第60話『ここから、これから。』

 挨拶が済んだ後、せっかく来たのだからと2階にある美優先輩の部屋へ案内される。あけぼの荘で一緒に住んでいるので不思議な感覚だ。

 あと、いよいよ美優先輩の部屋に行けるからか、花柳先輩はとても興奮している。


「ここが私の部屋だよ」


 美優先輩は部屋の扉を開ける。

 現在はあけぼの荘に住んでいるためか、部屋にはベッドと勉強机はなく、本やCDの入った本棚といくつかのダンボール箱があるくらい。フローリングの床に桃色の絨毯が敷かれているけど、寂しげな雰囲気だ。


「物はあまりないけど素敵な部屋ね! 何だか美優の匂いがしてくる……」


 花柳先輩はしゃがみ込んで、絨毯の匂いを嗅いでいる。さすがは花柳先輩。そのことに霧嶋先生は呆れた様子。


「やれやれ。それにしても、白鳥さんは引っ越しの際に結構な家具をあけぼの荘に持っていったのね」

「ええ。実家から持っていけばお金もいくらか浮きますからね。ベッドも寝やすくてお気に入りですから」


 うちは逆に引っ越しの荷物を少なくするという理由で、実家の自分の部屋にある家具はあまり持っていかなかったな。ただ、そのおかげで、101号室で美優先輩と一緒に住むことになっても柔軟に対応することができた。


「ただ、由弦君と一緒に住み始めたので、近いうちにダブルベッドに買い換えようと思っています」

「あら、そうなの? もし処分したくなければ、あのベッドをまたここに戻していいわよ。これからもここに帰ってくることはあると思うし、桐生君と2人ならあのベッドにも眠ることができるでしょう? ベッドをこっちに送ったって連絡をくれればいいから」

「……ありがとう、お母さん」


 えへへっ、と美優先輩は照れくさそうな笑顔を見せている。あのベッドには俺にとっても思い出があるからな。処分せず、この部屋に再び置いてもらえるのは嬉しい。


「美優先輩。この前の年末年始にもご実家に帰られたそうですけど、その際はどうしたんですか?」

「朱莉のベッドと葵のベッドに交互に寝たの。冬だったし、温かくて気持ち良かったな」

「なるほど……」


 姉妹だからこそできること……だと思ったけど、雫姉さんや心愛も俺なら自分のベッドで一緒に寝たいって言ってきそうだな。


「すみません、ちょっと空けてもらっていいですか? 私の部屋からテーブルを持ってきました」

「クッションも持ってきたよ! 朱莉お姉ちゃん、あたしの部屋からもテーブルやクッションを持ってきた方がいいかな?」

「お客様がいっぱいいますからね。葵の部屋からも持ってきましょう」

「うん!」

「お姉ちゃんも手伝うよ」


 白鳥3姉妹によって、朱莉ちゃんと葵ちゃんの部屋から、2つのテーブルと8つのクッションが運ばれる。そのおかげで、この部屋の寂しげな雰囲気が少しは和らいだ。

 俺達はテーブルの周りにあるクッションに腰を下ろす。今一度、部屋の中を見てみると、家具がほとんどないこともあってか結構広く感じるな。

 紅茶を持ってくるということで、美優先輩と朱莉ちゃんが部屋を後にする。

 また、葵ちゃんがこの前泊まりに来たときに撮影した写真を収めたアルバムを持ってきてくれた。風花、花柳先輩、霧嶋先生、大宮先生はさっそくそのアルバムに釘付けになっている。


「みんなが101号室に泊まりに来た日から楽しそうだったのね。あたしも用事がなかったら、一佳ちゃんと一緒に遊びに行きたかったわ」

「私も楽しくて、葵さん達が泊まりに来ていた3日間は101号室にいる時間が多かったですね。成実さんが来ればもっと楽しかったかもしれません」

「そう言ってくれて嬉しいよ」


 霧嶋先生と大宮先生は笑い合う。俺が入学した頃から2人は仲がいいなと思っていたけれど、このゴールデンウィークで更にその仲が深まったような気がする。


「うわあっ、ネコ耳姿の桐生君かわいい! こっちには一佳ちゃんの写真もある!」

「桐生君の方は王様ゲームですね。あたしが王様になったときに、ネコ耳カチューシャを付けて頭を撫でてもらうっていう命令を出したんです」

「そのとき、ネコ耳由弦さんの頭を撫でたのがあたしです!」


 あのときのことを思い出しているのか、花柳先輩と葵ちゃんは楽しげな笑みを浮かべる。俺にとっては平成最後の日に産みだしてしまった恥ずかしい思い出の一つだ。


「ふふっ、そうだったの。桐生君もなかなかやられてるわね。それで、一佳ちゃんの方は? 同じく王様ゲームで?」

「いいえ。一佳先生は王様ゲームの後にやったババ抜き最弱王決定戦で、最弱王になったことの罰ゲームです! いやぁ、あたしは予選で戦ったんですけど、先生に勝つことができるとは思いませんでした」

