ウォー・アンダーグラウンド⑥
晩飯を食べ終わり、マットを並べて敷いて、俺たちはだらしなく床に腰を落ち着けていた。
私物のポータブルCDプレーヤー、イヤホンから流れるのは例のCD。
疾走するギター、うねるベースライン、弾けるドラムス、哀愁と繊細さと若さゆえの荒削りさを併せ持つメロディックなボーカル。
これをアシュラフは聞いていて、これ見よがしに残していった。
ノーパソのパスワード入力に回数制限がないあたり、明らかに中身を見せたがっている。
誰に?
奴を知るもの。
奴のほんの一部でも知る、この俺にだ。
アシュラフ・アッディーン。
三二歳。
タジク人。
生家は北部同盟支配地の寒村。
一六歳から二二歳までを北部同盟の兵士として過ごす。
二三歳を目前に負傷除隊。タジキスタンとの国境の村で雑貨商となる。
妻を娶り子供を四人授かるが、二〇〇〇年にタジキスタンに買取に出かけている間に、敵対勢力の襲撃により家族をすべて失う。
アノニのシンパになるには十分な理由がある。
が、いつか海賊版でなく、まともな商品を扱いたいと苦笑していた姿と、どうにも結びつかない。
奴は一体何を考えていたんだ?
「それがわかりゃあ、パスワードもわかると思うんだよ」
安心したのか腹が膨れて眠くなったのか、ぐずりだしたレイザーに膝枕してやりながら、机から下ろしたノーパソに歌詞を一文節打ち込んでみる。
エラー。
「だめだぁー……なんかわかんない?」
「ジョニーにわかんないのに、あたしにだってわかるわけないよ」
俺の背中に抱きつき、肩からノーパソの画面を眺めていたアイシャはカラカラと笑った。
それから寝息を立て始めたレイザーを眺め、ため息を漏らす。
「かわいいね」
「おう。一等自慢の可愛いくてかっこいい相棒だ」
腕組んでふんぞり返って答えると、アイシャはクスリとした。
「あのね、笑わないで聞いてほしいんだけどさ」
「うん」
「あたしさ、あんたの子供が欲しいんだ」
「こりゃまた。からかうのはよしてくれませんか、二等軍曹。浮気はダメです」
思わず苦笑する。
サキュバスって本当にスケベなんだな、と、俺はその時そう思った。
浅はかな事だ。
もっとも、俺が女という生き物に対して、浅はかな判断をしなかったことなど一度もない。
これから先も、きっとずっとそうだ。
俺みたいな男は、女には逆立ちしたって勝てやしない。
アイシャは猫のように、俺に体を擦り付けながらレイザーの背後に回る。
そのまま抱きつくと、上になってる右脇に鼻面を突っ込むような姿勢になった。
表情は見えない。
密着したまま、んふーっとアイシャが息を漏らすと、レイザーが艶めかしい声を上げてビクッとする。
「エニワのときからさ、」
くぐもった声で、アイシャは切々と語りだす。
「うん」
「あんたたちの家族になりたい、レイザーが大好きなあんたの子なら、あたしも欲しいなって。あんたと、レイザーと。一緒のとこにいたいなって」
「俺たちは海兵だ。家族で兄弟だ。だろ?」
「最初はそれでもいいかなって思ってた。でも今は違う。もっと
俺は俺の軽口を呪った。
「……そこまで好かれてるとは思ってもみなかったな」
「あたしも、レイザーとアンタにこんなに惚れるなんて思ってもなかったよ」
アイシャが顔をほんの少し起こして、俺を見つめる。
「……俺はレイザーのもんで、レイザーは俺のもんだよ」
「ライフル信条だね。『我なくしてこの銃役に立たず、この銃なくして我役立たず』。あたしにはあんたたちが必要よ」
「……レイザーがなんて言うか」
卑劣怯懦の誹りならあえて受けよう。
ただ……俺は……そう言うことが自然なように思えたんだ。
そしたら、アイシャは目をパチクリさせて、明るい声を出してみせた。
「あー、うん、それは大丈夫じゃない?」
「どしてさ」
今一度レイザーの腋に鼻面を埋め、深く息をしたアイシャ曰く。
「だってレイザー起きてるし、否定的な匂いしないもん。ダメだったらこんなに良い匂いしないし、あたしら二人ともボコられてるでしょ」
岩のように硬直した俺に、レイザーは恥ずかしさで真っ赤になりながらぎこちなく首を回し、ワイバーンぐらいならぶっ殺せそうな視線を向けてきた。
アイシャは猫のようなニタリ顔。
「……ところで、ねぇ。どうする? 曹長が『慰問しろ』って言ってくれたのは、そういう意味でもあったと思うんだけど」
◇
俺が魔法を使えれば、この原稿を読んでる編集さんの壮絶な顔を読者のみんなに届けられるんじゃないかと思うんだが、実際そのへんどうだろう?
でまぁ、アイシャの提案についてだが。
気持ちはよくわかったしまんざらでもないが、本国に戻ってから仕切り直す。
そういうことになった。
とは言え、離れるのももったいない。
結果として、壁にもたれた俺にもたれたレイザーのかっこいい胸にアイシャがもたれる、ということになった。
挟まれたレイザーは大変だ。
後ろからは耳の後ろや可愛らしいつむじ、きれいなうなじの匂いを嗅がれ、前の方ではネイルケアだと両手を優しく弄ばれている。
かくして我らの黒エルフちゃんは息も絶え絶え、頭をフットーさせることに相成った。
「JFRに乾杯、だね」
アイシャがレイザーの爪を磨きながらひとりごちた。
「なにそれ」
「頭文字だよ。あたしたち家族の。ジャクスン、ファースタンバーグ、ラミレス」
悪くない、と思った。
きっとこの先もずっと三人で。
JFRに祝福あれ──
その時、唐突に閃くものがあった。
もし神様がまだこの世におわして俺たちを見守ったり、たまにちょっかいを出しておられるのだとすれば、誠に遺憾この上ない。
思し召しはいつも最高に幸せなひと時にもたらされるんだ。
「それだ」
「なに?」
「頭文字だよ、パスワードは!」
思わず大声を出し、レイザーも釣られて我に返る。
身を捩ってノーパソに手を伸ばした。
脇においていたペットボトルが倒れ、マットが水に濡れる。
一九九八年に原盤が発売された、フランスの詩人の名を持つ秋津島のバンド。
そのアルバムタイトルと、トラックタイトルの頭文字をつなげて入力する。
俺たちJFRが固唾を呑んで見守る中、ついにそれは開かれた。
アシュラフ・アッディーン、アフガニスタンから来た男の想いが。
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