第32話 同情してあげる事は出来るけど手伝う事は出来ない

 俺はそう思って唯に声を掛けた。もちろん、発表の邪魔になるから小声でだけど。

「唯、ちょっと聞いていいか?」

「ん?何?」

「俺は女子ジャズ研究会とかいう同好会は初めて聞くけど、もしかして新しいサークルか?」

「あー、その件ね」

 そう言うと唯は「はーーー・・・」とため息をついた。おいおい、どうしてため息をつくんだ?俺は何の事かさっぱり分からないから頭の上に『?』が2つも3つもつくくらいに首を傾げている。

「・・・ジャズ研が分裂したのよ」

 俺は唯が喋るかと思ってたら、いきなり藍が横から口を挟んできたから、思わず「うわっ」と言いそうになったけど辛うじて堪えた。

「それって本当かよ!?」

「まあ、正しくはジャズ研の紅一点となった中野なかのさんがジャズ研を飛び出したという方が正しいのよねー」

「そうだよー。唯も知ってるけど女子の間では結構話題になった話ね」

「中野さん?誰?」

「去年は1年A組だった中野明日香あすかさん。今年は何組になったかは知らないけど、拓真君は中野さんを知らないの?」

「ゴメン、俺、中野さんとは全然面識がない」

「ま、たしかに1学年に女の子は150人以上いるから、拓真君が全員の名前を知ってるなどというのが有り得ない。別におかしい事じゃあないわよ」

「で、その中野さんがどうしたんだ?」

 俺は恐る恐る藍と唯に尋ねたけど、二人共そろって「はーー」とため息を再びついた。一体、このため息は何だあ?

「・・・元々ジャズ研は男子の方が圧倒的に多くて、去年の女子は3年生1人と中野さんしかいなかったのに男子は11人でしょ?3年生がいなくなったから女子は中野さんだけになったけど、考え方の相違とか、活動方針の事とかで中野さんが反発してジャズ研を飛び出した格好になったのよ。拓真君は知らなかった?」

「ううん、全然知らなかった」

「まあ、唯たち女子の間では一時期話題になったけど、たっくんたち男子が知らないのも無理ないかな」

「そうね。元々、ジャズにギターは合わないのよ。絶対合わないという訳じゃあないけど、アルトサックスやコントラバス、ピアノやトロンボーンならジャズバンドにいるのは珍しくないけど、ギターは少数派でしょ?」

「たしかに、言われてみてばそうだよなあ」

「だから、中野さんがジャズ研を飛び出して『女の子だけのジャズバンドを作る』とか言って、たった1人でサークルを立ち上げたのが先月よ」

「マジかよ。だから俺も知らなかったのか・・・」

「ま、そういう事ね」

 そうか、だから今朝、あの子、中野さんが悲壮感溢れる顔で生徒昇降口のところで1年生を勧誘していたのか・・・その理由が全然思いつかなかったけど、ようやくこれで納得できた。

「・・・ところで拓真君、中野さんを手伝ってアンプ運んであげなさいよ」

「へ?」

「だってー、女の子が一人でアンプを運ぶのは大変よー」

「たしかに・・・」

「それに、あのアンプは第二音楽室の備品よ」

「マジかよ!?」

「うん。教頭先生から話があったから律子先輩が中野さんに貸し出してるけど、まだ立ち上げたばかりのサークルで何も無いから、今日は借り物よ」

「そうか、それでさっきアンプが1つ無かったんだ・・・」

「ほらー、さっさと行ってきなさい」

「あ、ちょっと待った」

「ん?拓真君、何かあったの?」

「あのタイプのアコースティックギターはアンプと接続できない筈だけど・・・」

「あっきれたー。アコースティックギターだけだと音量が足りないから、マイクで音を拾ってアンプで流すのよ」

「あー、そういう事かあ」

「分かったなら、さっさと手伝ってやりなさい!」

「そうそう、たっくん、困った時はお互い様だよー」

「はいはい、りょーかい」

 やれやれ、藍は命令口調だし唯はお節介だなあ。

 でも、藍や唯の言い分も分かる。それに女の子が一人だけでサークルを立ち上げるなど、半端な覚悟では出来ないはずだ。どうせ俺だって女の子3人しかいない軽音楽同好会の助っ人なのだから、中野さんの手伝いをしても全然おかしな事ではないからな。

 今は10番目の美術部の発表が始まったばかりだ。その次は山岳部だから、山岳部が動き出すと同時に中野さんはステージ脇までアンプを運ばなければならなくなる。それなら今のうち中野さんに声を掛けた方がいい。

