バッドブラウン・スノーホワイト③

 ジャララバードのほど近く、G砂漠の入り口に差し掛かると渋滞が発生していた。

 何事かと前方を覗き見ると、十字路にの真ん中で陸軍のハンヴィーがパンクしたところに、地元の工事用車両が軽く接触したようだ。

 早くも集まりだした現地民と下車した陸軍歩兵たちが、殺気立って言い争いを始めていた。

 それもそのはず、陸軍の連中はこれから戦闘任務で前線に移動してるとこ。

 そこに突っ込んでくる車がいたら? 煮詰まった頭で考えられることは一つだけ。

 ダンプから引きずり降ろされた運転手と助手が、乱暴にハンヴィーのボンネットに叩きつけられたのが見えた。

 

「アレ、不味くないっスか?」


 俺が声を上げる前に目を覚ましていた海兵の仲間たちは、みな立ち上がって前方を見ていた。

 そうするうちに同乗していたトラックも停車する。


「ヤバいな。この辺りで工事してるっていったら、例の水路工事の連中だろ」

「陸軍の連中を止めに行きましょう。このままだと俺たちの任務に支障が出る」


 フォース・リーコンのシマムラ上級曹長が提案し、エディは眉間にシワを寄せながらうなずいた。


「よし、皆ついてこい。ワッツ曹長、すまんが君らもつき合ってもらうぞ」

「伝説のドクター・サーブにいつか会いたいとは思っていましたが、これじゃ印象最悪な出会いになりそうですね」


 ワッツ曹長のぼやきに、俺たちは様々な表情で同意を示した。

 俺たちゃ好き好んで海兵やってるが、別に好き好んで人の恨みを買いたいわけじゃあない。



 結論から言えば、水路工事に関わる連中とのトラブルは迅速に解決されたし、水路工事を取り仕切る伝説のドクター・サーブとは比較的友好的な出会いとなった。

 

 事故現場に到着すると同時に、現場で張り切ろうとしてた新米中尉──当時のアフガン・イラク派遣部隊の小隊長は中尉が任じられていた──に無線機の送受話器トーキーを突き出すと、やっこさんは顔を真っ青にしながら運転手たちの拘束を解除させた。

 無線の向こう側ではハメル大佐の怒鳴り声。大佐はアフガニスタンの風土も人々もそんなに好きじゃなかったが、任務を果たすことについてはどこの誰より大真面目。

 水路工事の連中を敵に回すな、ということを全軍に徹底させようとしていたのは、実は彼自身にほかならない。


 拘束を解かれた運転手たちはちょっとした傷を負っていた。

 このあたりの衛生事情はよろしくないし、怪我をさせたのはこっち側。

 何より俺たちゃ衛生兵だ。

 怪我人を前にして、敵も味方もあるもんか。

 なもんで、いつも通り規定よりも幾分多めに持ってきていた民生用の消毒液やら包帯やらを使って手当していると、果たしてそこへおっとり刀で駆けつけてきたのが、ドクター・サーブことオカジマ医師。

 彼はほんとにちんちくりんだったが、それでもほかの誰より覇気と慈愛に満ちた大きな男、というのが俺の受けた印象かな。

 日に焼けた赤銅色の肌、きれいに整えられたひげ、と頭髪は銀白色。節くれだったその手は医者というより土木労働者のそれだった。

 司令部も陸軍に同行するのはやめて彼らから出来る限り穏便に話を聞けと言うので、俺たちはドクター・サーブに丁寧に挨拶し、運転手たちには改めて頭を下げた。


 びっくりしたのは彼らの方だ。

 アフガニスタン人にとっての外国人とは、おおよそ以下のような存在だ。

 独りよがりで押し付けがましく、何から何まで上から目線で口出ししてくる、そのくせパシュトゥン語やタジク語の一つも覚えようともせず、無礼極まりない。

 それだけならまだしも、慈善事業と銘打って現地に必要ない建物や水路を作り、どうかすると爆弾やら銃弾の雨を降らせてくる。

 ペルシャは合衆国を悪魔だ大悪魔だと呼んで久しいが、アフガニスタン人にしてみれば、ロシア人も合衆国人もブリテン人もフランク人もどいつもこいつも、誰も彼もが悪魔だったに違いない。


