回想が終わり、悲劇の終わりが始まった。 2
ふっと場面が暗転する。
これは、夢か?
なぜ俺は一度経験したことを追体験しているのだろう。もしかしたら、これは走馬灯だったりするのだろうか。
しかし、雪花ちゃんの言うように、精装者はデコイ体のままでは死ぬことはないはず。
ならばこれは、夢か。俺に強く残った記憶が、こうしていまさらになってフラッシュバックしているのか。
次に俺が立っていたのは、マンションの一室。俺と圭輔がルームシェアで一ヶ月ほど暮らしていた部屋。
俺の前にいたのは、複数の目玉を持つ、毛むくじゃらの蜘蛛のような人型の怪物。今言うなら、タランチュラ妖精だ。
そして、もうひとり。黒い外套にカラスの仮面を着けた大男。その姿に見覚えはなかったが、そいつの携えていたトランクケースには見覚えがあった。
俺は夢という場所の不可抗力で、またあの日と同じことを繰り返す。
「どうして……」
「お前が選ばれたって知ってな。お前は『俺』の実の息子だ。せっかくだから、贔屓してやろうと思ってな」
「なんだよ、その怪物……」
「なにって、お前の親友の南雲圭輔くんだろう!」
最初は信じられなかった。だってこんなこと、信じられるはずがない。
うろたえる俺をよそに、大男は続ける。
「お前が『俺』に借金押し付けてここに逃げたって言ったら、簡単に信じてくれたよ。おかげで、良い被検体第一号が手に入った」
「ふざけんな! 俺はもう、父さんなんかと関わりたくないんだよ!」
「俺は被験体として、お前に興味がある。お前には他より抜きん出た、ある種の強い意思が宿っている」
「また戯言? いい加減に――」
「おい、タランチュラ
「アァ……」
タランチュラ妖精が低く唸りながら迫る。そいつはまるで意思の抜けた亡霊のようで、そこに圭輔の面影は感じられなかった。
肉薄した毛深い腕が、壁を殴りつける。砕けた壁の破片が頬を撫で、それが冗談などではないと確信した。
俺はそれが何者だとか関係なく、ただ目の前のそいつによって恐怖で支配された。すぐさま玄関に引き返し、その部屋を飛び出す。
しかし扉を開けた先には、玄関とタランチュラ妖精の姿があった。
そんなことはありえない。俺はタランチュラ妖精から逃げていたはずなのに、いつの間にか俺がタランチュラ妖精へ向かう形になっている。しかし引き返そうにも、背後にも先ほどのようにタランチュラ妖精が迫っている。
焦りで足が止まるなか、背後になにかが当たる。すがる思いで、死に物狂いでそれを拾うと、それはいつか見たバングルと小型端末だった。
「そいつを使え! 生きたければな!」
「なんだよ、これ?」
「いいからバングルを着けて、そいつを窪みにはめ込むんだ!」
俺はもうその結末を知っているのに、不可抗力のままに従うしかなかった。それは俺が父さん――いや、
デバイス画面には立派な一本角の昆虫のアイコンが表示される。それに続いて、バングルを装着した手のなかに、金色の大剣が形成された。
俺はとっさにタランチュラの胴に向けてそれを深く刺し貫く。その傷口から多量の赤い閃光が漏れ出て、眩しさに目を細める。
思ったよりも容易く貫けたな。ふとそのような、ひどく冷静な思考がどっと溢れる。その間にも、目の前のタランチュラは悶え苦しんでキシキシ音を立てていた。
「甲、
「なんだよそれ!」
「バングルのデバイス画面に触れて、『ヘラクレス、遠隔機能』と言え!」
「わ、分かった!」
こうしちゃいけなかった。これで俺は、本当に圭輔を殺すことになってしまったから。
しかし俺の身体は衝き動かされるように、デバイスに左手の指を触れて叫んでいた。
「ヘラクレス、
大剣の刃に膨大な電流が走る。それはタランチュラの内部を焼いて、全身へと電流を伝わせ、腕についたバングルさえも焦がしてしまう。
タランチュラの身体に亀裂が走り、その傷口から赤い閃光を噴き出しながらくずおれる。皮肉にも、俺はそいつの前で安堵の笑みを浮かべていた。
「そいつにデバイスをかざせ! それでお前の最初のゲームは終わりだ!」
俺はすぐに従った。
なんだ、ただのハッタリだったのか。その時の俺はそう思いながら、その肉塊に向けてデバイスをかざした。
八本足の毛深い蜘蛛のアイコンが映る。それはのちに、俺にとって忘れられない傷跡として残されることとなる。
また、視界が暗転する。やけに移り変わりの激しい夢だと思った。
『男子大学生(21)、マンションにて不審死』
『同居人は依然として行方が知れず』
数日後、落ちていた週刊誌の見出しに、そのように書かれてあるのを見る。
