第14話 3-5
――暗闇の中、足音が1つ。紫苑は1人、病院の緊急搬送口へと駆けていた。
窓を開けようにも、窓は固く閉じられており、びくともしなかったのだ。
不思議と、割れた窓は1枚もなかった。
「な、なんで!?なんで窓が開いてないの!?」
息を切らしながら、ひたすら駆ける。心臓が軋み、肺が絞られる感覚に襲われながらも、彼女の額に伝うは冷や汗。
しばらく走ると、薄暗闇の中に、縦筋の光が1つ見えた。その光を目指して走ると、開き戸タイプのドアが見える。
助かった……そう思い、扉にそのまま飛び込んだ。
ガチャン。
金属音が響く。そのまま扉に思いっきり、体当たりするような格好になった紫苑は、扉に弾かれる形で尻餅をつく。
紫苑の頭は一瞬混乱したが、扉の取っ手に鎖がぐるぐる巻きにされていることに気がつく。
「な……」
紫苑はショックで涙をこぼす。
「ふざけないでよっ!」
苛つきと恐怖から、紫苑は渾身の力を込めて扉を蹴る。
扉は少しだけ揺れたが、鎖は切れなかった。
「なんでよぉ……」
紫苑は、もはや懇願するように扉にすがりつく。
その顔は涙でぐしゃぐしゃになり、化粧も汗で崩れていた。
そのとき。
『\ドッ……』
微かに、笑い声が聞こえた。
「ひゅ……」
紫苑は息を飲んだ。
『\ドッワハ……』
『\ドッワハハハ……』
笑い声が、段々と近づいてくる。
「いや……」
ガンプがこちらに向かって来ているのは、明白であった。
「か、隠れなきゃ……」
ここに居たら追いつかれる……と、辺りを見回す。
暗闇の中、扉が見えた。何かの部屋のようだ。
紫苑はその小部屋に飛び込んだ。
そこは処置室であったのか、ボロボロのベッドが手前と奥の2つあるだけであった。
急いで、部屋の奥に置いてあるベットの下に入り込む。
『\ドッワハハハ/』
『\ドッワハハハ/』
『\ドッワハハハ/』
すぐ近くを笑い声が響く。
処置室のドアが開く音がする。重い足音が辺りに響く。
ガンプは辺りを探していた様であったが、少しすると笑い声が消えた。
何も音がなくなったことが不安になり、紫苑は入り口の方を見やる。
そこには、誰の姿も見えなかった。
紫苑はホッとすると同時に少し冷静になる。パニックになって飛び出してきたのは良いものの、緊急搬入口が開かない以上、逃げ道はないのだ。人に襲いかかる化け物に、女1人で敵うはずもない。紫苑は冷静さを取り戻すとともに恐怖で身震いする。
みんなのところに戻ろう……そう思った紫苑は、ベッドの下から這い出ようとした。「痛っ!」紫苑は小さくうめいた。どうやら、ベッドの下にあったゴミで、太ももを切ってしまっていたようだ。そのスカートを履いた白い足に、一筋の血が流れる。
『\ドッワハハハ/』
すぐ近くで笑い声。紫苑は恐怖で体全体が痙攣(けいれん)を起こしたように震え、そして音の元へと視線を向ける。そこは入り口から見て、手前のベッドの下。
ガンプがまぶたのない目で、紫苑を捉えていた。
「ひっ」
紫苑は後ずさる。紫苑が居るのは部屋の角であり、ここから逃げるためにはガンプの横を走り抜けねばならない。
ガンプはぬるりとベッドの下から這い出ると、紫苑に近づいてくる。
「もう……いやっ……」
紫苑はガンプの横を走り抜けようとした。しかし、恐怖からか上手く走れない。
ガンプは手に持っていた鉄棒を大きく振りかぶると、横を走り抜けようとした紫苑の左脚に向けて叩きつけた。
紫苑の脚がはじけた。皮膚が衝撃で裂け、黄色いツブツブとした脂肪が、花火のように辺りに飛び散る。脂肪の下の赤い筋肉が露わになり、大腿骨(だいたいこつ)の一部が粉砕される。そして一拍をおいて、血があふれ始める。
紫苑は前のめりに倒れる。
「あ”っあ”ああ”あ”~」
痛みで悲鳴を上げ、頭は痛みと恐怖でいっぱいになる。
倒れ伏した状態で、紫苑はガンプを見上げる。そこには再度、鉄の棒を振りかぶるガンプの姿が見えた。紫苑は咄嗟に手を突きだして、体を守ろうとした。
風切り音が1つ。その瞬間、ガンプの鉄棒は紫苑の手の平に当たり、紫苑の鼻先をかすめる。
ポトリ、と紫苑の人差し指から小指の4本、鼻先が床に散らばる。傷口から血があふれ出す。
「~~~っっ」
紫苑はもはや叫ぶ余裕もなく、苦痛と恐怖でうずくまった。
3度目にガンプが鉄の棒を振り下ろしたのは、紫苑の頭だった。
頭蓋が砕け、灰色のゼリーが中からこぼれ落ちる。衝撃で、右目が眼底から飛び出した。
紫苑の意識はここで途絶えた。口が半開きになり、よだれがそこから流れる。残った左目は、光を失っていた。
ガンプは何度も紫苑に向けて、鉄の棒で殴りつける。
『\ドッワハハハ/』
殴りつける。
『\ドッワハハハ/』
殴り続ける。
『\ドッワハハハ/』
それがとても楽しいことのように。
笑い声は、止まない。
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