ヴァルキューレの騎行③

 俺たちが新たな配置についたのを確認した佐々三等官は、懐から取り出した短刀で左手の人差し指を傷つけた。

 溢れ出した血で御札に何事か書き付け、宙に放り投げる。

 その紙切れは風に飛ばされることなく、淡い燐光を放ってそこに留まる。


『カラスママルヒトより各員。術式開始』


 佐々三等官が無線でつぶやくと、不可視の巨大な力場がそこを覆ったように感じられた。

 レイザーが気持ち悪そうに頭を振る。

 遮蔽物とした廃屋の窓から窪地を見ると、ウジサトたちがまさにその場を確保したところだった。

 そのウジサトも力場の存在に気がつくと、一瞬立ちすくんだ。


『今です!』


 佐々三等官が叫ぶ。

 いち早く反応したのは、レイザーではなくコマツと、農場管理棟の屋上に陣取った

旧政権軍スナイパー・ナシール少佐だった。

 コマツはウジサトを、ナシール少佐は人間神代兵装野郎ことナシード・イブン・ナザルを狙う。

 弾は逸れることなく、ウジサトたちに襲いかかる。

 つまりさっきまで効いてたウジサトたちの矢避けの加護は、佐々三等官たちがなにかして、無効化させたわけさ。


 さて、超音速の弾丸は二人の頭蓋を確実に捉え、脳髄を地面にぶちまけさせた。

 そして、それだけだった。

 弾丸が、例えそれが.338ラプアマグナムを遥かに上回る威力の14.5mmであっても、ナシード・イブン・ナザルになんの効果も発揮しないのはわかっていた。

 ウジサトについても同様。六百歳を超えるであろう人間にただの銃弾が通用すると考えるほど、俺たちはおめでたくはなかった。

 だがこの瞬間、敵の戦術的思考と呪術的防御は完全に喪失された。

 畳み掛けるなら今しかない。


『制圧射撃! 叩き込め!』


 今度はナザル大尉が命令する。

 窪地を包囲した俺たちは、すぐさま大量の弾丸を窪地に送り込んだ。

 佐々三等官のチームは泥で埋まった排水路に座り込んで、何か一心不乱に呪文を唱えている。それが彼らの仕事で、だからこそ銃弾は窪地の中へ届いている。


「言われなくても!」

「しかしあいつら隠れ方が上手いな。手間取るぜ」

「ハッ! コマツも愚痴るんだな!」

「愚痴ってばっかだよ。危険手当だってあがりゃしねぇのに、くそ!」


 コマツとレイザーは元気いっぱい、怒鳴り散らしながらバカバカと連射しまくっていた。

 だが敵もさるもの。地面にピッタリはいつくばっていたから、レイザーの腕をもってしてもなかなかクリーンヒットとはいかなかった。


「タナカ! グレネード!」 

「はいはいっと」


 埒が明かないと見たコマツが命じると、お調子者のタナカが88式の銃身下部に取り付けたランチャーからグレネードを一発、ポンと窪地に放り込んだ。

 だが弾はちょいとばかり行き過ぎ、窪地の向こう側五メートルに着弾した。


「ははーんなるほど」


 タナカは慌てず騒がず、次の弾頭を装填する。

 コマツは立ち上がりかけた窪地の人影に二~三発ぶち込むと、珍しく落ち着いた調子で言った。


「タナカ、任せる」

「おまかせ!」


 タナカの放ったグレネード弾は見事な放物線を描き、今度こそ窪地へのど真ん中で爆発した。

 白煙とオレンジ色の爆発炎に混じり、砲弾の何十もの破片が地面を叩くいくつもの小さな土煙。

 窪地からの発砲音は瞬時に、全く、無くなった。


「やった!」

「満塁ホームランだ!」


 タナカとヒラオカが歓声を上げる。


「着剣しろ!」


