第92話 引き取ってやってもいい

 時間は逆戻りする訳でもなく止まる訳でもなく、とうとう放課後になってしまった・・・

 俺は生徒会室に行かねばならないのだが、その前に職員室へ行って軽音楽同好会の企画書を受け取る必要がある。南城先生は軽音楽同好会の顧問だけどではないのは分かってるから、職員室へ行くしかない。


「はあああーーー・・・」


 結局、今日は丸1日、藍も唯も俺と一言も口を聞く事なく、いや、視線を一度も合わせる事はなかった。しかも帰りのショートホームルームが終わると二人ともササッと教室からいなくなってしまった。クラスの連中の視線もどことなく余所余所しくて、俺に声を掛けてくれたのが小野寺と茜さん、それと高坂さんだけという事実がそれを物語っている。


「失礼しまーす」


 俺は相当重い足を引きずるようにして職員室へ行ったが、どういう理由かは分からないけど先輩が南城先生と一緒にいた。しかも友達同士が会話してるような雰囲気で南城先生と話し込んでるじゃあありませんんかあ!

 相変わらずではあるが、先輩は南城先生に対して『教師と生徒』というより『生徒同士』の会話をしているようにしか思えないほどの態度だ。というより南城先生以外の教師に対してもズケズケと文句を言うくらいだから、南城先生を相手に怯むなど全然考えられない。もし怯むとしたら『女王様モード』全開の藍と絢瀬先輩に向き合った時くらいだ。

「あのー・・・」

 俺は恐る恐る南城先生に話し掛けたが、その南城先生は「待ってたよー」と言って机の上に置いてあった封筒を俺に差し出した。

「平山くーん、先生のサインは入れてあるから、ちゃあんと生徒会室に持って行ってよー」

 そう言って南城先生はニヤニヤしているけど、明らかに俺を揶揄っているとしか思えないから、ホントに勘弁して欲しいぞ、ったくー。

 で、こうなった全ての原因を作った張本人の先輩ですけど・・・全然反省した様子が無い!

「いやー、スマンスマン、あたしは下書きだと思ってたから、後輩君が直接南城先生のところへ出してくれると勘違いしてましたあ」

 そう言って先輩は悪びれる様子もなく右手を頭の後ろにやってニコニコしているから、ホントに勘弁して欲しいです。

「せんぱーい、俺は先輩から南城先生に出すように言いましたよねー」

「うーん、たしかにそう言われたような気がするけどー、まあ『ぎたるはなおおよばざるがごとし』で、あたしもちょーっとばかし反省してるよー」

「せんぱーい、『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の意味は『何事でもやり過ぎることはやり足りないことと同じようによくない』だから、やり忘れたのにこの言葉を使うのは明らかにおかしいですよー」

「うっそー!南城先生、あたしの使い方、おかしい?」

 先輩は俺のツッコミに『マジかよ!?』と言わんばかりの表情で南城先生の方を向いたけど、南城先生も笑いながら「そうだよー」と返してきた。

「相変わらず田中さんは無頓着というかKYというか、国語力が壊滅的ねー」

「あー、それ、ひっどーい!」

「国語教師の前で使い方を間違えるからです!」

「うわっ、そういえば南城先生の担当は国語だったのを忘れてたあ!」

「ま、ここで先生が口酸っぱく言っても職員室を出る頃には忘れているでしょうから『のどもとを過ぎれば熱さも忘れる』という言葉は田中さんの為にあるような物ねー」

「南城せんせー、いくらあたしでもそこまで酷くないですよー」

「あらあらー、担任の太原たいげん雪斎せっさい先生が言ってたわよー。背中にHDDでもつけておかないと、危なっかしくて日直も任せられないってね」

「えーっ、そこまで言われたら、いくらあたしでもへこみますよー」

「どこがですかあ?先生は田中さんが反省したのを見た覚えが無いんですけどー」

「まあ、クヨクヨしないのがあたしの取り柄ですからねー」

 そう言うと先輩は『ガハハハハー』と豪快に笑い飛ばす始末で、全然反省しているように見えません!まあ、これが先輩の良いところでもあり悪いところなのでもあるから、今になってあーだこーだ言っても始まらないですね。

「・・・じゃあ、俺、行きますよー」

 そう言って俺は右手に持った封筒ごと軽く手を上げて立ち去ろうとしたのだが、先輩が「あー、ちょっと待って」と俺を呼び止めた。

「ん?せんぱーい、何か忘れも物ですかあ?」

「あたしも行くよー」

「へ?」

「だってー、うちだけ出してないんだからさあ、部長として謝ってくるよー」

「あれー、珍しいですねえ」

「悪かったわね!」

「そりゃあ、そうですよー」

 俺はケラケラと笑ったし南城先生も笑ってるけど、当の本人は珍しく大真面目な顔だ。

「さすがのあたしも今回ばかりはカズさんと絢瀬さんに詫びておかないとマズいからねえ」

「まあ、たしかにそうですね。講堂の使用枠を没収されても文句言えないですからね」

「そういう事だよ。規則上は桜高祭ブロッサム・フェスティバルから締め出されても文句言えないのは、あたしも重々承知してる」

 そう先輩は言って、俺と並ぶようにして南城先生に背を向けたから、南城先生は「ちゃあんと謝ってきなさいよー」と言って右手を軽く上げた。


 先輩は俺の右を歩いてるが、その表情は珍しく真面目だ。いつもならヘラヘラしたような顔が全然なく、これが同じ人物なのかを思うくらいの表情だから逆に俺の方が困惑しているくらいだ。

「あ、あのさあ・・・」

 さっきまで無言だった先輩が俺に声を掛けてきたから、俺は「ん?」と答えて歩きながらではあるが先輩の顔を見た。先輩は前を向いたままだけど先輩の額からは汗が滲み出ていた。

