ウォー・アンダーグラウンド④

 俺が飛び込んだ向かいの家は、裏庭付きのちょっとした一戸建てだった。

 その外壁と言わず内壁と言わず、通りに面していた側はアシュラフの店から放たれた無数の散弾によって傷つき、荒れ果てていた。

 ガラスの破片が散乱する室内に横滑りに着地する。

 ずるりとした感触と腐臭。

 壁際に落ちている、わけのわからない肉片がぴくぴくと蠢いている。

 それらを一切無視し、立ち上がりながら大声を出す。


合衆国海兵隊だU.S.マリーン! 動くな!」


 銃口が向けられた先には、部屋着を着た男性と女性がもみ合っている。どちらも衣服は無数の切り傷がつき、派手に血で彩られてもいる。

 俺に背中を向けていた男性は、配偶者と思しき女性の腕をつかんだまま、こちらへきしむような音を立てながら首を回す。その目は赤黒く血走り、左肩には何らかの太い骨が突き刺さっていた。

 女性は立ってこそいたが、すでに息も絶え絶えだ。

 掴まれ、かじられた腕からの出血は続いている。

 創傷部からの出血があるうちなら、命は助かる。

 命だけは。


 くそったれ!


「フレオス曹長、グール感染発生、二名。一名は成人男性、手遅れです。もう一名は女性、感染初期。救命を開始したいですが」

『ファック! いつか来るとは思っていたが。捕らえられるか?』

「……やってみます。大隊本部への通報お願いします」


 前日のミーティングでの説明通りだ。

 グールが発生したとしてもすぐには成仏させない。

 特に感染者に家族がいた場合は。

 

『ダメだ、ジョニー! あたしたちを待て!』

『また無茶しやがって!!』


 アイシャとレイザーが無線の向こうでがなり立てる。

 その間にグールになっちまった男性──たぶん女性の旦那さんだ──は、こっちへ完全に向き直った。腕を離された女性はその場に崩れ落ちる。


「いいから一階を制圧しろ。家族がいたら落ち着かせてくれ。俺は大丈夫だ」


 言い終わると同時にグールが飛びかかってきたが、右前にステップし、突きだされた相手の左肘を押し上げるように弾く。

 グールは俺の手の先に噛みつこうとしてバランスを崩して倒れ、その拍子に左肩からボグリという鈍い音がする。変な倒れ方をしたせいで肩が脱臼したんだろう。グールは受け身なんてとらない。

 彼がうつぶせになっている間に、結束バンドを何本も使って両腕と両足を拘束する。一本だけだと引きちぎられたり、肉がそげるのもお構いなしに拘束から逃れたりするからな。

 そこまでおおよそ一分半。

 よくもまぁ落ち着いて対処できたもんだと感心している暇はない。

 一階でアイシャとレイザーがこの家の家族をなだめているのが聞こえる。

 俺はうめき声を上げながらもぞもぞ動くグールを放って、女性へと駆け寄った。



「ツー・ファイブ・ブラボー・ワン・シックス、シェラ・タンゴ・アルファ・ツー。ジョニー・ジャクスン三等軍曹、グール襲撃被害者の緊急医療を開始する」

『ジャクスン三等軍曹、ツー・ファイブ・マリーン・ワン・シックス受信。そのまま報告を続けよ』

「了解。被害者は女性、年齢二十二歳程度かと思われる。やせ形。失神している。予想創傷時より二分程度。左前腕部を噛まれている。創傷部からの出血は続いているが、出血量は減少しつつある。前腕から肘にかけて腐食変性進行中。腋下動脈と腕部動脈にて止血を実施、感染拡大阻止を試みる。救急搬送と解呪について支援要請」