「ああ、そういえばババ抜きもしたって言っていたわね」


 ただ、最弱王にはなったことは伏せておいたのか。霧嶋先生らしい感じはする。

 当の本人である霧嶋先生は、頬を赤くしながら視線をちらつかせる。


「……ブ、ブランクがありましたからね。だからうっかり負けてしまって。その証拠に、決勝戦では桐生君と最後まで善戦したんですよ。……そうよね? 桐生君」

「そ、そうですね」


 霧嶋先生、顔にハッキリと表れるタイプだから簡単に勝てたけど。ただ、先生がポーカーフェイスだったらどうなっていたか分からかったな。


「……桐生君。心の中にあるからこそいい思い出ってあるわよね」

「……そうですね」


 ただ、現像されてアルバムに挟まれてしまっては、その写真を捨てろとは言えない。何かの表紙でアルバムから剥がれ、風でどこかに飛ばされ、見知らぬ人に拾われて笑いものにされないことを祈ろう。あと、スマホにあるデータがネット上にアップされないことも。


「みなさん、紅茶を持ってきましたよ」

「お姉ちゃん達が来ることを聞いていたので、昨日作ったクッキーも持ってきました」


 美優先輩はそれぞれのクッションの前に紅茶を置き、朱莉ちゃんはテーブルの上にクッキーを置いた。クッキーはプレーンとチョコ、抹茶を作ったのか。丸だけでなく、ハートや星形など形もバラエティに富んでいる。


「みんなでアルバムを見ていたの?」

「ええ。この前泊まりに来たとき、朱莉ちゃんと葵ちゃんが撮った写真を現像して、アルバムにまとめたそうです」

「そうなんだね」


 美優先輩は俺の隣のクッションに座ると、彼女もアルバムを見始める。


「2人とも上手に写真を撮ることができているね。あっ、ネコ耳由弦君だ! 可愛いなぁ。ネコ耳一佳先生もとっても可愛いですね」

「……みんながそう言ってくれるのがせめてもの救いね」


 霧嶋先生は紅茶をゴクゴクと飲んでいる。この紅茶、まだまだ熱いのによく飲めるな。全然熱そうにしていないし。

 アルバムを見ていると恥ずかしいし、俺はゆっくりと紅茶とクッキーを味わうか。


「……おっ、この抹茶クッキー美味しいね」

「ありがとうございます。昨日、葵と一緒に作ったんです」

「うん。美味しいって言ってもらえると嬉しいね、お姉ちゃん」

「そうですね」

 ――コンコン。


 ノック音が聞こえてすぐ、部屋の扉が開く。すると、麻子さんが部屋の中に入ってくる。


「由弦さん。ちょっとお話ししたいことがあるから、一緒に1階まで来てくれるかしら」

「はい。ちょっと失礼しますね」


 いったい、麻子さんは俺と何を話したいんだろう。1階まで来てくれってことは健二さんのいる場で話すってことだよな。何だか不安になってきた。

 ゆっくりと立ち上がって、俺は部屋を出ると麻子さんと一緒に1階に行く。

 麻子さん、長い髪を後ろでまとめているけれど、母親だけあって彼女の後ろ姿は美優先輩に似ているな。


「あの、話したいことがあるのは麻子さんですか? それとも、健二さんですか?」

「主人の方ね。でも、私も知りたいことでもあるかな」

「……そ、そうですか」


 ますます不安になってきたな。

 1階に降りてリビングに向かうと、そこにはソファーに座る健二さんの姿が。健二さんが右手で1人掛けのソファーを案内したので、俺はそこに腰を下ろす。麻子さんは健二さんの隣に座る。


「桐生君、すまないね。美優達と楽しい時間を過ごしていたところを」

「いえいえ。ところで、俺に話したいことがあるということですが、いったいどのようなことでしょうか?」


 こちらから本題を切り出すと、健二さんは真剣な様子で俺のことを見てくる。


「桐生君が美優と恋人になってから半月くらい経つ。親として、美優と桐生君がどのくらい進展しているのかを知っておきたくて。それをみなさんのいる前で2人に訊くのは恥ずかしがるだろうと思って。美優も年頃の女の子だからまずいだろうし」