 コマツが命令し、全員がそれに従う。

 この辺りは阿吽の呼吸だ。

 俺たちはベテランで、次に何をすべきかわかっている。

 俺も05式サバイバルカービンを検め、渡されていたナイフを鞘から抜き放ち、腕の中にしまった。


『陰陽衆、呪術制圧術式展開! 前進!』

『前進! 突撃!』


 佐々三等官が下令した直後、ナザル大尉が突撃を命じる。

 俺たちは揃って銃を目の高さに構えて遮蔽物から飛び出し、全力で走り出した。


『走れ 走れ! どっちかが再生したら俺たちの負けだ!』


 ナザル大尉が檄を飛ばす。

 銃弾や砲弾片で奴らが死なないことは気にしていない。

 手榴弾は破片弾も焼夷弾もまだ残ってる。

 粉微塵にしてから焼いちまえば、再生だって時間がかかる。

 あとは佐々三等官たちがなんとかしてくれるはずだ──そのはずだ。



 走る。

 撃つ。

 ポコンと間の抜けた音。

 直後にバンと響き渡るグレネードの破裂音。

 ビュウンと耳元を破片が通り過ぎる音。

 三二〇メートルの突撃距離。

 普通、突撃ってのは五〇メートル以下でやるこった。

 だが奴らを細切れにして焼き払うなら、敵戦闘員がグールになれないほどのダメージを与えた今しかない。

 俺も体積の減った肉体のできる限りを脚に回して、みんなに必死についていく。

 残り二〇〇メートルを切った。

 敵の生き残りが盲撃ちにAKを乱射。ほとんどの弾が空中にばらまかれたが、一発の流れ弾がナザル大尉の分隊機銃手の脳天をかち割った。

 ナザル大尉とタナカが反撃。タナカはまたしても窪地のど真ん中にグレネードをぶち込んだ。赤黒い肉片が飛び散った。

 一五〇メートル。普通なら敵の反撃で大損害を受けるような距離。だが敵の反撃はない。

 一〇〇メートル。みんなの息が切れ始める。空気の雰囲気が変わる。変な温度だ。陰陽衆を見ると、彼らもゆっくりと前進している。空中に何枚も御札が浮かんでいるが、空気が揺らぐたびに御札が燃え落ち、あるいは陰陽師が口から血を吐いて、あるいは頭を破裂させて倒れていった。姿が見えなくなったウジサトの呪術は、それほどまでに強力だった。

 五〇メートル。コマツとナザル大尉が手榴弾と叫ぶ。何人かがそれに応え、五発も六発も手榴弾が窪地に投げ込まれる。ナザル大尉が伏せろと怒鳴る。俺が地面に倒れ込む瞬間に見たものは、何十発もの銃弾、何発ものグレネードによってズタズタのミンチにされたアノニの戦闘員たち。どれがナシードでどれがウジサトかなんて見分けがつかない。

 幾重も重なったバヒュンという手榴弾の炸裂音。

 二秒待ってからコマツが突撃の継続を叫ぶ。

 四〇メートル。

 三〇メートル。

 二〇メートル。

 その時、いくつも折り重なった死体の陰から視線を感じた。

 俺は一歩強く踏み込むと、最後の身代わり御札を巻きつけた手榴弾を全力で投げつけた。

 秋津島から来た外野手の放ったレーザービームのように真っ直ぐに飛んだそれは、死体の山の直前でちょっとありえない規模の爆発を起こし、俺たちをふっとばした。


 俺が気を失っていたのは何秒ほどのことか。

 なにか気持ち悪い、強い気配を感じて俺は目を覚ました。

 ガバリと身を起こすと、ナザル大尉と佐々三等官、コマツとヒラオカが窪地の直ぐ側にしゃがみこみ、その中を覗き込んでいた。

 俺の直ぐ側にはレイザーも倒れていた。その身を検めたが怪我はない。単に気を失ってるだけだった。仰向けにして、ぺしぺしとほっぺたを叩くと、少しうめいて薄っすらと目を開けた。


