスターも掛け持ちでやってんの忘れてんじゃないのか?」

「それはそうですけど、今はリーガル国が大変でしょう?」

「大変なのはシェンドの町だな。ギュスターブ辺境伯領を除けば、リプトゥア国に一番近い町だし。ま、あそこはゲミッドの管轄だ。何とか上手くやるだろうよ」

「そう、ですか……」


 それを聞き、ネムが難しい顔をしながら俯く。

 ネム、ミケラルド、ディックの順番に座り、カウンター内にはニコル。

 話を変えるためか、ミケラルドがディックに言う。


おごるのは二人にだけですよ」


 ミケラルドが言うと、ディックが呆れた様子で口をへの字に結ぶ。


「へいへい、わかってるよ」

「ディックさんは勤務中じゃないんですか?」

「いや、勤務中だ」


 あっけらかんとしたディックの言い分に、ネムが目を丸くする。


「じゃあそのエールの大義名分がある訳ですね」

「おうよ、スポンサーとの歓談ってやつだ」

「なるほど、接待に酒は付き物ですからね。という事はここの払いはギルド持ちという事で?」

「いや、既に言質はとってる」


 ニヤリと笑うディック。

 仕返しとばかりに言われたその言葉で、今度はミケラルドが呆れ、口を結ぶのだった。

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