それぞれの場所で

 今日も今日とて書類整理に追われ、ようやく眠れると布団に入った私、ヴィエラの部屋に入って来たのはウンディーネだった。


 彼女は私達の仲間、リーフィアの契約精霊であり、世界が創造された時に生み出された原初の精霊の一体だ。下手をすれば魔王軍を相手に彼女だけで立ち回れるほど、強力な力をその身に宿している。


 そんな格上の存在なはずのウンディーネが、泣きべそをかいて部屋に突撃して来たのだ。私が驚いたのは言うまでもないだろう。


「ふむ、それで私のところに来たと」


『…………ぅん』


 泣きじゃくるウンディーネからようやく聞き出したのは、リーフィアと喧嘩したという情報だけだった。


 その程度で全てを理解するというのは不可能だし、喧嘩でここまで号泣するのか? とは思ったけれど、彼女達はあらゆる分野で意味不明だ。そんな彼女達を『普通』で見たら、こちらが疲れるというのは痛いほど理解している。


 ……ここは、彼女が落ち着くまでゆっくり待ちながら、少しづつ情報を集めるのが得策だろう。


「喧嘩の理由を聞いてもいいかな?」


『……えっぐ! リー、ゔぃあが、あのびとどずっど話し……! ぐすっ! それで、ずごぐ怒られ、ひっぐ、だからだいぎらいっで……! ……ぅ、ぁあああああああん!!!』


 ──うん。わからん。

 お茶をすすり、一息つく。


「まずは泣き止んでくれると嬉し──」


『ぁあああああん! リーフィアに、ひぐっ、嫌われちゃ──うわぁああああああん!! あああああっ!』


「無理だね。そうだよね。…………はぁ……」


 参ったなと、私は頭を掻く。


 何か落ち着くものをと考えたけれど、私の部屋には必要最低限の物しか置いていない。泣きじゃくる最高位の精霊を落ち着かせられるようなものなんて、あるわけがないんだ。


 だとしても、このまま泣き止むのを待っているのもなぁ……。

 というか泣き止むのか、これ? いや、原初の精霊様を『これ』呼ばわりってのは無礼なんだけど、つい面倒臭くなって素が出てしまった。


 でも、それ以上泣かれたら部屋が浸水しちゃうから、本当に泣き止んでほしいんだけどなぁ。ウンディーネは全ての水を司るから、このまま泣き続ければ私の部屋だけではなく、魔王城全体が浸水してしまうだろう。


 ──え、まさかこれってかなりの事件なのでは?


 ここで私が選択をミスれば魔王城が浸水。下手をしたら崩壊? なにそれ、どうしてこうなった?


