第99話 13-1

 辺りには独特な薬品臭が立ち込め、壁は清潔さを表すかのように白を基調としていた。

ここは、明治病院と呼ばれる大学病院。この病院の病床規模は600を超え、9階建ての建物が2つ並んだような構造をしていた。 


 5階のある一室。その部屋には『談話室』とプレートが貼られていた。そこに青いパジャマを着た男が、両手にアイスティーの入った紙コップを手に持ってフラフラと空いている席を物色し始める。

男は文庫本を読んでいた若い女性の隣の席に腰掛ける。


「なあ、あんたこの病院の噂を知ってるかい?」


 パジャマ姿の男は若い女性にそう話しかける。時刻は平日の真っ昼間、辺りには見舞客とその入院患者が疎らにいるだけであった。そして場所は病院の談話室。談話室と言うだけあって備え付けの机とイス、本棚と紙コップ式の自販機が置いてあった

だ机はプラスチック製の元は白かったのが、年月が経って変色しており、部屋の隅に申し訳ないように置かれた本棚には、入院患者の忘れ物なのか疎らに置かれた本が黄ばんで置いてあった。


 イスに腰掛けた男は、寝間着姿で傍らに座っている女性に話しかける。女性は今まで、文庫本に目を落としていたが、男に話しかけられたことで反応する。

女性は今まで手に持っていた文庫本にピンクのしおりを挟むと、青縁の眼鏡を外す。


「知らないって顔をしているな。なら、少し話そうか」


 若い女性は嫌な顔をしたが、男はそんなことを気にも止めずにゆっくりと、静かな声で話し始めた。


――まあ、話自体は良くあるもんさ。

若い看護婦と若い患者の恋愛ってやつだ。その患者ってのは、癌だかなんだかで余命あと僅かな状態だったらしい。

それで若い看護婦は毎日毎日、その患者の元に通っていたんだと。まあ、周りからは面倒見の良い看護婦さんが、患者を励ましているとでも見られたんだろうな。なんとか周りからは上手いこと2人の関係を隠していたらしい。


 そうやってつかの間の幸せを楽しんでいた2人だったか、そんなことは長続きするはずなんてなかった。

段々と、患者の体調が悪くなっていったんだ。最初は、健康な時と同じように動けていた体は、少しずつ動けなくなっていき、食事もまともに喉を通らなくなっていったんだ。


『……一緒に死なない?』


 そんなことをどっちが言い出したんだか。瀕死の患者か、それを見かねた看護婦か。とにかく、どっちかが提案をして、もう片方がそれを受け入れたんだ。つまり、2人は心中をして、来世も一緒に生きたいと考えたのさ。

……今じゃ厳重に管理されているような劇薬も、当時はわりかし簡単に持ち出せたらしい。そして、2人同時にその劇薬を飲み込んだんだ。

結果は、まあ良くある話。患者は死に、看護婦だけが生き残ったんだ。看護婦は、自分だけが生き残ったことに相当ショックを受けて、泣きわめいて錯乱したらしい。


 だが、看護婦は警察に通報されなかった。ここは大病院だろう?。看護婦が患者を殺したなんて言ったら、大スキャンダルさ。だから、病院はこのことを隠蔽したんだ。

患者の医療記録を改ざんし、スタッフの口裏を合わせて、看護婦を”精神異常者”として病院内に閉じ込めてな。


 そこからは、もうなるようになるだけさ。事件は闇に葬られ……そして残された看護婦は本当に狂っちまった。

しばらくは、まあ”普通”だった。狂った女がただ1人居るだけだった。


 おかしな話はここからだ。厳重に封印されていたはずの看護婦が突然消えたんだ。まるで、最初から居なかったみたいに。

病院内を隅から隅まで探したんだが、その看護婦が見つかることはなかった。その騒動の中、病室で絶対安静中の入院患者が1人姿を消したんだ。その入院患者も若い男だったとか。


 その患者は、すぐに見つかった。患者はどこにも行っていなかったんだ。病室の天井に設置された、換気扇に押し込まれていたのさ。換気扇から血が滴り、その下に血の染みが広がってようやくそこに”何か”があるって気がついたんだ。

綺麗に折りたたまれた患者の死に顔は、それそれは恐怖に引きつった表情だったらしい。


 それから毎年時期になると、決まって病院で誰かが死ぬらしい。死んだ人間は入院患者だけじゃない。医者、看護婦、見舞客……掃除婦まで。

そしてその日に限って、決まって見慣れない看護婦が被害者の近くに居るのが目撃されているんだ。


 ああ、そうそう。付け加えると時期って言うのは今ぐらいことなんだ。

だから、次の標的はアンタかもしれないぞ?


  ――そう言うと、男は手に持ったアイスティーを一息で飲み干したのだった。

 

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