ノー・リーズン
奴らのねぐらは地下にあった。
地下と言っても都市の地下じゃない。
チグリス川東岸の古代アッシリアの遺跡、ニネヴェの地下だった。
ニネヴェはチグリス川に合流する細い川、その南北を挟み込むように存在する二つの丘を利用した城塞跡だ。二〇〇七年時点で残っていた遺構は城塞の壁と、北の丘の上の城砦跡だ。
で、「ニネヴェの遺跡の地下がねぐら」とはいえ、流石にイスラームのどでかいモスクの建つ南側の丘の真下ではなく、さらにその南東の隅、アシュラフの店から一キロメートルと離れていない辺りのスラム周辺に出入り口はあった。
俺たち──つまり、モスルに住む、事情を知るすべての人たち──は一週間かけて、奴らをそこに押し込めた、と言い換えてもいい。
◆
その日の早朝、出発前のことだ。
俺たち
ガチャガチャやっていると、準備を終わらせたロボが寄ってきた。
「ゴッディ、聞いたかい? ゴッディが仲良くしてた悪ガキたちが……」
「聞いたよ。アノニと疑われて襲われて、大怪我したって……クソったれ」
俺はそのへんに唾を吐いた。
へっ、二本脚のマネもここまで来ると極まれり、だ。
「俺もあの小僧ども好きだったんだけどな。リンキンのCDやる約束してたんだ」
「わたしは弁当屋のヤスハーンさんかな……死んじゃったけど」
周りの連中も、普段仲良くしていて今回の事件に巻き込まれた人々のことを口にし始めた。みんなこの街のことを好きになり始めていたんだ。
もちろんそうじゃないやつもいた。
四班のデイブ・マッケンジー伍長は、いとこがファルージャで死んでいた。撃った野郎は自分の嫁さんを盾にして逃げたそうだ。だからデイブはイラク人をものすごく嫌っていた。
そのデイブはいつもぶちぶち文句垂れながら任務にあたっていたんだが、その日は違った。
黙々と熱心に準備をすすめるヤツを見て、同じ班のバーネットがちょっとばかり茶化したんだが、デイブはちょっと考えてこう答えた。
「この街はそっとされるべきだ。俺たちからも、イカレ野郎どもからも」
全くその通り。
普段のヤツからは考えられなかった。
あいつはいつも「イラ公同士殺し合いたいなら勝手にやらせとけばいいんだ。こっちに銃口向けたらぶっ殺してやる」って言ってたんだぜ!
そして三班か五班の誰かが、ちょっと大きな声を出した。
「ヘイ、ジョニー。ゴッドスピード! CDかけろよ。なんかアガるやつ」
「おうよ」
待機所の隅に誰かが置いてたCDラジカセに俺が放り込んだのは、ハミルトン曹長の部屋で旦那のハミルトン少佐にもらった海賊版CD。
一曲目はギターのインスト曲でグイグイとテンションを押し上げ、本国でもクソほど流行った二曲目のイントロの「Hi! Hi!」って掛け声で、俺たち全員ひとり残らず唱和した。
俺たちゃ海兵、地獄の番犬。
ワケも分からず敵を食い殺す。
俺たちが変わる理由なんてあるわきゃない。
俺たちみんなおっ
俺たちゃ海兵、地獄の番犬。
ここで奴らをやっつけるんだ。
奴らが合衆国へ殺到しないように。
俺たちみんなおっ
そんなわけでハミルトン曹長がシンクレア大尉を連れて現れたときには、俺たちは一〇代のガキどもみたいにすっかりアガりきって、そろって闘犬のような目つきになっていた。
◇
俺たちは市民の通報を受け、遺跡の東南端に急行した。
参加兵力は俺たち
『Tマイナス十五! 五分後に駐屯地付近でスンニ派の反米デモが始まる! CIAと元イラク秘密警察の連中で群衆制御を行うが、二〇時までに作戦目標を達成できない場合は制御困難になる! 迅速にやっつけるぞ! 現在一一四六時! グールどもの数はおそらく四〇〇近く!
ハンヴィーではなく
『フーア!!』
俺たちは大声でそれに応える。
言われんでもやってやるさ。
俺たち
◇
デモ隊にはいくつか見知った顔があって、俺は思わずそっちに駆け寄った。
「親父さん! あんたこんなとこでなにやってんだ!」
「おお、ぶよぶよのあんちゃんじゃねぇか。なぁに、ちっとした野暮用さ」
俺が声をかけたのは、いつも揚げ菓子を買ってるシーア派のおっちゃんだった。
周りの中年の男たちは明らかに元軍人、それもよっぽど鍛えられたであろう連中だった。
その中心にいる枯れ木のようにやせっぽちな親父さんは、普段の何倍も大きく見えた。戦意というか、訓練教官たちのような気迫を全身から溢れ出ていたんだ。
違和感があるどころの話じゃないが、俺も言うべきを言わなくちゃいけない。
「ここは危なくなる! ここから離れるんだ!」
それを聞いた雑貨屋のおっちゃんは、しわくちゃの顔をにぃーっとしわを深くした。
俺が怪訝な顔つきをしていると、横合いから馴染み深い声が聞こえた。
「アッバース少将、相変わらず若い子をからかうのがお好きなのね?」
手下を引き連れたクルド人の女頭目、ザヒルさんだった。
シンクレア大尉とハミルトン曹長もいっしょだ。
ザヒルさんはいたずらっぽく笑って言った。
「ジャクスンさん、こちらアッバース少将。旧イラク第五軍団指揮官よ」
「そんなに早くバラすな。つまらんだろうが。それに元少将、だ。いまはただの雑貨屋の親父よ」
俺は慌てて背筋を伸ばして敬礼した。
「ハハハ。どうしたあんちゃん。新兵でもあるまいし、今さら何を遠慮する」
親父さんことアッバース退役少将は、俺の背中をバンバンと叩いた。
見かけとは裏腹なその力強さに、俺は目を白黒させるばかり。
「よう、ジョニー・ボーイ。おめえらは、おめえらがあの腐れどもを呼び込んだと思ってるんだろうが、そいつぁ大間違いだ。むしろおめえらがワシらの
「
「おお、忘れるわけがないだろう、ザヒル! だが実に頼もしい!」
呵々大笑する老人と婦人。
その周りで睨み合っている男女の間には、殺気と、たしかに奇妙な連帯感のようなものが有った。
これこそがベテランてやつなのかと、俺はひどく感心した覚えがある。
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