第42話『お可愛いこと』

 午後6時半過ぎ。

 俺達は夕食の会場である2階のレストランへ向かう。

 客室が離れているので、食事のテーブルも部屋ごとで分かれてしまうのかと思った。だけど、霧嶋先生が6名で予約したこともあり、全員同じテーブルで食事できることになった。

 席は美優先輩、俺、風花、テーブルを挟んで花柳先輩、霧嶋先生、大宮先生という形で座ることになった。また、大宮先生はさっそく地酒を注文していた。

 夕食はバイキング形式。そのため、それぞれが食べたいものを取りに行く形に。せっかくだから、御立市や茨城県の食材を使ったものや郷土料理を食べてみたい。


「たくさんあるね、由弦君」

「ええ。ジャンル問わず、料理の種類がこんなにも豊富だと、どれにしようか迷ってしまいますね」

「そうだね。ただ、バイキング形式だから、一気に取らずに何度も取りに行けばいいんだよ。それに、明日もここで夕食を食べるんだし」

「そうですね」


 美優先輩の言葉もあり、まずはこの地域の郷土料理や名産を食べようと決められた。

 料理の説明を見ていくと、どうやらこの地域では魚介類が名産のようだ。今の時期はハマグリや初鰹が旬らしい。それらの刺身と、地元の農家で収穫された野菜を使った料理を中心に取っていく。


「うん、まずはこんな感じでいいかな」


 パッと見、和風の定食のようになった。ご飯に味噌汁、刺身やおひたしなどがあるからかな。飲み物も冷たい緑茶だし。

 自分達のテーブルに戻ると、美優先輩を除き、みんな料理を取って席に座っていた。


「ただいま」

「おかえり、由弦。おぉ、由弦は結構ヘルシーな感じだね」

「地元で獲れたものを中心に取ったら、こんな感じになったんだ。風花は……バイキングらしく、好きなものを取ってきたんだなって分かるよ」


 和洋中を問わず、色々な料理を選んできていた。最初からスイーツやフルーツも取っている。なくなるかもしれないからと確保したのだろうか。とにかく量がかなり多い。花柳先輩も取った種類としては風花と同じような感じだ。2人のお盆を見ると、雫姉さんと心愛を思い出すな。

 霧嶋先生は洋風の料理を中心、大宮先生はさっき注文した地酒があるからか、お刺身や枝豆などおつまみに良さそうな料理を選んでいる。


「みんな、お待たせしました」


 美優先輩がテーブルに戻ってきた。先輩は和風料理を中心に選んでおり、5人の中では一番俺と近かった。みんな美味しそうだな。


「全員揃ったわね。じゃあ、成実さん、食事の挨拶をしてもらってもいいですか? 出発の挨拶は私がやりましたし、成実さんは料理部顧問ですから」

「あらあら、そう言われたらやるしかないわね。みんな、今日は楽しかったね。バイキング形式だけど、お腹を壊さないように気を付けて楽しく食べましょう。では、いただきます!」

『いただきます!』


 こうして1日目の夕食が始まった。

 温泉に浸かっていたからか、まだ体が熱いので俺はまず冷たい緑茶を一口飲む。冷たくて、程良く渋味があって美味しい。

 俺は地元で捕れたという初鰹の刺身を一口いただく。


「うん、美味しい」

「鰹のお刺身美味しいよね、由弦君。お刺身の美味しさが分かると、ちょっと大人になった感じがしない?」

「分かる気がします。小さい頃は、お刺身があまり食べられなかったので」

「それで、実際に大人になると、お酒のおつまみとしても美味しいって分かるのよぉ」


 大宮先生は頬をほんのりと赤くして、地酒の入ったお猪口を片手に初鰹を含めたお刺身を美味しそうに食べている。お刺身も地酒も美味しいからか幸せそう。20歳以上になったら味わえる世界なんだな。


「う~ん、唐揚げ美味しい! プールでたくさん泳いだ後ですし、今日は旅行ですからいつも以上に美味しいです!」

「大げさだなぁ、風花ちゃんは。でも……ホテルの料理って美味しいよね。このステーキもとっても柔らかくて美味しい」

「普段、料理はあまりしないけれど、こうやって料理が用意されているというのは有り難いと思うわ。ビーフシチュー美味しいわ」


 風花、花柳先輩、霧嶋先生も自分の取ってきた料理を美味しそうに食べている。みんなの言うことにも頷けるな。特に霧嶋先生が言った料理が用意されていることが有り難いということは。


「ふふっ、どうしたの? 由弦君。何か感心した様子で頷いて」

「いやぁ、霧嶋先生の言うとおり、料理が用意されているって有り難いと思いまして。美優先輩、美味しい食事をありがとうございます」

「このタイミングでお礼を言われると思わなかったよ。こちらこそ、美味しい料理を作ってくれてありがとう。由弦君のおかげで、ゆっくりできる時間が増えたよ。お礼にこのマグロのお刺身を食べさせてあげる。はい、あ~ん」

