第88話 спаситель(スパシーチェリ)

 絢瀬先輩は再び牛乳をストローで飲み始めたけど、その顔はニコニコ顔だ。俺は自分の牛乳を飲みながらチラリと食堂の入り口を見たけど、藍が『女王様モード』全開で俺を睨んで扉をガタガタ震わせているから、隣にいる中野さんの顔が引き攣っている!『桜高の女王様』に生徒会三役以外で堂々文句を言う(?)数少ない人物の中野さんがビビっているほどだ。先輩はその中野さんの頭を右手で押さえながら「後輩君のバカヤロー!」とか叫んでるけど逆に琴木さんは「平山せんぱーい、おめでとうございまーす!」とか言って茶化している。真壁先輩は右手を自分の額に当て左手は腰に当ててるけど、その表情は「あんたらさあ、いい加減にしなさいよー」とボヤいてるように感じたのは俺だけ?

 唯だってハッキリ言うけど『桜高の女王様』以上の黒いオーラ(?)を出してるとしか思えない表情で俺、ではなくから、俺は気が気でない!何しろ最大最強の敵ともいうべき絢瀬先輩が自分の彼氏を強引に引っ張って行った挙句、校内で堂々とデート(?)しているのだから、内心は相当面白くないはずだ。

 俺にとって最悪なのは、家に帰ったら藍と唯の二人に無条件で顔を合わせる(義理のなのだから当たり前)ことだ。想像するだけで恐ろしい・・・

「・・・それにしても、結構お客さんが来てますねえ」

「絢瀬せんぱーい、こうなるのが分かってたんじゃあないですかあ?」

「うーん、そうとも言えるかも」

「ノンビリすぎませんかあ?」

「ノンノン!これで野乃羽さんの疑いは間違いなく晴れるでしょうし、わたしも難問解決に向けて一歩前進したし、まさにオールグリーンよ!」

 そう言うと絢瀬先輩はニコニコ顔のまま牛乳を飲み終わったけど、たしかに絢瀬先輩から見たら、悩ましい2つの問題のうち1つ目は解消できたし2つ目も協力者を得ることが出来た。ストレスから解放されてニコニコ顔になるのも分かるけど、それにしても呑気すぎませんかあ?

「・・・それじゃあ、そろそろ行くわよ」

「行くって、どこへ行くんですか?」

「わたし、生徒会の仕事をほったらかして君と会ってるから、カズさんだけでなく生徒会のみんなが首を長ーくして待ってる筈よー」

「あー、そういう事ですかあ」

「もっとも、真壁さんは見学者になってるから、わたしと同様にサボリ組ね」

「真壁先輩ほどの人でも気になるんですかねえ」

「そりゃあそうでしょうね。なにしろ『桜高の妖精』が初めての色恋沙汰になる話題を、しかも白昼堂々と校内でやってれば、歴代最高の風紀委員長でも気になって仕方なかったんでしょうね」

「かもねー」

「じゃあ、具体的な相談日時は後で連絡するからー」

 そう言って絢瀬先輩は立ち上がったから、俺も慌てて牛乳を飲みながら立ち上がった。そのまま牛乳パックをゴミ箱に投げ入れると、今度は食堂の入り口側に向かって歩き出した。当然だけど真壁先輩や藍たちに俺と絢瀬先輩のから、ササッと道を開けたけど、再び後ろからついてくるのが分かるから、とてもではないが俺は後ろを振り返れない!

 しかも、どういう理由かは知りませんが、俺と絢瀬先輩の距離はゼロ距離なのです!完全に俺の左肩と絢瀬先輩の右肩がくっついてます!!一体、絢瀬先輩は何を考えてるんですかあ!!!

 あれっ?そういえば・・・

「・・・あのー、絢瀬先輩」

「ん?どうしたの?」

「俺、先輩の連絡先を全然知らないのに、どうやって先輩は俺に連絡をするつもりなんですかあ?」

「あらー、そんなの簡単よー。お爺様の伝手を使えば、その気になれば君の虫歯の治療履歴だって半日もあれば全部揃えられるわよー」

「マジ!?そんな事まで出来るの!  ( ゚Д゚) 」

「まあ、それはちょっと言い過ぎだけど、君の連絡先くらい絢瀬家の情報網を使えば簡単に調べられる。勿論、お爺様や父に無断でやる事だけど、使える物は何でも使わせてもらうわよ」

「それはちょっと犯罪スレスレですよー。母さんが知ったら敵に回るかもしれませんから勘弁して下さいよお」

「うーん、あの凄腕弁護士を敵に回したら厄介だから、それはやめておくわねー」

「そうして下さーい」

「じゃあ、代わりにこの場で番号を教えるから、今夜、ショートメールを入れて頂戴。そうすれば少なくとも君の番号が分かるから、そのショートメールの番号にわたしから折り返すわよ」

「いいですよー」

「じゃあ、教えるわよ」

「えーと、どれにメモしようかな・・・」

 そう思って俺はポケットの中に手を入れて生徒手帳を取り出そうとしたけど、何を思ったのか絢瀬先輩は俺の左耳に顔を近づけてきた!!

