第50話 珍しく優雅な手付きで・・・

 2年A組に行っても誰も藍と唯に「サインして下さい」とか「握手して下さい」などと言ってくる人はなく、みんな普段通り「おはよう」と言って普段通りにしか接してこなかった。本多と山羽だけは満面の笑みで藍と唯を出迎えたけど、当たり前だがこの二人が「サインして下さい」「握手して下さい」などと言う訳がないのだ。ただ、本人たちは藍や唯に言われた事を忠実に実行し見事に成功させたのが喜びなのだから、見返りなど考えてないのは俺にも分かる。

 あ、そうそう、「わたしを『放課後お喋り隊』に加えて下さい!」などと言ってくる人も誰一人いなかった。ま、たった1日で軽音楽同好会のイメージを変える事は無理だろうと思ってたから想定内だけどね。


 その状況は昼休みになっても変わらなかった。


 藍も唯もその頃には割り切っていて、あーだこーだ言わなくなっていた。


 時間は進み放課後・・・


 いつもの如く俺は唯に引っ張られる形で第二音楽室へ行った。いつもの事だけど、俺と唯がこうやって第二音楽室へ行く様子は見方を変えればラブラブなカップルが歩いているようにも見えると思うんだんけど、誰もそう思わないのが嬉しくもあり悲しくもある。

「おーい、待ってたぞー」

「平山せんぱーい、待ってましたよー」

 今日は珍しく先輩が先に来て待っていたのだが、琴木さんと二人であーだこーだ言いながら俺たちが来るのを待っていたであって、当然だが先輩も琴木さんも楽器を出してない。

 俺と唯はいつも通り机を持ちだしてきて俺は先輩の、唯は琴木さんの横に並べ俺たちは向かい合う形で座ったけど、今日の藍は早くも風紀委員としての巡回があるから遅れて合流の予定だ。

 でも・・・俺はいつもと様子が違う事に気付いた。

「あれっ?・・・先輩のカップがいつもと違う・・・」

「本当だ。りっちゃんがコーヒーカップで飲んでる!」

 俺と唯は思わず口に出して言ってしまったけど、当の本人はとして俺たちを見ている。

「せんぱいー、〇ィズニーランドのマグカップはどうしたんですかあ?」

「ん?今日からこいつに変えた。というより変えさせられた」

「「変えさせらた?」」

「そう、変えさせられた」

 先輩はそう言うと優雅な手付きでコーヒーカップを掴むと残ったコーヒーを一気に飲み干した。

「ムギ!お替り頂戴」

「はーい、いいですよー」

 先輩はそう言うと空になったコーヒーカップを琴木さんに差し出したけど、琴木さんはそのコーヒーカップを手に取るとスプーンでネッスルカフェを入れて・・・ではなく立ち上がって窓際の机の上に用意してあったドリップコーヒーを作ってるじゃあありませんかあ!

「はーい、お待たせしましたー」

「おう、サンキュー!」

 それだけ言うと先輩は琴木さんからコーヒーを受け取った。先輩はコーヒーカップを机の上に置くと例の割れビスケットに手を伸ばしたけど、先輩は普段以上に超がつくほど上機嫌になっているぞ。

「琴木さん、あのドリップコーヒーは誰が持って来た?」

 俺は思わず琴木さんに尋ねてしまったけど、琴木さんはノンビリムードのままだ。

「あー、あれはですねえ、お爺ちゃんが『放課後お喋り隊』の皆さんへのプレゼントだと言って持たせてくれたものだよー」

「「プレゼント!?」」

「そうだよー。カップもドリップもサーバーも全部『うなパイファクトリー』のラウンジにある物と同じだし、コーヒー豆も同じだよー。お爺ちゃんが言うにはー、学校前の支店に豆を置いておくから欲しければ店長に言って勝手に使っていいって言ってたよー」

「「それってマジ!?」」

「そうだよー。ぜーんぶ、ライブの御褒美だから遠慮しないで使ってねー」

 おいおい、たしかにこのコーヒーカップだって相当高級品だぞ。さすがに懸賞の鬼とまで言われる母さんが当てたイギリス王室御用達の最高級ベルギー製には劣るけど、この艶といい重厚感といい、先輩が先週まで使っていた10年以上前に〇ィズニーランドで買ったマグカップと比べたら『月とスッポン』もいいところだぞ!

 あれっ?という事は・・・

「・・・そういえば言い忘れてたけどー、コーヒーカップは6つあるからー、唯先輩と平山先輩の分も作りますねー」

「「6つ?」」

「そうですよー。田中先輩、唯先輩、藍先輩、平山先輩、それと南城先生。それにわたしの分を合わせて6つだよー」

 た、たしかに俺は琴木さんに指摘されて初めて気付いたけど、琴木さんの前にあるコーヒーカップは赤、先輩が持っているカップはオレンジのラインが入ったコーヒーカップだけど、窓際の机の上には黄色、黄緑色、水色、青色のラインが入ったコーヒーカップが並べてある!

「南城先生の分まであるのかよ!? ( ゚Д゚)」

「そうですよー。まあ、最初は『メンバー四人とマネージャーさんで使ってね」とか言って5個だったんだけどー、先生がお爺ちゃんにゴマすりして増やしてもらんたんだよねー」

 先輩と琴木さんは「さもあらん」と言わんばかりに顔を見合わせてニヤニヤしてるけど、俺は担任として、国語教師としての南城先生のイメージが強いから、そんな南城先生が春花堂の会長にゴマすりしているシーンなんて全然想像できない!!当然だが唯も絶句している!!

「マジかよ!?南城先生って見かけによらずセコ過ぎるぞ!」

「あーんな性格だから左手の薬指に何もつけてないのかなあ」

「ゆーいー、それを先生の前で言うなよ」

「まあ、唯は言うつもりはないけどー、たっくんなら思わず言っちゃいそうな気がするなー」

「おいおい、俺はさすがに本人のプライバシーに関する事を堂々と質問するような馬鹿はしないぞ」

「でもさあ、そういう不謹慎な事を話してる最中に南城先生がここに来たらどう弁明するつもりなのか気になるなー」

「ゆーいー、そんなに都合よく南条先生が・・・」


“トントン”

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