『支援要請受信。感染は阻止できそうか?』

「いや、緊急手術が必要だ。腕部動脈に止血帯実施完了。意識の覚醒を試みる。アイシャかレイザー、来てくれ。家人が落ち着いたなら一緒に、一〇秒以内に」

『わかった。大奥さま、こちらへ来てくださいますか。娘さんが大変です』

「腋下動脈に止血帯実施。くそ、脈拍低下。被害者が目を覚まさない。二分三〇秒経過。まずいぞ。本部、緊急手術の許可をくれ! 家族とはこっちで話をつける!」

『わかった、三等軍曹。今すぐそちらの地域のムッラーと話をつける』

『ジャクスン、フレオスだ。QRF到着まで一〇分、警察は二〇分かかる』

「了解です。通りの様子は」

『野次馬が集まり始めた。爆発現場を放棄、交通封鎖を実施する』

「お願いします。あっくそ! 血圧、脈拍さらに低下! おい! おい! いいかげん目を覚ませ!!」

「ゴッディ!」

「レイザー! アイシャまで! 下はどうすんだ!!」

「下は軽く魅了をかけて大人しくしてもらってる。レイザー、そっち気を付けて。撃っちゃだめだよ」

「うっ……”お、大奥さま、あちらは息子さまでい、いらしゃいま、婿さまですか。承知しました。その、ああなってしまうと、残念ながらアッラーの御許には行けません。娘さんもじきにああなります。この場で手術する必要が”」

「三分経過!! 脈拍、くそ! 待て待て待て待て、行くな、そっちに行くな! アイシャ、心マッサージ! はやく! 男はムスリム女性の胸には触れん!」

『ジャクスン! ムッラーの許可が下りた! やれ!』

「まだだ! まだ家族の許可が得られない! 三分十秒経過!」

「”大奥さま! なにとぞ! 今なら助かります!”」

『ジャクスン! やれ!』



 グールの呪いは、静脈やリンパの流れに乗るバクテリアの血液感染によるところが多い。このバクテリアは同時に神経毒をも発し、グールに噛まれた被害者の息の根を迅速に止めにかかる。いくら二本脚たちの免疫細胞群が優秀とはいっても、酸素の供給を止められちゃお終いだ。そうしてグールの呪いを運ぶバクテリアは、繁殖に有利な状況を作り出す。

 ってことは、それらの進行を止めてやればグール化を阻止できる公算が高い。

 要するに、グール化阻止は──その当時は──切断一択だ。


『ジャクスン! やれ!』


 大隊本部につながった無線ががなり、二階に上がってきた大奥さま、つまり被害者の母がうなずいたその瞬間、俺は前日から持ち歩いていた滅菌済みの手斧を思いっ切り被害者の上腕部に叩きつけた。

 

 ぎぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!


 とてつもない絶叫とともに被害者女性が意識を取り戻す。

 グール化バクテリアが乱していた神経の信号を、血管やリンパ管、それに骨と一緒に叩き切ったのだから当然だ。その痛みたるや、想像したくもない。

 だが銃剣だとこうはいかない。骨を叩き切るのに失敗し、その間に感染が進み惨劇へと発展した現場を、俺は何度か見ている。

 

 痛みに耐えかね暴れかけた女性を、アイシャが魅了チャームをかけて大人しくさせる。

 俺はスライム特性滅菌パッチを作り、いつも持ち歩いている精製水で洗浄した傷口に貼り付けた。切断面から見える肉はきれいな色をしていたが、もしわずかでも腐食変性部位があったなら、滅菌パッチはすぐさまそこから融け落ちるはずだ。

 俺たちスライムがグールにならないのはそういうこと。呪いや激烈な感染症に暴露されたスライムの細胞体は、迅速に自殺することで感染を防ぐんだ。

 幸い、滅菌パッチは剥がれる様子をちらりとも見せない。

 QRFと救急車到着までのあいだ、俺たちは女性を一階に下ろし、家族をなだめ、家族の同意のもとで男性の魂を腐食した肉体から解き放った。


 その日からモスル市内のどこかでこういう事件が毎日最低一件は起きるようになり、あの陽気で平和な雰囲気は、どこかへ消し飛んじまった。


 腕一本と引き換えにグールにならずに済んだ女性は、ちょうど二週間後、病院から退院した拍子に街からふっつり姿を消した。


 噂では、旦那さんの魂を探しに旅に出たんじゃないかと、言われている。

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