ヴァルキューレの騎行②
「調子に乗るんじゃねぇぞ餓鬼どもぉおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
二五〇メートルも離れているのに、ウジサトの怒鳴り声ははっきりとそこらに響き渡った。
もちろん俺達は全力で銃撃を加えていた、が。
「なんだぁ!?」
「弾が逸れるぞ!?」
ウジサトの周囲三〇メートル周辺は、弾があらぬ方向に逸らされていた。
その証拠に、奴らの周辺に盛んに土煙は上がるが、被弾して倒れる奴は一人もいなかった。
ナザル大尉のチームの一人が持っていた軽機関銃、その射弾に含まれる
「ファック!」
一言叫んだレイザーがズドン、とライフルを発射した。
あいつが狙った標的、ナシード・イブン・ナザルには何の影響もなかった。
「
レイザーの悪口雑言に、俺たちは心底同意した。
そうこうするうちに一〇秒が経った。
「大尉殿! 時間です!」
「援護する! 行け!」
俺は残り五枚の身代わり御札、その一枚を適当な石ころに巻きつけて、ぽいと一五メートルほど離れたところに放り投げた。
ぶかぶかの戦闘服のポケットには、同じく石ころがもういくつか。
「レイザー、ジョニーは任せたぞ!」
「アイサー!」
と、コマツ達と言葉を交わして窪地を出ようとした瞬間、さっきの小石が爆ぜるとともに、周りじゅうに敵の弾着が発生した。
あまりに銃撃が激しいものだから、俺達は一人残らず窪地の地面に顔を押し付けてそれに耐えなきゃならなかった。
「くそったれ!」
誰かが叫び、俺は指の先に四倍ズームの目玉を一つこさえ、そっと敵に向かって伸ばした。
山を下り始めたころ、奴らは七〇人から八〇人近くいて、うち二〇人ほどがグールだった。
窪地から脱出しようとしていたその時は、シルエットの合計で五〇人強、発砲炎は二二個あった。
さすがは一五五mm榴弾砲一個中隊の射撃は圧倒的で、ただの一度で一気に二〇人も仕留めたことになるが、その代わり三〇人ほどがグール化していることになる。
さらに二度目の砲撃はナシードに撃墜されていた。
ついでに言えば距離が近すぎる。これ以上の砲撃を要請するのは最後の手段だ。
おまけに連中には軽機関銃が三丁はあった。
こっちにはナザル大尉のチームの一丁しかない。
「コマツ、だめだ! 脱出できない! 火力で圧倒されてる!」
ヒラオカの叫びを聞いて、コマツは盛大に舌打ちを漏らした。
無線機のマイクに噛み付く勢いで怒鳴り散らす。
「近隣のズールー! ズールー7だ! 何やってる! さっさと援護しろアホめ!!」
『ズールー7、22
『ズールー7、ズールー21です! 遅れてすみません!! いま現着です!』
戦闘騒音から漏れ聞こえる交信相手は、場違いなほどのんびりした女の声と、焦りがにじみ出ている甲高い声。
「なんでもいいからとっとと援護しろ! ぶっ殺すぞ!」
『んちゃーす、わっかりましたー。フユコちゃん、やるっすよぉ』
『すいません! 馬鹿アサヒ、アンタの班はLAM攻撃! マユズミ班、掃射!』
すると俺達の右手前方、ウジサトたちからすれば左側面から、盛大な銃撃音と
「今だ!」
ナザル大尉が声を張り上げ、俺は身代わり御札を貼った石ころをそのへんに投げつけた。
ヒラオカが煙幕手榴弾を窪地の手前に転がす。
シュウウ、という音とともに煙幕が広がり、それに隠れて俺達は走った。
「ハァーーーーーーー!! 無駄なあがきをぉ!!」
後方からはウジサトの胴間声。
その声に俺は振り向いたが、煙幕に遮られて何も見えなかった。
だがじきに俺達を援護していたズールー22と21──ゼロ中隊の二個チームが展開したあたりから、激しい銃撃音が巻き起こった。
コマツが無線になにか言おうとしたところ、煙幕のすぐ向こうで立て続けに激しい爆発がふたつ起きる。
さっき仕掛けたクレイモア散弾地雷が爆発したんだ。
俺とコマツとヒラオカは走りながら顔を見合わせ、みんなして妙な顔をした。
「コマツ、いくらなんでも」
「ああ。どんなに走ったって」
「こんなに早く引っかかるわけがない」
クレイモアは窪地から五〇メートル北に仕掛けた。
奴らが隠れていた水路からクレイモアまでは二〇〇メートル。
奴らが水路から這い出して一分は経っていないし、ウジサトががなってから一二秒そこそこしか経っていない。
二〇〇メートルを一二秒で走り切るのなんて、人間には無理だ。
そう、人間には。
その事実に思い至ると同時に振り向いた俺の目に飛び込んできたのは、土煙を突き抜けて全力疾走してくるグールどもだった。
冗談じゃない!
常人より早く走るグールなんて、ハリウッド産だけにしてくれってんだ!!
『せんぱぁい! やばいっす! こいつらちょー走ります!』
「見えてるよ! くそったれ!」
ズールー22が無線の向こうで悲鳴を上げ、コマツががなって足を速めた。
ナザル大尉のチームメンバーが振り向いて銃撃しようとしたが、ナザル大尉は重量物を捨てて走れと叫んだ。
「おにぃ! ごめん!」
「え、な、うわぁ!?」
俺を脇に抱えて走っていたレイザーは、俺を宙高く放り投げると砂を巻き上げ滑りながら振り返って膝をついた。
マクミランを背中に回し、それとは別に背中に吊るしていたM4を構える。
「かかってこい!