「にい……ちゃ……」


 爆発の衝撃が強かったのか、それとも倒れたときに頭を打ったのか。

 レイザーはベッドの中での俺のあだ名を口にしかけた。

 俺はレイザーの頭をそっと浮かせて、水筒を口にあてがってやった。


「まだ任務中だ。ウジサトたちはどうも制圧できたらしい……ちょっと見てくる」


 レイザーはまだぼんやりした目で、こっくりとうなずいた。

 その手にM4カービンを握らせ、俺は自分の頼りない手に持った05式カービンを点検した。ヒビの入ったナイロンプラスチック製弾倉をその場に捨て去り、新しい弾倉に交換する。

 用心深くあたりを見回し、そろそろとたちあがり、ゆっくりとコマツのそばへ。


「よう、起きたか」

「……これは」

「なんだよ、感動のご対面だぞ。ちったぁ喜べよ」


 俺たちの眼下には、ぐじゅぐじゅといやらしい音を立てて蠢く肉塊が一つ。

 正直、どこからナシード・イブン・ナザルで、どこからウジサトかわからない。

 他にもバラバラ死体が山盛りで、気持ち悪いのを通り越して、できの悪い前衛アートみたいな光景だった。


「これはどういうことです、佐々三等官」


 ナザル大尉が気色ばんだ声音で質問する。

 佐々三等官は後ろを振り返り──今や生き残っている陰陽師は彼だけで、彼自身も顔中の穴という穴から血を垂らしていた。ウジサトの呪術は、あの状況でもそれほどの犠牲を払わないと祓えないものだったってことだ

 彼はため息をついて肉塊に向き直った。


「君たちの攻撃が、氏郷とナシードの肉塊を混淆させてしまったらしい。氏郷の長寿は彼が自身にかけた呪い、ナシードの不死性は七星剣の作用だ。術式は違うが性質は近い、というより、これは……七星剣の作用を逆アセンブルし読み解いて、同じ術式を組んだ……?」

「あー……つまり、同じ術式で保護された肉体が交じると、こうなる?」


 佐々三等官の推論にヒラオカが合いの手を入れると、佐々三等官はうなずいた。


「……焼き払いましょう。こうなっては彼らは元通りになるのは不可能です。このまま高温で灼けば、七星剣もなまくらなただの鉄になるだけです。七星剣の呪いも、それで解けましょう」

 

 まだ聞きたいことは山ほどあるのに、と佐々三等官が吐き捨てるようにつぶやくと、ナザル大尉が自分のテルミット焼夷手榴弾の安全ピンを抜いた。


「ナシード。国外に出た俺の代わりに家を守ろうとした弟よ。話を聞いてやれなくてすまない……お前は俺の代わりにすべてを失ったというのに。……いずれ地獄で会おう。向こうで待ってろ」


 その言葉を聞いて、俺たちは窪地から下がった。

 ナザル大尉が焼夷手榴弾を窪地に投げ込み、そのスプレー缶じみた物体が肉塊にぶつかったとき、不格好な口が肉塊に出来た。


「我々の……勝ちだ」


 その口は確かにそう言い──次の瞬間、テルミット反応の業火に覆われた。

 肉塊は灼かれながら、はっきりと笑い声を上げ始め、それは哄笑へと変わり、俺たちが立ちすくむ中、やがて燃え尽きて笑い声は止まった。


「なんだって……?」


 コマツが消し炭になった肉塊を見つめながらつぶやいた。

 北の方から、不意に強い腐臭が漂ってくる。

 グールどものうめき声もする。


『マイル44、マイル44! ロメオ22だ! 直ちに火力支援をよこせ!』


 突然、エディのチームとの回線を開けていた無線機ががなり始める。


『どうしたロメオ22!』

『こっちの正面に展開していたグールどもが、急にコントロールを失って暴れ始めた! やつら自分たちの死霊使いネクロマンサーまで喰い始めたぞ! 今のうちに全部仕留めないと、まずいことになる!』


 それを聞いた俺たちの背中を冷や汗が濡らした。

 あの肉塊はなんて言った?


 我々の勝ちだ。


 奴は、奴らはたしかにそう言った。

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