「なるほど」


 これが普通だよな。雫姉さんはみんながいる前で堂々と訊いてきたけど。


「朱莉や葵が家に帰ってきたとき、一緒にお風呂に入ったり、キスをしたりしたとは聞いている。旅行で美優と2人きりの部屋で泊まったそうだし、何かあったのかと」

「そ、そうですね……」


 美優先輩と最後までしたと正直に言うべきなのだろうか。でも、言ったらどんな反応をされるか分からない。ただ、嘘をつくのはもっといけない気がする。というか、どこまで進展があったのかって言われると、一昨日や昨日の夜のことを思い出してしまうじゃないか。体が熱くなってきた。


「あらあら、ふふっ」


 麻子さんは右手を口に当てて上品に笑う。もしかして、俺……顔に出ているのか? 気付けば体が熱くなっているし、頬とか真っ赤になっていそうだ。


「その様子を見たら、だいたいのことは察したよ、桐生君。言わなくていい。言われたら悲しくなりそうだ。さっきの美優の幸せそうな様子を思い出すと、君としたことはきっと美優の望んだことでもあるのだろう」


 この言い方だと、勘違いしていることはなさそうだ。バレてしまったな。

 言わなくていいと健二さんは言ったけれど、美優先輩の彼氏としてちゃんと俺からも言わなければ。


「……ずっと一緒にいたい。触れてみたい。好きである。そんなお互いの気持ちが重なって、美優先輩とは旅行中に色々なことをしました。キスよりも先のことも。美優先輩も望んでいたことでした。ただ、俺は美優先輩と一生を共にする覚悟です。それは必ず守ります」


 そう言って、俺は健二さんと麻子さんに向かって深く頭を下げる。


「……美優は麻子と俺の自慢の娘の一人なんだ。桐生君の今の言葉、俺達の胸に刻んでおくよ」


 健二さんは右手で俺の左肩を思いっきり叩いた。ゆっくりと顔を上げると、健二さんは俺に笑みを向けてくれた。美優先輩を俺に託してくださったってことかな。


「実は麻子と俺も高校時代に出会ってね。麻子は俺の2学年下だけれども。俺が高校を卒業するまでの間に色々なことをしたよな」

「ふふっ、当時は私のことを激しく求めるときもありましたね。健二先輩」

「この歳になって、2人きりではないところで先輩と呼ばれると照れるな。……桐生君は当時の俺と比べてとてもしっかりしている。美優の高校の後輩ではあるが、君なら美優のことを守り、幸せにくれそうだ。改めて、美優のことをよろしくお願いします」

「よろしくお願いしますね」

「はい」


 俺は健二さんと麻子さんと固く握手を交わす。

 麻子さんと握手が終わったところで健二さんが顔を近づけて、


「桐生君。避けるべきことは避けなさい。美優も桐生君もまだ高校生なのだから。俺も当時はそれだけは気を付けるようにした」


 そう耳打ちをしてきたのだ。内容自体は正しいことに間違いないけれど、父親として娘の彼氏に言っていいことなのかどうか。


「そ、そうですね。気を付けます」

「突然すまなかったね、桐生君。美優の部屋に戻っていいよ。……おっと、言い忘れていた。2、3日後だっただろうか。桐生君、16歳のお誕生日おめでとう」

「おめでとう、由弦さん」

「ありがとうございます。では、失礼します」


 俺はリビングを出ると、そこには涙ぐんでいる美優先輩の姿が。


「美優先輩、どうしたんですか?」

「……由弦君のことが気になってついてきたの。でも、由弦君がお父さんに言った言葉が嬉しくて、思わず涙が出てきちゃって……」

「……そうですか。ずっと一緒にいましょうね、美優先輩」

「うん!」


 美優先輩は笑顔で元気良く返事をすると、俺にキスして、胸の中に頭を埋めてきた。さっき緊張したからか、先輩の温もりや匂いを感じると凄く落ち着く。

 俺は両手を美優先輩の背中にゆっくりと回した。これからも色々なことがあるだろうけど、涙を流しているときは今のように抱きしめられるようになりたい。


「今の2人を見たらより安心ね、お父さん」

「ああ」


 リビングの方に振り返ると、俺達のことを優しく見つめる健二さんと麻子さんの姿があった。これからはよりしっかりしないといけないな。そう思って、美優先輩への抱擁を強め、先輩の頭を優しく撫でるのであった。

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