新緑の地獄③

 集合時間を勘違いして、遅れてやってきたヘリクルー。

 彼らの操縦するUH-1Nに乗って、俺たちは事件の現場を目指した。

 眼下に広がるのは、刈り取りの終わった冬撒き小麦の畑と、緑の広がるスイカや牧草の畑。

 ヘリの進路前方、向こうに見える谷の奥地のみずみずしい緑は、件のケシ畑だ。


「新緑の地獄、だな」


 レイザーがポツリとつぶやいた言葉が、俺の心に妙に響いた。

 谷間への入り口には赤十字を描いた陸軍のトラック。



 事件現場ではすでに銃撃戦は終了していた。

 だが、訓練未了とはいえ一人一人が歴戦のゲリラ戦士であるアフガン軍と、上に命じられるまま不用意に入りこんだドイツ軍とでは、被害の違いは明らかだった。


「こいつぁひどい」


 とワッツ曹長が顔をしかめた。

 足元にはドイツ軍の誰かの長い耳。

 周囲ではJQRFに捕まった陸軍衛生部隊が、トリアージし、止血し、あるいは担架で負傷兵を運んでいた。

 周囲には濃い血やケシの汁のにおいが漂っている。

 はらわたの匂いはあまりしない。


「海兵隊のメディック! こっちだ!」


 と呼ばれたほうを見ると、傾きかけた陽光の元、大きな一張のテント。

 その前で血まみれの手術エプロンを付けた合衆国陸軍の衛生兵が、これまた血まみれの手を大きく振っていた。

 テントは四床の手術が同時並行に行える広さと設備があったが、医者は軍医大尉が一名だけ。

 彼と看護衛生兵は一人の患者にかかりきりになっていた。

 アフガニスタン暫定政権軍の制服を着て、はらわたをはみ出させている、俺と同年代の兵士。


「重傷者の搬送と軽傷者の処置は終わった。長距離を動かせない患者の処置が必要だが、手が足りない。それで君たち腕っこきを呼んだんだ」


 白人の軍医大尉が額に汗を浮かべながら、サージカルマスク越しにモゴモゴと言った。

 ほかの手術ベッドは全部埋まっていて、生理食塩水のパックをたくさん点滴されてる負傷者が弱々しく蠢いていた。


「失礼ですが大尉殿、四八三衛生中隊でいらっしゃいますよね? ほかの隊員は?」


 陸軍四八三衛生中隊はOEF-A司令部直轄の衛生部隊だ。

 それまでに何度か手伝ったことも有る、装備も兵員もとても優秀な衛生部隊だった。

 それがなぜ一個分隊にも満たない人数で活動しているのか?


「ここにはチヌークが着陸できない。それで急遽ブラックホークで、このテントと半分隊だけ連れてきたんだ。他のメンバーはトラックで谷の入り口だ」

「なるほど承知しました、大尉殿。四分隊、直ちに救命手術準備。準備でき次第、執刀を始めろ。スティールと俺はこっちのドイツ軍曹長、ジャクスンとファースタンバーグはそっちの少尉殿だ。かかれ」


 ワッツ曹長の号令一下、俺たちは組に分かれて動き始めた。

 まず戦闘装備を解き、俺とスティール一等軍曹は戦闘服の上着も脱ぐ。

 バックパックからありったけの生理食塩水と、手術用具を取り出す。

 ワッツ曹長とレイザーは滅菌パックから取り出した新品の手術着を戦闘服の上からかぶり、俺たちぶよ&ぬめが後ろで止め紐を結んでやる。俺たちぶよぶよスライムぬめぬめテンタクルズは、体表組織を常に強力な殺菌作用のある粘膜組織で覆っているから、こういう乱暴が出来る。

