トレインレールγ
橙色の風は優しく少女の髪を撫ぜる。
本に埋められた机に伏せている彼女はどうやら夢に笑顔を取られていた。本棚に囲まれるここは教室よりも狭く、部室といったところか。
彼女一人の世界……かと思いきや、引き戸が開けられた。
入ってきたのは同級生の少年一人、彼は少女の寝顔を見て溜め息をつく。
「全くお前なぁ……、活動しないとマジで廃部されてしまうぞ」
やれやれ、と言わんばかりにもう一度溜め息をついたが、ジャケットを脱いで彼女にかけると、机の反対側に腰をかけて本を手に取る。
そよ風は優しく髪と
少年は視線を文章に落としたまま、静寂に包み込まれた。
少女はくすくすと笑うが、恐らくいい夢を見ているだろうと、少年は彼女に一瞥して微笑んだ。
たった二人の部室は、甘酸っぱくて楽しい記憶をたくさん持っている。
廃部の危機でも今のままで良いのだと少年は思えた。どうせ自分達がいなくなればここは消えるのだろう。
かけがえのないものだ――
そう考えながら彼は本を閉じて戻すともう一冊を取る。
夕日が暖かくてうとうとと眠りに落ちそうだ。本の文字が化けていく……。
――シン。
ハッとして少年は目が覚めた。キョロキョロと周りを見回しても異状がない。
夢か、と少年は自嘲した。
その蠱毒のような声が頭に残り、身体を侵蝕する。
その感覚を振り払うかのように彼は本を机に置いて窓から外を眺める。
橙色の空は紺色と混じり合って紫を滲み出す。
時間はそれほど経っていないのだが、暗くなる前に帰りたいものだ。
「おい、起きろ」
少年は少女の肩を揺らす。
女の子だからこそ、早めに帰るべき――。
少年は首を傾げる。少女は起きない。
「おい――」
ガタッ。
何かが床に落ちた――うつ伏せたまま、切り離されたそれは、少女の首だ。
瞬時に彼女の肩に触れた手を見ると、鮮紅に咲いた色に、少年は声を上げた――。
「――はあっ!」
目が覚めた。彼は荒れた息を整える。
まだ暖色の世界にいることに、反対側に座っている少女がすうすうと寝息を立てることに、少年は胸を撫で下ろした。
「……夢か」
夢にしても気味悪いと、頭痛に襲われて彼は頭を抑えた。
このままいても仕方ない。本を読むどころではない。
「おい、起きろ」
「むにゃ? ……もう時間なのー?」
「お前にとって部活時間はなんなんだよ……、帰るぞ」
「うーん、まだ早いしもうちょっと寝かせてよー」
「家に帰って寝ろよ」
「んー、
「何言ってんだよお前!」
抱きついてくる彼女の顔を片手で掴んで抑えつつ、少々顔を赤らめた少年。
少女はむうと頬を膨らませて、一策を思い浮かべた。彼女は少年の腕を掴んで言う。
「じゃ、新城くんのお家目指すぞー!」
「目指すな!」
*
夕焼けに溶けそうな帰り道で二人は並んで歩いている。いつから二人しかいなくなった部室に、二人はほぼ毎日一緒に帰るようになった。
友達と帰らないかと彼女に聞いても、部活が好きだからという的外れな答えで返された。
歩みながら少女は目を瞑り腕を広げて、空気中の匂いに浸る。
「ちゃんと前見て歩けよ。危ないだろ」
「もー、誰もいないからいいでしょ、お母さん」
「てめえのような子供を育った記憶はねえよ」
「うわーん、娘の顔も覚えてないとか酷すぎるぅ」
「棒読みじゃねえか!」
そんないつもの風景に少年は楽しく感じた。少女を家まで送る時間も、あっという間に過ぎてしまう。
「いつもありがとうね」と少女。
「お前も礼を言うのか、明日は血の雨でも降るのか」
「酷いなぁー、私でも感謝するんだから」
「はいはい」
少女は少年をじっと見つめる。彼の視線を感じるとすぐに逸らす。
彼女の表情はどこかで、寂しい色に染まっていた。
「じゃあね、……また明日」
「ああ、またな」
踵を返して離れてゆく少年の背中を眺める少女は、軽く溜め息を吐いた。
今日もこの時間で。
彼女は沈んでいった気持ちと共に、鞄から家の鍵を模索する。
鍵穴にはめた鍵を回して、ガチャ、とドアを開けた。
やはり、と少女は思った。家の中は真っ暗だ。
返事がないだろうが……。
「ただいま……」
「おかえりなさい」
ドクン、と心臓の位置がズレてしまうような音がした。少女は暗闇を見つめて口を開ける。
知らない女子の声だ。
「だ、誰がいるの?」
「私が、誰ですって?」
ガタッ、席を立った音だ。だんだん目が闇に慣れてきた少女には人の形が見えた――柔らかそうな長髪、綺麗な顔立ち。そして……手に握るナイフ。
ゆらりと動く影。忌々しい呪文を唱える。
「答えたどころで、何も変わらないよ。何故なら――」
寒色の世界に誘うような声が襲ってくる。
――お前はここで死ぬんだから。
彼女は死に急いでいる(試し短編) 六葉九日 @huuhubuki
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