 その悪魔がアフガニスタン人を治療し、あまつさえ謝ってくるなんて、彼らにしてみりゃ晴天の霹靂ってもんでさ。

 あっけにとられた彼らの顔はまったくもって見ものだったが、俺はそれより気になることがあった。

 ドクター・サーブにくっついているボディーガードの一人に、見覚えがあったからだ。


「大事なスタッフを救ってくれてありがとう。なんとか礼をしたいのだが。食事でもどうだろうか」


 ドクター・サーブはそう言ったが、俺たちは固辞した。


「下手に俺たちと仲良くすると、旧政権側のゲリラに襲われちまいますよ」


 とエディが言うと、ドクター・サーブは苦虫を噛み潰したような表情をした。

 彼のISAF有志連合軍嫌いは有名だったが、その理由はアフガン人とまったく同じ。

 つまり彼は嫌味を言われたのかと勘違いしたわけだ。


「何を言うのかね。君たちは私の大事なスタッフを救ってくれた。命の恩人に対して礼もしないのでは、沽券にかかわる」


 それでもそう言ってのけたドクター・サーブは、本当に大した男だった。まるで根っからのパシュトゥン男じゃないか。

 彼が本当はクリスチャンだなんて、信じられるかい?

 ともあれそれを聞いて、エディは緑色の顔をにっこりさせた。


「なら、あの山の麓に行くまでの間、ちょいと世間話につき合ってください。自分らにはそれで十分です」


 エディは砂漠の北に見える山を指差し、ドクターたちは釈然としない表情のままうなずいた。



 G砂漠を横切る水路工事。

 工事は最終局面を迎え、あとわずか五〇〇メートルの護岸を残すばかりだという。すでに水路終点一キロメートル手前まで通水しており、灌漑が開始されていた。

 俺たちはのんびりと、柳の植わる水路脇の護岸道路を歩いた。

 隊列は先頭と最後尾に武装偵察隊のメンバーがつき、真ん中にドクター・サーブとエディとワッツ曹長。その後ろに俺とレイザーと、例のボディーガード。

 ドクターたちの世間話は、任務のことにはさらりと触れたものの、主な内容はなぜ医者が水路を掘っているのか、ということだったようだ。

 ドクター・サーブ曰く「農地の砂漠化による飢餓と飲料水の不足を解決しなくては、いくら病院を建てたり診察・治療しても無駄になってしまう」というのが、水路建設の理由だったそうだ。

 特にクナール州からニングラハル州にまたがって流れるクナール河流域地域は、アフガニスタンの全穀物生産の二〇パーセントを支える大穀倉地域だ。その農業地域が、近年の降雪および水の不足によって、ここ数年大旱魃に見舞われている。

 アフガニスタンから難民が発生する理由はまさにそこにあって、内戦の集結だけでなく、この地域の農業生産の復興こそがアフガニスタン復興の鍵だと、ドクターは二人に熱く語っていた。


「その成果が、この砂漠を渡る涼しい風、というわけだ」


 俺はひどく感心して──いや、違うな。

 俺はあまりにも感動が大きすぎて、そのとき感じた気持ちをうまく言い表すことが出来なくかったんだな。

 だからきざったらしいセリフしか吐けなかったんだ。

 なにしろ水路のおかげで復興した農地は数千ヘクタール、土地に帰ってきて農業を再開した家族は十数万家族に及ぶ。

 ひどく感心してたのはレイザーも一緒で、いつものように狙撃兵を警戒してはいたけれど、周囲の風の精霊の穏やかさに目を細めていた。


「どうだ、すごいだろ」


 と、ブリテン語で自慢気に語るのは例のボディーガード。

 俺とレイザーはうなずいた。


「言葉もないよ。この地域の長老会が旧政権にも暫定政権にもゲリラにも『ドクター・サーブたちに手を出すな、もし出したら地の果てまでも追い詰める』っていうのも無理ない。マジで、すげぇ。マジで」

「この砂漠は別名『旅人殺し』つってな。幅はわずか五キロメートルしかないが、極度に乾燥してたんだ。大昔からこの砂漠をショートカットしようとして、多くの旅人が命を落としたそうだ。だが、見ろ」


 と、ボディーガードは空いている方の手を広げて、周りを指し示した。

 幅四~五メートルの水路の両脇には柳並木。

 護岸は鉄の網カゴに入れられた、きっちり組まれた石組み。

 水路の北側には大量に植樹された紅柳による防砂林。砂漠はその背後にようやく見える程度。

 道路と俺たちを挟んで南側には、広大な緑の農地。

 このあたりがつい去年まで砂漠だったなんて、嘘みたいだ。


「俺みたいな壊し屋でも、この凄さはわかる。まさに奇跡だ。地球からいなくなっちまった神々が地上に遣わした、正真正銘の奇跡」


 ボディガード──秋津島皇国軍義烈空挺隊ゼロ中隊のコマツ曹長は、そう言って屈託なく笑った。

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