異形の森
転移させられた森で、私はまず周囲の安全確認を行いました。
一見すると、エルフの里や魔女の家があった場所と同じような森です。
ですがそれは一見すると、というだけで、その森の本質は……
「ウンディーネ。大丈夫ですか?」
『うん。うちは大丈夫。リーフィアは?』
「私も問題ありません。でも、この状況は少し……マズイかもですね」
まさか処刑で『ワープポータル』を使うとは思わず、反応が遅れてしまい、呑み込まれてしまいました。
ここは敵地で、私にとっての死地なのでしょう。
でも、こんなところで死ぬわけにはいきません。
警戒を強めます。
『リーフィア……ここ、どこだろう』
「さぁ、私にはわかりませんが……ここが処刑の地というのは、間違いないのでしょう」
そうでなければ、ダインさんがこのような場所に、私を転移させる理由がありませんからね。
…………でも、ウンディーネも一緒で良かったです。
きっとこの先、彼女の力が無ければ何もできないでしょう。
「ウンディーネ。世界樹の反応は近くにあるでしょうか?」
『…………だめ。すごく遠い。……ううん、何も、感じられない』
「何も、ですか」
『原初の精霊なら、大陸の真反対でも世界樹を感じられる。……なのに、何も感じられなくて……変だよ』
「ふむ」
私は手に顎を置き、考えます。
ウンディーネの言っていることは、本当なのでしょう。
私がエルフの里に来た時、世界樹はすでに一部が枯れていました。
まだ本人から聞いたわけではありませんが、あれをやったのはおそらく、ウンディーネなのでしょう。私に何かしたら、これ以上は容赦しないと秘密裏に脅していたのでしょう。
そう思った理由は、すでに枯れていた世界樹と、私の目の前で完全に枯れ果てた世界樹の症状が、全く同じだったからです。世界樹にあった水分が全て奪われ、ついでにエルフ達も巻き添えを食らい、全身の水分を奪われ、ミイラ化した。
私が知る限りで、世界樹に干渉できるほどの水の使い手は、ウンディーネのみです。
今回のことを端的に言うのであれば、私達が動く前に、ウンディーネは独断で勝手にエルフ達へと干渉していました。しかも、彼らの御神体でもある『世界樹』を枯らすという、とんでもないことをしていました。
……ですが、その程度のことで怒るようなことはしません。
彼らがウンディーネの忠告を聞かなかったのが悪いのですから、完全な自業自得です。
なので、ウンディーネを怒るようなことはしません。
私は確証が欲しくて、世界樹を最初に枯らしたのはウンディーネなのだと知りたかっただけなのです。
──その理由は、先程の言葉が本当かどうかを確かめるため。
ウンディーネは『大陸の真反対でも世界樹を見つけ出せる』と言いました。そして、それは本当なのでしょう。
最初に世界樹が枯れたのは、私がまだ魔王城に居た時。ウンディーネは常に私を行動を共にしていたので、彼女はすでに世界樹の居場所を、エルフの本拠地を探り当てていた。
それは、エルフ達の住処がこの世界のどこかに隠されていた。という証明になります。
ですが、この空間は──違う。
「ウンディーネ。もう一度聞きます。本当に、世界樹は感じられないのですね?」
『うん。本当だよ。どんなに頑張っても、何も見つからない。……この空間がおかしいんだと思う。まるで、ここだけ違う空間で、この世界だけ切り取られたみたいで、気持ち悪い。魔力もほとんど感じない……いや……無い? でも、それはあり得ない。だって魔力は絶対になくちゃいけないもので、こんな、森が広がっているのは、絶対におかしい……』
「では、もう一つ質問です。今、魔王軍の皆さんの誰かと念話を繋げられますか?」
『え? …………うそ……繋がらない。なんで、おかしいよ。今までそんなこと、無かったのに……』
「……………………」
『リーフィア……?』
「…………ああ、いえ、少し考え事をしていただけです」
この空間がおかしい。
世界が切り取られたみたいだ。
魔力が皆無。
私も、ウンディーネと同じ意見です。
……ということは、これは正しいのでしょう。
それらを考え、導き出せる答えは──ただ一つ。
「おそらくこの森こそが、存在しない空間なのでしょう」
根拠は、沢山あります。