レイザーは一声そう怒鳴ると、グールどもに向かって猛然と銃撃を開始した。
「
二〇〇三年のカンダハール南方を彷彿とさせる勢いで、罰当たりな言葉を吐き出しながら、ほんの九秒ほどで一二体ばかりのグールをやっつける。
だがその間に一体のグールが、レイザーまでほんの数メートルまで近づいた。
そのグールに照準しようとして、俺は妙な事に気がついた。
時間の流れがやたらと遅く、自分のぶよぶよした体内で細胞が流動する音が轟々と鳴り響く。
グールの頭部にダットサイトの赤く輝く照準点を重ねようとするが、じれったくなるほどゆっくりとしか、俺の体は動かない。
くそ、間に合わない。
このままじゃレイザーは、エリザベートは!
俺が勝手に覚悟を決めかけた時、そのグールの頭が吹き飛び、全力疾走していたそいつはのけぞってレイザーの横に倒れ込んだ。
「無事ですか!」
ライフルを構えたままそう言ったのはタナカだった。
「やるじゃんタナカ」
「伍長、君もだ。助かった」
コマツがタナカに声をかけ、ナザル大尉もレイザーを褒めた。
レイザーは少しばかり憔悴した様子で唇を捻じ曲げる。
立ち上がろうとして、逆にストンと尻餅をついた。
「レイザー、バカ、無茶しやがって。噛まれたらどうするつもりだった」
駆け寄って肩を貸すと、レイザーは震える声で、それでも気丈に笑ってみせた。
「ジョニーがいるなら、少なくとも死なずには済むかなって」
ごめん、腰が抜けちゃってと苦笑する彼女の健気さに、俺は胸を打たれた。
だが、俺が何かを言うより早く、ナザル大尉とコマツが口を開いた。
「すまんがイチャつく暇はないぞ。煙幕が残っているうちに次の行動に移る」
「マイル44。アルファ・ズールー7だ。今のはさすがに見えてたろ。所定通り二手に分かれるか? またさっきの足速えのがでてきたら、各個撃破されちまうぞ」
気がつけばズールー22と21の布陣した方角の銃声は止んでいた。
彼女たちは無事だろうか? 多分無事だ。
彼女たちの背後の村々には、すでに帰宅した村人たちが多数存在する。
もしグールの突破を許していたら、村人たちの叫び声が聞こえるはずだった。
俺達はとりあえず目の前の、泥で埋まっちまった排水路に飛び込んだ。
地面はぬかるんでいたが、排水路は大人の男の胸ぐらいの深さで幅も広い。
応急陣地としてはこの上なく使いやすい。
窪地からは八〇メートルばかりしか離れていないが、東西への交通壕代わりにも使えそうだった。
「ああ!? その場で待てぇ!? そりゃどういう……」
ロレンツォ中尉と無線で話してるコマツが声を荒げた。
その声を背景に、俺は改めてレイザーの体を検めた。
「大丈夫だよ、傷もついてなきゃ血も浴びてない。心配すんなって」
レイザーはくすくす笑ってそう言ったが、声はまだ少しだけ震えていた。
「……すまない。俺がこんなじゃなきゃ」
俺は情けなかった。
自分の相棒をまともに助けられずに、足を引っ張るだけだなんて。
けど本当に、レイザーはそんなこと気にしてないみたいだった。
それどころか俺を元気づけようとさせしてくれたんだ。
「そんなに気にすんなよ、ほんとに大丈夫だから。でもそんなに気になるならさ……ちょっと耳貸せよ」
奴はそう言って俺を抱き寄せ、その唇を押し付けんばかりに俺の耳に寄せた。
「もし俺が手足を失って引退することになったら……おにぃも引退して俺の面倒見てくれよな? 俺は赤ん坊扱いされて、スケベなこともいっぱいされて、そうやって過ごすんだ」
身を離してレイザーの顔を見ると、あいつは顔を真赤にして恥ずかしそうに「にしし」と笑った。
それで俺は確かに元気になったが、心配して損した、とだけは言わなかった。
そんなこと、言えるわけない。
◇
そうこうしているうちに──と言っても排水路に飛び込んでほんの二〇秒ほどだ──何者かが複数人、排水路に飛び込んできた。
当然俺達は反射的に銃口をそちらに向ける。
「待て! 私だ、小松くん」
飛び込んできたのは佐々三等官率いる、宮内省
全部で六人。
みんな例の迷彩色のぶかぶかしたキモノを着て、プレートキャリアを身に着け、〇四式カービンを携えていた。
その〇四式カービンにはベタベタとお札が貼り付けられ、左肩には止血帯やナイフや手榴弾じゃなくて、お札が二〇枚ばかりマネークリップに挟まれてくくりつけられている。
「ここからは私が陣頭指揮を取ります。君たちはこの排水路を使って、所定通り南東と西の廃屋へ向かってください。氏郷惟幾一党を包囲し、殲滅する。少ないが水と弾も持ってきました。使ってください」
佐々三等官がそういうと、彼の部下がクレイモアの搬送バッグを二つ三つこちらに差し出してきた。
中には5.56mm弾のマガジンと、水の一オンスペットボトルがぎっしり。
「氏郷は呪術師としては天下無双ですが、どうにも戦が下手すぎる。だからこんなにだらだらと意味のない殴り合いをすることになる。おかげでこちらも用意が整いました。あの我が国の恥晒しを、今ここで仕留めます。もう少し、ご協力ください」
俺達に否応はない。
あのウジサトはグールを走らせることができる。
そんなもんを世界にばらまかせるわけには行かない。
あんなのが人口密集地に一体でも出ちまったら、この世の終わりだ。
「つまりは決戦てわけですね」
と、誰かがつぶやき、佐々三等官はそれに力強くうなづいた。
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