俺はあの後、もといた道路に立っていた。腕にバングルがついているが、俺はなにか悪い夢でも見たのかなと、呑気に家路に向かっていた。
そうして俺が部屋に入って見たものは、うつ伏せで倒れて血だまりを作る南雲の姿だった。俺は救急車にも警察にも連絡せず、怖くなってすぐに逃げ出した。
あの怪物は南雲だったんだ。俺はなにも知らず、南雲を大剣で刺し殺してしまったんだと、いまさらになって後悔した。そうして俺は、あてもなく走り出し、手持ちの金で方々をさまようことになった。
あいつの話を聞きさえしなかったら、俺は南雲を――。
体力配分なんて考えずにやけくそに走っていたのは、俺の身体に罰を与えるため。俺は人殺しという罪を、罰によって身体に刻みつけて自覚させようとした。
あの後、不審に感じた大家さんが死体を見つけて通報したらしく、目撃証言と防犯カメラによって、俺は重要参考人として追われることになった。漫画喫茶なんて衆目に晒される場所を信用できず、遠くのスーパーで買った菓子パンを数日に分けて食しながら、公園を転々としていた。
そうして、今に至る。そろそろ身体に蓄積した垢が痒くなってきたと思い、公園の多目的トイレに入って身体を洗おうとする。
その時、背後から声がした。
「甲!」
俺は振り返る。もしかしたら警察かもしれないという恐怖が一瞬よぎった。しかし、そこに立っていたのは、染めた金髪をかきあげた男――幼馴染の鉄也――だった。
それでも、疑心暗鬼だった俺はその場から走って逃げ出した。しかし、毎日家の布団で休んで体力万全の鉄也と、ベンチの上や遊具に隠れていくつかの夜をしのいだだけの疲弊した俺の身体では、体力の差は歴然だった。
腕を強く捕らえられる。俺はこのまま警察に突き出されるんだと思っていると、
「お前、本当は殺しなんてやってないんだろ?」
振り向いて、お互いに息を切らしながら見つめ合う。鉄也の目は真剣だった。まさかここまで追ってくるとは思っていなかったけど、だからこそ俺はこいつにすがりたくなった。
そうして、俺は嘘をついてしまった。
「……当たり前でしょ。俺が圭輔になんの恨みがあるっていうの?」
「やっぱりな。警察の話だと、普通の殺人にしては不審な点がいくつかあるらしいんだ」
言って、にこりと笑みを浮かべる。俺を安心させるための、人懐っこい笑みだった。
「オレの家に来いよ! そのうち容疑も晴れるだろうし、帰る場所なんてないだろ! 匿ってやる!」
俺はまた一瞬だけ疑って、それから小さくかぶりを振って鉄也の方へ歩み寄る。
ただ、誰かにすがりたかった。それでも、俺の手で圭輔を殺したことだけは話せなかった。
その日から、俺は鉄也のアパートをルームシェアすることにした。
その数日後、俺は警察に追われることがなくなった。
そうして、目を覚ます。
約半年前ほど前の走馬灯のような夢から覚めて、最低限の広さという印象の部屋が映る。今現在、俺が住んでいる鉄也のアパートだった。
「どうやら、終わったみたいだな」
目の前で、同じく目を覚ました鉄也が頭を押さえて言った。
「しかし、なんなんだ。あの雪花とかいうガキは? あいつ、わざとオレたちを巻き込んで攻撃してたんじゃねえのか?」
「……まあ、もしかしたら俺が雪花ちゃんの気に食わないようなことをしたのかもしれない。とりあえず、警戒しておくだけでとどめておこうよ。どれだけ気が難しくても、
「そりゃ、オレもそう思うが。だけど、もし次にあいつの明らかな悪意を感じ取ったら、オレはあいつらを突き放してやるからな。もしお前が止めるようなら、その時はお前も見限ることになるぞ」
「分かってる。俺だって、そうならないように願うよ」
置いてあったスマホには、メッセージ通知が表示されていた。
雪花ちゃんからだ。この前、桜花さんが連絡を取り合ったのを知って、次の日に雪花ちゃんみずから連絡先の交換を申し込まれたのだった。
メッセージアプリを開くと、以下のようなメッセージが送られていた。
『さっきはすみませんでした』
『お詫びがしたいのでここに来てください』
指定された場所は、ここから近くの公園だった。
俺は鉄也にスマホの画面を晒して言う。
「雪花ちゃんがお詫びしたいってさ」
「……まあ、謝るってんならいいんだよ。中学生のガキごときに、なにができるか知らねえが」
「じゃあ、行こうよ。自分から謝りたいって言ってくれたんだし、大人の俺たちがそれを無下にするわけにはいかないでしょ?」
立ち上がって、部屋から出る。
最初は贖罪という動機があったとはいえ、約半年の間を精装者として戦い続けて、こうして色んな人と関われるのは楽しかった。気難しい人や思想のそぐわない人なども見たことはあったけど、それでも誰かに感謝されたり色んな人の人生を聞いたりすることはいいものだった。