まず一つ、ウンディーネが世界樹の存在を確認できないことです。
世界樹はすでに枯れ果て、死んでいる状態だったとしても、まだ魔力の残滓くらいは残っているはずなのに、原初の精霊であるはずのウンディーネが、それを感じられない。巧妙に隠されていたエルフの里の中だろうと、ウンディーネは世界樹の場所を見破った。なのに、今はどんなに頑張っても、それを見つけ出すことはできていない。
そして、魔力が皆無なこと。
あの世界では、どこだろうと必ず魔力は宿っています。特に森の中は、魔力が溢れていました。それは魔力体である精霊が直接、森に手を加えているからです。
あそこでは精霊が全ての自然を担っている。精霊のいないところには、自然が育たないと言われているほど、精霊と魔力は絶対的な存在でした。
最後は、ミリアさん達の誰とも念話が通じないことです。
ウンディーネは一度深く関わった仲ならば、誰とでも念話を繋げられます。普通の精霊は契約者としか念話が繋げられないのですが、原初の精霊となれば、契約者と深く関わっている人物でも念話を繋げることが可能です。でも、今はその誰とも繋がらない。
私が魔女の家がある森に入っていた時も、ウンディーネとの念話は通じていました。エルフの里と魔女の森は、巧妙に隠されているだけで、あの世界の何処かに存在していた。
…………ですが、この森は違う。
完全に隔離された世界。
あの世界のどこにもない──異世界。
──ォォォォ──
「『っ、!』」
私達は同時に、顔を上げました。
遥か遠くの方から聞こえた、怨念のような唸り声。
獣のような、怪物の、存在してはいけない『何か』の叫び。
それを聞いた瞬間、全身がぞわぞわと逆立ちました。
背中に冷や汗が伝い、私は構えます。
あれだけはダメだと、本能が警告を発しています。
あれに遭遇するのは、絶対にいけない。
──こんなに離れているのに、何なんですか、この圧は!
「ウンディーネ!」
『何か、いる! すごい速さで、こっちに来てる!』
「今はあれこれ考えている場合ではありません。準備を!」
『うんっ!』
この森に魔力がない今、逃げることは不可能です。体内に宿る魔力で少しは逃げられるでしょう。でも、それが尽きた時、この森の土地勘がない私達では、ジリ貧です。
おそらく『やつ』がこの森の主で、全ての元凶。
確信はありませんが、『やつ』しかあり得ないと、理解してしまいます。
『…………くるっ!』
──ォオオオオオオオ!!!!
木々を掻き分け、薙ぎ倒し、姿を表したのは──漆黒の異形。
漆黒の正体は、人間の黒髪のようなもの。
それは真の姿が見えないほど濃く深く覆われ、正体を追求しようと見つめると、耐えられないほどの圧力と、嫌悪感が流れ込み、私は、思わず後ずさっていました。
──オオオオオオオオ。
異形は、地の底から鳴るような声を響かせ、全身から生えた細い棒のようなものを忙しなく蠢かせ────
「っ、アレは……!」
奴の全身から生えている細い『物』。
それを認識した瞬間、私は言葉を失いました。
『それ』は、人の腕、でした。
黒く変色してボロボロに朽ち果てていますが、細いものの先端で分かれた五本の、更に細いものをこの目で確認しました。大人の腕にしては、少し細すぎるもの。それがいくつも並び、私へと手を伸ばすように、蠢きます。
あれは──魔女達の成れの果て。
──オオオオオオオオオオオオオ!!!!!
異形は吠えました。
苦しそうに悲しそうに恨めしそうに、痛そうに……。
「…………ええ、そうですね」
異形は吠えます。
髪のような毛をざわめかせ、全身に生えた腕を蠢かせます。
新たに迷い込んだ贄を取り込まんと、綺麗な歯並びをした歪な口をガパッと開きます。
──オオオオオオオオオオオオオ!!
「ええ、約束、しましたからね」
名も知らぬ少女。
もっとみんなと遊びたかったと、死にたくないと、日記を書き残した哀れで小さな魔女。
彼女を救うと、解放すると、私はあの場所で誓いました。
そして今、それを成す。
私は異形の前に立ち、人差し指をクイッと折り曲げます。
「──来なさい。お姉さんが遊んで差し上げます」
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