 そう思って俺は唯に軽く右手を上げてから中野さんの方へ歩み寄った。

「中野さーん」

「へ?・・・あなたは・・・平山拓真さん?」

「あー、俺の名前を知ってるなら話は早いや。俺がそのアンプを運ぶのを手伝うよ」

「結構です!男子の手を借りたくありません!」

「そんな事を言わないでくれよー。俺だって藍に言われたから手伝いに来たのにさあ」

「藍?平山藍さんの事?」

「そうだよー」

 そう言って俺は左手を後ろへ向けたから中野さんも俺の左手が差す方を見たけど、藍と唯が「やっほー」と言わんばかりに右手を振ってるから、中野さんも軽く頭を下げた。

「・・・そうね、『桜高の女王様』が言ったのを拒否したら立場が無かったわね。ここはお言葉に甘えさせてもらう事にするね」

「そうしてくれ。アンプは俺がステージに運んでセットするから、中野さんは何もやらなくていいよ。どうせ次は軽音楽同好会だから藍か唯のどちらかが使う筈だから片付けは俺たちがやるから気にしなくていい」

「ありがとう、助かります」

 中野さんはニコッとしたかと思うと軽く俺に頭を下げ、そのまま俺の後ろにいた藍と唯にも深々と頭を下げた。藍と唯は揃って軽く頭を下げたけど、さっきから先輩はずうっとステージ脇で真壁先輩と喋っていて(いや、正しくは真壁先輩が先輩を説教しているけど先輩は完全に流しているとしか思えない)全然俺たちの事なんか無視してるから勘弁して欲しいぞ、ったくー。


『次は女子ジャズ研究会です』


 山岳部が終わると同時に司会者が12番目の女子ジャズ研究会の発表を告げたけど、その声と同時に男の俺がステージに登場したから会場の1年生からは一時ざわめきが起きた。だけど、俺がステージにアンプとマイクをセットしているうちに中野さんがアコースティックギターを持って登場してきたから、会場の1年生から拍手が起きた。

「・・・じゃあ、これでOKだよ」

「ありがとう」

 俺と中野さんは互いに小声で軽く声を掛け合うと、中野さんはマイクの位置を少しだけ調整し、俺はさっき出てきた側のステージ脇に戻り、唯の横に立った。

 中野さんは一瞬だけ俺に視線を合わせたけど、すぐに正面を見て大きく息を吸った。

「・・・こんにちは、女子ジャズ研究会代表の2年D組、中野明日香です。この女子ジャズ研究会は出来たばかりのサークルで同好会昇格を目指しています。まだ会員はわたし一人ですけど、ジャズに興味がある女の子なら誰でも歓迎します。ジャズに興味がなくてもギターに興味がある子、理由は何でもいいから女子ジャズ研究会に興味がある子は是非参加して下さい。もちろん、ジャズ経験者だけでなく吹奏楽経験者などで楽器を演奏できる子、ボーカリストも大歓迎ですから仮の活動場所ですけど2年D組で待ってます!」

 そこまで言ったら中野さんの手が動き出し演奏が始まった。

 あっ・・・これはたしか往年の名曲『A列車で出掛けよう』だ。昭和の歌姫と呼ばれた人が日本語でカバーしてるから、1年生の中にも聞いた事がある人がいてもおかしくないし、親しみやすい曲だ。


 ♪♪♪~ ♪♪♪~


 うーん、もしかしたら唯より上手いかも。いや『上手いかも』ではなくて『上手い』と言うべきだろうな。純粋にギターだけだったら中野さんの方が上かな。まあまだ1年にも満たないからなあ。


 ♪♪♪~ ♪♪♪~


 あれっ?もうイントロは終わったはずだけど、もしかして演奏だけなのか?


 ♪♪♪~ 夜風・・・バラ色の


 うわっ!中野さん、歌い出しの場所を間違えて途中から歌い始めたぞ。しかも明らかに動揺しているのが俺にも分かるほどだ。それに演奏は完璧だけど歌い方は目茶苦茶だあ!動揺しているだけじゃあないと思うぞ!?

「・・・あの子、もしかしてボーカル初挑戦かしら?」

「唯もそう思よ。元々去年は3年生の女子がボーカルだったから、その流れを継いで中野さんにボーカルをやらせようとしたけど中野さんが反発したから、それが亀裂が入った最初のキッカケだった筈だよー」

「だけど、今は一人しかいないから・・・」

「ほとんどブッツケ本番で、しかも歌い出しをミスったから焦りまくりね。唯も最初の頃はそうだったけど、藍が手取り足取り教えてくれたから桜高祭ブロッサム・フェスティバルでは失敗しないで済んだけど、指導してくれる人もいないから中野さんは可哀そうだよ」

「でも、あの子が選んだ道を私たちが否定するのは失礼よ」

「それもそうね、中野さんには申し訳ないけど。たしかに少しは唯も同情するけど、こればかりはねえ・・・」

 た、たしかにそうだ。突き放した言い方になるかもしれないけど、ジャズ研究会を飛び出して女子ジャズ研究会を立ち上げたのは中野さん自身だ。協力者を誰も迎える事なく一人で立ち上げたという事は、中野さん自身が選んだ道なのだから、それを周囲の人たちが『あれはおかしい』とか『あれは間違っている』などと言うのは失礼だ。

 ただ、中野さんに同情してあげる事は出来るけど手伝う事は出来ない。軽音楽同好会だって存続出来るかどうかを心配しなければならない状況なのだから・・・

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