「なんてことだ……」


 私は頭を抱える。

 面倒事に巻き込まれただけではなく、知らぬ間に魔王軍存続に関わる重大事件になっているとか……


「夢なら覚めてくれぇえええええええええ!!!!!」


『うわぁあああああああああああああんん!!!!!』


 絶叫と鳴き声が、深夜の魔王城に響き渡るのだった。




          ◆◇◆




「なるほどなぁ……リーフィアが古谷殿と話していたら、ウンディーネが不機嫌になったと」


「…………はい。その通りです」


 妾、アカネは椅子に腰掛け、リーフィアから事の顛末を聞いていた。


「はぁ……なんとも人騒がせな」


「…………申し訳、ありません」


 腕を組み溜め息を吐く妾に対して、リーフィアは完全に縮こまっていた。顔は斜め下を向き、何もないテーブルを虚ろに見つめている。


 いつもの飄々とした態度とは違い、完全に意気消沈している姿は、見ているこちらも痛々しく感じる。


「うむ。話を聞く限り、ウンディーネは嫉妬しておるな」


「しっと、ですか……?」


 リーフィアはゆっくりと顔を上げ、不思議そうに首を傾げた。

 それは本心から「どうして?」と思っている顔だ。


「リーフィアが古谷殿と話して、どうしてウンディーネが嫉妬するのかわからない。そのような顔じゃな」


「……ええ、その通りです」


 そしてリーフィアは、再び黙ってしまった。


「でも、ちょっとは考えたんです」


 彼女はぽつりと小さく呟いたかと思うと、一つ一つ、ゆっくりと言葉を並べ始めた。


「ウンディーネは古谷さんが何かを言う度、反抗していました。もしかしたらそうなのかも……とは思ったのですが、やはりわかりません」


「ふむ。わからない、とは?」


「ウンディーネが古谷さんに嫉妬する理由です。だって私はウンディーネを一番に見ていて、彼女と魔王軍の皆以外は別になんとも思っていないのに……どうして古谷さんなんかに噛み付くのか。同じ男性なら、ディアスさんにも敵対心を向けるでしょうし、魔王軍の兵士は男性ばかりです。なのに、どうして彼だけなのでしょう?」


 それは茶化しているわけでも、わざと気づかないようにしているわけでもない。

 リーフィアは、本気でわかっていないのだろう。


「お主は、人の心というものに関心が無さすぎるな」


「…………グゥの音も出ませんね」


 リーフィアはたまにそういうところがあった。

 他人のすること為すことに興味を持たず、挙句には自分には関係ないからと見向きもしなくなる。それは無気力というには……少し重症だった。

 まさか他人の行動だけではなく、心までにも関心がないとは思っていなかったが……。


「私は、私の心を封印していました。それは必要ないからです」


「どうしてそう思う?」


「無駄だからです。……私が前の世界でどのような仕事をしていたか、ご存知でしょう?」


「……まぁ、そうじゃな」


 リーフィアは『地球』という星から転生してきた元人間。

 そんな彼女が働いていた環境は、はっきり言って最悪だった。


 依頼が無茶苦茶なのは当たり前で、依頼変更があっても収納期限ギリギリ。しかも期限は引き延ばしされず、納期に遅れた場合は自己責任。


 やっとの思いで達成した仕事に対して、上司からは「出来て当然だ」と言われ、次からその無茶が当然のように要求されるようになり、更なる無茶な依頼が下される。

 出来なかった場合、減給は勿論、何時間にも及ぶ説教を受け、何倍もの仕事を渡され、出来るまで帰宅出来ない。


 残業代というものは皆無であり、いつも帰るのは終電ギリギリ。……妾には終電ギリギリという言葉の意味がわからなかったが、その時にちらりと見えたディアスの最大限まで引き攣った表情だけで、とてつもない苦行だというのは理解出来た。


 あのディアスが途中で「おえっ……」と限界を迎えるような話だ。

 彼女には同情ではなく哀れみという感情しか持てなかった妾達だが、やはり聞いていて気分は良くなかった。


「あのような環境です。人の心というものを残しているだけ、傷付きやすくなる。私はずっと一人だったので、誰かに励まされることもありませんでした。欲しかったものは貰えず、代わりに上司の小言が耳に入る。そんな私は、誰の心にも関心を持てなくなりました」


「じゃが、ここは違う」


 リーフィアは儚げに笑った。


「…………ええ、こんな私を拾ってくれたミリアさんには、本当に感謝していますよ」


「であるならば、そろそろお主も変わるといい」


「……え?」


「ここはお前の知っている世界ではなく、異世界なのじゃ。職場の環境もそうじゃが、そろそろ人の心と向き合うことを考えても良いのではないか?」


「…………私に、出来ますかね?」


「それは知らぬ」


 ムッとした表情になるリーフィアに、妾は笑って返す。


「わからないからこそ、頑張るのじゃよ」


 良い結果になるかどうかは、リーフィア次第。

 急に人の心を考えろというのは難しいのかもしれぬが、彼女には必要なことだ。


 全てはリーフィアとウンディーネ、二人の問題。


 だが、妾達は魔王軍という『仲間』だ。

 少しの悩みくらい一緒に解決してやるのが、仲間というものじゃろうよ。

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