「……ここで食べさせてもらうのは恥ずかしいですね。でも、いただきます。あ~ん」


 美優先輩に食べさせてもらったからか、マグロのお刺身は鰹の刺身よりも美味しく感じられた。


「ねえ、一佳ちゃん。この地酒美味しいよ。一口呑んでみる?」

「……日本酒ですか。日本酒は普段はあまり呑まないですが、せっかくの旅行ですし呑んでみましょうか。でも、生徒達がいる前ですし……」

「プールに行く直前に一佳ちゃんが言っていたじゃない。これは修学旅行でも部活の合宿でもないプライベートの旅行だって」

「……そうですね。花柳さんはまだ酔っ払った私の姿を見ていませんが……」


 花柳先輩は見ていないのか。

 ちなみに、俺と美優先輩、風花は初めて霧嶋先生の家を掃除した後にお酒を呑んで酔っ払った先生を見ている。

 大宮先生については、以前に霧嶋先生の家に行ったと大宮先生が言っていたのは覚えている。霧嶋先生も大宮先生を招待したと言っていたな。そのときにでも一緒にお酒を呑んだのだろうか。2人はとても仲がいいし、お酒を呑む機会は何度もあるか。


「一佳先生がお酒を呑むとどんな風になるのか、あたし気になります。酔っ払った先生がどんな感じなのかは誰にも言いませんから! あたし、口は堅い方なので」


 その言葉、今と似たような状況で風花が霧嶋先生に言っていた気がする。確か、先生の家まで追跡したときだったかな。


「……ウォータースライダーのときに、ずっと一緒にいてくれたし、あなたのことを信じるわ。成実さん、一口いただきます」

「そうそう、旅行なんだし楽しく一緒に呑みましょう。あっ、すみません、お猪口をもう一つください」

「かしこまりました」


 まあ、このホテルに俺達以外に陽出学院の関係者がいる可能性は低いだろうし、霧嶋先生が酔っ払っても、きっと大丈夫じゃないかと思う。

 大宮先生はホテルのスタッフさんからお猪口を受け取ると、地酒を注いで霧嶋先生に渡す。


「いただきます」


 霧嶋先生はお猪口いっぱいの地酒を一気に呑む。


「あぁ、おいしい~」


 さっそくアルコールが回ったのか、霧嶋先生は頬をほんのりと赤くしながら柔らかな笑みを浮かべ、普段よりも甘ったるい声を出す。


「成実さん、これ美味しいですねぇ」

「ふふっ、でしょう?」

「勧めてくれてありがとうございます。もう、お酒を一口呑んじゃったから、今夜は呑んじゃいましょ。成実さんの言うとおり、せっかくの旅行ですもんね。すみませ~ん」


 霧嶋先生は近くにいたホテルのスタッフさんを呼び、ビールを注文していた。そんな彼女に、隣に座る花柳先輩は驚いた様子だった。


「凄い変貌ぶりですね」

「そうなんだよ、瑠衣ちゃん。一佳は酔っ払うとこうなっちゃうの。記憶はあって、気を付けないとーって思ってるんだけどね。今日は瑠衣ちゃんのおかげで、ウォータースライダーをたっぷり滑ることができたよ。本当にありがとね」


 霧嶋先生は花柳先輩の頭を撫でている。

 撫でられた瞬間、花柳先輩は体をビクつかせたけれど、すぐに声に出して笑う。


「2年生になってから一佳先生の色々な表情を見るようになったけど、未だに学校での真面目でしっかりとしたイメージが強いから……いやぁ、このギャップはたまらない。かわいい。普段とは違って髪型がストレートヘアだからかより可愛い」

「ありがとう。でも、瑠衣ちゃんの方がもっと可愛いよ」

「……写真撮っておこう。いい思い出になるわ」


 酔っ払った霧嶋先生が気に入ったのか、花柳先輩は霧嶋先生のことをスマホで撮影する。そんな先輩のことを霧嶋先生は止めるどころかピースサインをしたり、大宮先生と一緒に写ったりとサービスぶりを発揮。ただ、酔っ払ったときの記憶が残るタイプなので、明日の朝には「写真を消しなさい!」と言うかも。


「瑠衣ちゃん、先生のギャップにやられちゃったみたいだね」

「そうですね。可愛い担任の先生だなって俺も思いますよ」


 あれが素なのだとしたら、学校でも見せていってもいい気がするけど。花柳先輩のような生徒が続出するんじゃないだろうか。


「さてと、スイーツとフルーツのおかわりしてこよっと」


 風花、結構な量を取ったのに、もう平らげておかわりもするのか。いい笑顔をしているし、まだまだ食えそうだな。

 その後も、ホテルでの初めての食事の時間は楽しく過ぎてゆくのであった。

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