第26話 5-5

 ジョンは何度この高山トンネルを往復しただろうか。

それでも、あの”黒ナメクジ女”に会うことはなかった。


「今日も駄目か……」


いつもは隣に居て、反応してくれる妹は居ない。ジョンは懐からタバコを取り出すと火を点ける。

一度大きくタバコを吸うと、紫煙を曇天の空に吐き出した。


「とりあえず、もう帰るか」


ジョンが車の時計を見やり、時間を確認する。もうそろそろ午前5時を指そうとしていた。曇天ではあったが、雲の合間から日の光が漏れ始めていた。

ジョンはタバコを咥えると、自宅に向けてハンドルを切った。


 ジョンは都内のある一軒家の駐車場に車を止めた。その家の屋根から、車の音に驚いたのか雀が飛び立つ。

そこは、築30年は経っていそうな、古い2階建ての家であった。

ジョンは車のエンジンを切ると、自宅の玄関を開ける。ふと、ジョンが2階へと目を向けると、明かりが付いている部屋があった。


 薄暗い玄関を抜け、明かりが点いていた部屋、妹のジュリの部屋へと向かう。

ジョンは妹の部屋の部屋を数回ノックすると、声を掛ける。


「ジュリ、まだ起きているのか?」


「ええ。そんなところに居ないで、部屋に入ったら?」


ジョンはドアノブを捻ると、妹の部屋に足を踏み入れた。ジュリの部屋は、暖色を基調とした良く整理された空間であった。

部屋の棚に置いてあるいくつものチェーンソーコレクションを除けば、普通の一室であった。


 部屋の奥、ベッドから上半身を起こした体勢のジュリに、ジョンは歩み寄る。ジュリは掛け布団の上に、怪異の資料とノートパソコンを広げて、何かを調べていたようであった。


「なあ、ジュリ。大丈夫か?」


ジョンは、妹の右手首に巻かれた包帯を見ながら尋ねる。


「大丈夫と言ったら、嘘になるわね

ジュリは右手を挙げて、ひらひらと動かす。白い肌に、白い包帯が一際浮かび上がっていた。ジュリは”黒ナメクジ女”と遭遇、交戦後に負傷したため、それ以来自宅で療養していたのだった。


「今日も”黒ナメクジ女”に会えなかったよ。すまん……」


ジョンは、ジュリのベッドに腰を降ろすと、うな垂れる。普段、脳天気な男だからか、うな垂れている様は、いつもよりも彼を小さく見せた。


「そんなの気にしなくても良いわよ。それに……」


ジュリは兄の背中に手を当てる。


「たぶん、兄さんだけだとアイツには出会えないと思うわ」


ジョンは、ジュリの言葉に反応して顔を上げる。その表情には驚きと疑問符を浮かべているようであった。


「……どういうことだ?」


「資料を全部洗っていたんだけど、コレを見て」


ジュリはノートパソコンの画面をジョンに向ける。そこには、被害者のDVDのレンタル履歴が表示されていた。


「この被害者たちがレンタルしたDVDなんだけど、ホラー物が多かったのよ」


「それがどうかしたのか?」


「被害者たちの家のことも調べたんだけど、恐怖小説やら映画やらを多く持っていたのよ」


「つまり?」


「あの”黒ナメクジ女”は恐怖の感情を狙ってくるんじゃないかと思ったのよ。だから最初に私たちがトンネルを何度も往復しても”黒ナメクジ女”が現れなかった説明がつくわ」


「俺がいくら1人であそこに行っても駄目だった理由になるな」


「それで、考えがあるんだけど――」


「待て。その前に包帯を換えよう」


ジョンはジュリの手を取る。包帯からは薄いシミが滲んでいた。


「……そうね」


ジョンはジュリの手から包帯をほどく。包帯がほどけていくと、徐々にその患部が姿を現した。

妖精の鱗粉により皮膚の溶解を止められたが、黒い粘液がついた箇所はケロイド状になり赤黒く変色していた。

ジュリの肌が色白であるのも手伝ってか、余計にグロテスクにはっきりと見て取れた。


 ジョンは包帯をほどき終えると、患部に軟膏を塗り、新しい包帯を巻き付ける。


「兄さん……ありがと」


「ジュリ、お前らしくないな……兄妹なんだから、このぐらい当然のことだろう」


ジョンは努めて明るく話す。目の前にいる妹に、自身の怒りを悟らせないように。


「それで……考えってなんだ?」


ジョンはジュリの手に包帯を巻きながら尋ねる。


「ああ、それは――」

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