「こ、後輩君はさあ、いつから絢瀬さんと付き合ってたんだ?」

「へ?」

「あ、あたしが知ってる限り、絢瀬さんどころか誰とも付き合ってない、というより、後輩君はだから、あたしも油断してたというか何というかさあ・・・」

「せんぱーい、意味が全然分かりませんよー」

「あー、いや、別に・・・」

 先輩は口ごもってしまったから、その続きの言葉が何なのか全然聞き取れなかった。

 俺は先輩に「どうしたんですかあ?」と聞いたけど先輩は何も答えてくれなかったから、先輩が何を言いたかったのか全然分からない。

 でも、俺も正直に言うけど先輩の質問にどう答えていいのか分からない。包み隠さず正直に答えるべきなのだろうか、それとも、適当に答えて誤魔化すべきなのだろうか・・・

「・・・落ち着いて考えてみればさあ、後輩君には10歳以上も年が離れたお姉さんがいるから、ああいう大人っぽいというか、落ち着いた雰囲気の年上の女性が好みだというのは的を得てるなあって思わざるを得ないよね。自分でも分かってるけど、あたしは知っての通り、ぜーんぜん絢瀬さんとは逆のタイプで、どちらかと言えば幼稚園児がそのまま高校生になったみたいに落ち着きが無いから、同じ3年生でも絢瀬さんに敵う訳がないっていうのが自分でも分かってるし、それでいて胸は小さいし全然可愛げがないし、毎回追試ギリギリで三流大学くらいしか行けそうもないし、セレブのお嬢様でもないし、それに、それに、こ、この学校で絢瀬さん以上の女の子がいないのは1年生から3年生までの女の子は分かってる。それは藍ちゃんも唯ちゃんも言ってる。口にこそ出してないけど、自分が絢瀬さん以上だと思ってる子は誰もいない、絢瀬さんが最高だっていうのは桜高の女の子の共通認識だってこともね」

「・・・・・」

「・・・絢瀬さんの事を悪く言う人は誰もいないけど、正直に言えば、あたしは絢瀬さんの顔を見たら今でも全力の往復ビンタを食らわしてやりたいって思ってるけど、そんな事をしたらから出来ないっていう悔しさもあるけどねー」

「・・・・・」

「ま、まあ、無いとは思うけど、後輩君と絢瀬さんが喧嘩別れするような事があれば、その時にはくらいに覚えておいてくれればいい。それで十分だから・・・」

「えっ?」

 俺は先輩が最後に言った言葉で、思わず先輩の顔を見てしまったけど、その先輩は真っ直ぐ前に向いたまま俺の方を全然向いてなかった。でも、俺が見ていることに気付いたのか、先輩は急に顔を真っ赤にしたかと思ったら普段通りの少しだけになって俺の方を向いた。

「と、とにかく!部長のあたしが生徒会長と実行委員長に頭をさげるんだからー、マネージャーの後輩君も誠心誠意を込めて頭を下げて、このあたしのフォローをしてくれたまえ!」

 そう言って俺の背中を『バシッ!』と叩いてから「頼んだぞー」と言ってニヤニヤしているから、俺もちょっと拍子抜けしてしまったけど、先輩はそれっきり前を向いて俺の方を見る事もなく、鼻歌を歌いながら歩いていた。


 俺と先輩は生徒会室の扉を開けたけど、そこにカズ先輩や真壁先輩たち執行部5人はいたけど絢瀬先輩はいなかった。カズ先輩が言うのはダンス部の方へ行ってるらしく、恐らく30分くらいは戻ってこないんじゃあないかとの事だった。

 先輩は珍しくカズ先輩に神妙な顔つきで「このたびはご迷惑をお掛け致しました」と言って頭を下げたけど、カズ先輩は「別に気にしてないよー」と笑顔で言って企画書を受け取ってくれた。真壁先輩からは「律子には首に予定表でもぶら下げておかないと駄目かもねー」と揶揄われたけど怒られるような事はなかった。

 俺と先輩は生徒会室を出たけど、そのまま俺は先輩に引っ張っていかれる形で第二音楽室へ行ったが、もう既に他の4人は来ていて、いつも通りの女子トークになっていた。藍と唯も今日初めて俺と視線を普通に合わせてくれたけど、唯が最初に言った言葉は「たっくーん、コーヒー」で、藍も「拓真君、早くコーヒーを出しなさい」だった。どうやら怒りが収まったようで俺も正直ホッとした。

 ただし・・・誰がどの席に座るかで、中野さんの提案で『くじ引き』で決める事になった。

 結果は・・・俺の右は琴木さん、左が先輩になり、藍は琴木さんの前、唯は先輩の前になり、俺の正面に座ったのは中野さんだった。中野さんは最初から最後まで額から汗を流してたし、「言い出した張本人がここに座って申し訳ありません」とか言って藍に平謝りしていた。

 結局、今日は南城先生が第二音楽室に来る事もなく、女子トークのみで終わりとなり、誰一人として楽器に触れる事なく解散となった。

 家に帰ってからの藍と唯も普段と変わらなかったから、母さんも「あらー、仲直りしたようねー」とか言ってニコニコしていた。藍も唯も「ちょっと大人気なかったです」とか言って母さんに軽く頭を下げてたけど、その後は普段通りだった。


 俺は第二音楽室でも、家に帰ってからも、顔には出してないけどずうっと同じ事を考えてた。


 藍と唯は本当に俺を諦めたのだろうか・・・


 それに・・・先輩がを普通に考えれば・・・


 もしかして俺は・・・いや、それは考え過ぎだ・・・でも、もし俺の勘が正しければ・・・そう考えると俺は目が冴えてしまって、日付が変わるまで眠りにつく事が出来なかった。





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