「・・・1回しか言わないわよ」

「へ?・・・」

「わたしの番号は090・・・」

 俺はその番号を確かに聞いたけど、右耳には今までで最大の怒号が入ってきてたから耳が潰れるかと思ったほどだあ!!

「・・・たしかに語呂合わせが簡単ですね」

「でしょ?」

「じゃあ、今夜連絡します」

「そうしてね。あー、そうそう、君に成りすました誰かが連絡してくる可能性があるから、『合言葉』を送信してね」

「合言葉?」

「そう」

「どんな?」

「うーん・・・спасительスパシーチェリ

「はあ!?」

 俺は思わず絢瀬先輩の顔を覗き込んでしまったけど、絢瀬先輩は俺の顔を見て「あっ!」という表情をした。

「あー、ゴメンゴメン、わたしもちょっと捻り過ぎたわ。君にロシア語は無理だったわね」

「ロシア語!ぜーったいに無理です。藍や唯でも無理です!」

「代わりに、イタリア語になるけど『salvatoreサルヴァトーレ』でどう?」

 俺はその言葉に思わず絢瀬先輩をマジマジと凝視してしまったが、絢瀬先輩はニコニコしている。本当に俺の事をそう思ってるのかなあ・・・

「・・・分かりました。それでいきましょう」

「頼んだわよ。というより、君が本当にわたしの『救世主』になるなら

「へ?」

「じゃあ、わたしは生徒会の仕事に戻るわよ」

 そう言ったかと思ったら絢瀬先輩は左手で生徒会室の扉のドアノブに手を掛けた。そう、俺たちは食堂から真っ直ぐ歩いて生徒会室の前まで来ていたのだ。

 そのまま絢瀬先輩は生徒会室のドアを開けた。中に入るとき、絢瀬先輩は「じゃあねー」と言ってニコリとしながら右手を軽く振ったから、俺も右手を軽く上げて絢瀬先輩に挨拶した。

 絢瀬先輩はそのまま生徒会室のドアを閉めたから、俺も「ふーー」と軽く息を吐いて呼吸を整えた。

 しかしなあ、絢瀬先輩がをどう捉えたらいいのだろうか・・・社交辞令と捉えるべきなのか、それとも本気なのか、あるいは揶揄われただけなのか・・・

 だがその時、俺は生徒会室の前で突っ立って考え込んでいる場合ではない事に気付いた!!


「・・・たーくーまーくーん!!!」


 俺はその言葉を聞いて思わず「はい!」と反射的に返事をして後ろを振り向いた!そこには・・・当然だけど藍が『女王様モード』全開で俺を睨んでいた!!

「ちょっと付き合ってもらうわよ!」

「つ、付き合ってもらうって、どういう意味なんですかあ?」

「いいから来なさい!」

 そう怒鳴ったかと思ったら藍は俺の左腕を自分の右手でガッシリと掴んで強引に俺を引っ張りだした!しかも歩きながらの姿勢で後ろを振り向いたかと思ったら

「今からを事情聴取するから、一緒に聞きたいと思うならついてきなさい!その代わり、後でどうなっても私は責任を負わないわよ!!」

 そう怒鳴ったかと思ったら俺の腕を握る指の力がますます強くなっている!俺も冷や汗をかいてるのが丸分かりだあ!!

 ただ・・・当たり前だけど真壁先輩だけでなく他の連中も尻込みをして誰一人として俺と藍を追いかけてくる奴はおらず、流れ解散になった・・・


 結局、藍についてきたのは唯だけだ。先輩ですら恐れをなしてついてこなかったのだから、藍の怒りの凄まじさが分かった・・・


 俺は風紀委員室に閉じ込められ、30分以上に渡って藍と唯から、つまり義理とはいえ姉と妹の両方から事情聴取、というより罵声を浴びせられたと言った方が正しいくらいに追及された・・・


 俺は改めて無罪を主張したけど、藍と唯が信じたかどうかは分からない・・・


 ただ、最後には藍が「『疑わしきは罰せず』の基本原則にのっとり、今日はこのくらいにしてあげるわ!!」とか言って、ドアが壊れるんじゃあないかというくらいの勢いで開けて風紀委員室を出て行った事で、ようやく俺は解放されたけど、背中は完全に汗びっしょりなっていて、マジで風邪を引きそうだ・・・


 もちろん、俺も弁護士一家の端くれだからクライアントからの依頼内容は答えなかった(というより、まだ具体的な依頼内容は知らないから言えなかったが正しい)。


 唯がドス黒いオーラ(?)を振りまいたまま藍に続いて風紀委員室を出て行ったのは言うまでもなかった・・・


 

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