 ヘルメットの代わりに手術帽をかぶって、準備完成だ。


 件の少尉殿の体表から見える出血点はただ一箇所、右脇の下だけ。

 その割には呼吸は浅く、血圧も低下、心拍数は低下傾向。唇は真紫で、血の気が引いた肌は青白い。

 典型的なチアノーゼ症。

 すでに意識は朦朧としており、一刻の猶予もない。


「少尉殿、少尉殿、聞こえますか。私は合衆国海兵隊ジョニー・ジャクスン三等軍曹です。お名前を言えますか」


 長耳のすぐそばから発生した俺の大声に、年若いエルフの少尉殿は薄っすらと目を開けた。


「……ツ……ヨハン……クラウツ……ドイツ国防軍……少尉」


 クラウツ少尉は視線を巡らせ、レイザーに目を留めた。

 それから彼は……そんな状況にも関わらず、侮辱的な言葉を吐いた。


「……ろんぼかよ」


 その瞬間、レイザーが彼の首筋に振り下ろそうとしたメスを受け止めることができたのは、全くの偶然でしかない。


「よう、相棒バディ……仕事中だぞ、ぼさっとすんな」


 俺が努めて穏やかにそう言うと、レイザーは呆然とした表情を俺に返す。

 俺は気取った態度で肩をすくめ、クラウツ少尉の耳に口を寄せた。


「なぁ坊や……俺たちにあんまり舐めた口をきくもんじゃない……言ってる意味がおわかりになりますか? サー」


 少尉殿は目を見張り、俺はこのアホが余計な口を叩かないように、体内で生成した強心剤と麻酔成分を傷口からたっぷりぶち込んでやった。

 周りの連中は、陸軍の連中もスラブ系のドイツ軍曹長も、もちろん海兵隊の仲間たちも、何にも言わなかった。



 クラウツ少尉から装備一式を戦闘服ごと取り除くと、見た目以上にひどい状態ということが知れた。

 プレートキャリアをかすめ右脇下から侵入した5.56ミリ弾は、防弾プレートをかすめたときに弾体構造が破壊され、まず鋼製の弾芯が肉体へ貫入。

 弾芯は右第三肋骨をへし折ると同時に大きく角度を変え、右肺を貫通して右肩甲骨に突き刺さって停止した。

 続いて銅製の被帽ジャケットと鉛の重りが、不安定な弾道で肉体へ貫入。被帽ジャケットの破片は腋窩静脈と外側胸動脈を傷つけ、大出血を発生させた。鉛の破片は折れた肋骨にまともに当たり、粉砕骨折を発生させ、筋膜をひどく損傷させていた。

 これらの所見は全て、少尉の傷口から侵入させた俺の左人差し指、その先端に作った超高感度視覚によって得た。


「出血が銃創から胸腔と肺に流入。空気漏出により軽度の気胸発生。銃創を切り開くと同時に胸腔ドレナージ実施。大血管は止血する。爾後、骨や銃弾の破片、衣服の繊維、挫滅した組織を除去しながら、右肺に溜まった血液をドレナージ。ドレナージ完了後、破れた肺、血管、筋膜、神経、筋肉を縫合する。骨の再生はドイツ軍の医者に任せる。よろしいか」


 気を取り直したレイザーが、生真面目な表情でうなずいた。


「よろしい。手術を開始する。メス」


 傷口を切り開いた時の光景は忘れられない。

 わかってはいたんだ。だが、わかってはいた以上に、ひどかった。

 クラウツ坊や──本当は俺より年上かも知れんが、知ったことか──が命をなんとか取り留めたのは、かなり奇跡に近い。



 スラブ系の曹長の状態も似たようなもんだったが、スティール一等軍曹とワッツ曹長は鮮やかに措置してみせた。

 残る一人、ドイツ系白人のがっしりした伍長は、クラウツ坊やほどひどくはなかった。

 ただひどく面倒なだけだった。

 つまり、どでかい肩の筋肉を貫通した5.56ミリ弾の鋼鉄弾芯が、上大動脈の表面にほんの少し食い込んだ状態で止まっていたわけだ。

 スティール一等軍曹が押し広げた傷口から入り、破片の除去に成功した時は、その場に倒れ込んじまうかと思ったよ。

 

 大尉殿は一通り俺たちを褒めちぎると、撤収の指揮に取り掛かった。

 レイザーがメスを取り落しかけた件については、触れもしなかった。

 さっと商売道具を畳んだ俺は、バックパックを持ってテントの外に出た。

 周りでは投光器が設置され、ISAF主体の現場検証が始まっていた。

 夕風に当たりながら一服つけていると、後ろから肩を叩かれる。


「よう、お疲れ」

「お疲れさまです」


 ワッツ曹長だった。

 彼はハバナ産の細巻きを取り出し、吸口を歯で噛み切って火をつけた。 

 葉巻は煙が濃すぎて肺にまで入れられない。

 ある意味では紙巻きタバコより健康的だ。

 

「レイザーは?」

「スティールの片付けを手伝わせてる。お前が居て助かった。だが、今回の件は俺の指揮の間違いだ。大事にならなくて助かった」


 そう言って彼は肩をすくめた。言外に、そうでもないことを漂わせている。

 しばらく二人で立ち尽くし、眼前の風景を眺めながら煙をくゆらせる。

 葉巻を半分ほども吸ったところで、ワッツ曹長はおもむろに口を開いた。


「ジャクスン。今回の現場、おかしいと思わないか」

「おかしい、とは」

「アフガン軍はともかく、ドイツ軍はほとんどが右側面に創傷があった。側面から攻撃されたんだな」

「ええ。待ち伏せによる奇襲、ということになります」

「おかしくないか? このケシ畑は新旧アフガン軍も俺たちも、誰も入っちゃいけないところだ。だが実際は、ISAFのアホが偵察をねじ込み、アフガン軍がそれを待ち伏せ、そして肝心の村人は阻止線を張らなかった。それどころか今に至っても苦情の一つも言いに来ない」

「そう言えば、変です。確かに」

「めちゃくちゃ変だ。昨日のアノニの件といい、絶対に何かある。俺はこの件を報告しようと思う」

「わかりました。ロレンツォ中尉には俺の方から一報入れます」

「頼む。──ファースタンバーグが出てきたぞ。まだぷりぷり怒ってる」

「やつの面倒は俺が見ます」

「いつもどおりにな。夕食後、二人で四号需品室の在庫チェックと需品の補給分をピックしろ。多少時間かかっても構わんぞ。今日はだいぶ消耗品を使用したからな」

「イエッサー、喜んで」

「俺はヘリを呼んでくる。ファースタンバーグに一息つけさせろ」

「アイアイサー」


 そうして俺はワッツ曹長と別れ、レイザーの方を振り向いた。

 

 その時だ。

 風向きが変わり、谷の奥の方からほんの一瞬、あの腐臭が漂ってきたのは。

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