だからこそ、雪花ちゃんとも仲良くやっていけたらいいな、と。あの子がお姉ちゃんである桜花さんのことを好きなのは見て分かる。だから、そういう想いや家や学校のことなども聞けるほど気を許してもらえたらと。
そんなことを思いながら、玄関扉を開けて暖かな日差しの下に出て、涼やかな風を受けて歩きだす。
俺は甘っちょろいことを考えていたんだと、今になって後悔する。
公園に入った瞬間、雪花ちゃんは物陰から大鎌を持って襲いかかってきた。
雪花ちゃんが地面に大鎌を突き立てた隙に、俺たちも武器を形成する。
「ヘラクレス、
「スタッグ、再構築!」
大剣を振って、勢いのままに振り上げられた大鎌を払う。弾き飛ばされた大鎌は遠くへ飛び、勢いのままに刃がベンチを真っ二つにする。
雪花ちゃんを見据える。油断してたら、本気で殺されかねないような雰囲気だった。
「おい、まさかこれがお詫びだとか言わねえよな?」
「……俺の常識が正しければ、これは多分お詫びじゃない。やっぱり、俺があの子になにかしらの恨みを買っていたんだと思う」
「冗談じゃない! オレは初対面なんだぞ! だったら、オレまで恨まれる筋合いはないだろうが!」
雪花ちゃんは舌打ちをしながら、身を退いてデバイスに触れる。
「カクタス、
「その手は食わないよ!」
大剣を地に突き立ててからデバイスに触れ、「ヘラクレス、遠隔機能!」と叫ぶ。俺と鉄也の周囲に電磁バリアが形成され、極細の針の弾幕を完全に遮断する。
しかし、それでもなお諦めてくれず、今度はホーネットの短剣を形成して迫ってきた。
「ホーネット、遠隔機能」
瞬間、いつかの妖精のように、その身が加速で見えなくなる。
雪花ちゃんは精装者の弱点がデバイスだということを知っていた。もしも、本当に俺たちのデバイスを狙ってきたら――。
「甲さん! 桑名さん!」
遠くから声が聞こえる。同時に雪花ちゃんの姿が現れて、振り上げられた右手がバングルを嵌めた手首を狙おうとしていた。
目測を誤ったのか、短剣の刃は少しズレた腕の方を刺し貫く。デコイ体はデバイスさえ破壊されなければ、どんな攻撃を受けても赤い閃光を噴き出すくらいで命に別状はない。しかし、痛みはちゃんと反映されるため、激痛のあまりに大剣を落としてしまう。
鉄也は構えていたレールガンを雪花ちゃんのデバイスに定めて、短剣の柄から手を離させる。俺もすぐさま手に刺さった短剣を抜いて、それを地面に捨てた。
「甲さん! これは、どういう――」
「お前の妹がいきなり襲ってきたんだよ! こいつ、どういうつもりなんだよ!」
桜花さんが鉄也の剣幕に負けて、雪花の方に視線を向ける。
「雪花、どういうこと……?」
「違うよ。あっちから襲ってきたんだよ」
「嘘つくな!」
俺は熱くなる鉄也を手で制して、デバイスを解除する。大剣が消失して、デコイ体で負った傷もすべて綺麗に消え失せる。
「とりあえず説明して。君はなにがしたいの? 桜花さんだけ避けさせて俺たちを攻撃に巻き込んだり、かと思えば公園で不意打ちにしたり、どういうつもりでやっているの?」
「やっぱり、あれはわざと狙って……」
「ち、違うよ。お姉ちゃん、騙されないでよ……こいつらは言いがかりをつけてるんだ。気に食わないわたしを追い払って、お姉ちゃんを二人がかりで襲おうとして――」
「そんなわけないでしょ!」
頬を張った音が、途端に沈黙を生む。デコイ体は普通の身体より頑丈に出来てるはずだから、普通の人間相手にはそう痛くないはずだ。
しかし、頬を張られた本人はまるで違う痛みを感じているかのように、両目に涙を浮かべていた。
「お姉ちゃん……?」
「馬鹿言わないでよ! 甲さんがそんなことするわけないでしょうが! だいたい、雪花のあれは……」
途中で言いよどんで、気まずげに目をそらす。桜花さん自身も雪花ちゃんの行動に戸惑いを感じているのか、その先の言葉がまったく出てこない。
雪花ちゃんは目を丸くして、混乱した様子でよたよたと引き下がる。少しずつ足を早めてから、デバイスに触れて小さく囁く。
またなにか仕掛けるのかと鉄也が構えたが、その姿が消えただけでなにも起こらなかった。
それ以降、雪花ちゃんの行方は知れなくなった。
桜花さんは今でも探している。「私の大事な妹だから」と。
どこにいるのかは分からないままだが、信頼していた肉親に裏切られたショックが彼女を動かしたのだということだけは、痛いほどに分かった。
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