第31話 ヤクザ6

アパートに着いてから、木下くんのことを忘れていたことを思い出した。同時に、黒田さんのことも思い出してしまった。俺はまず黒田さんに電話をしながら、アパートの階段を降りた。黒田さんは、良い休憩になりました、と言ってくれた。俺は心から謝罪した。そして急ぎ足で大学に向かった。




サークル棟では、木下くんが大人しく待っていた。時間は、奇跡的にもそれほど遅れてはいなかった。俺は事情を話して謝罪し、部室の鍵を閉めてアパートに向かった。かなり汗をかいてしまった。




木下くんは本当に白い。そして痩せている。ただ痩せているだけでなく、本来あるはずの筋肉が限りなく少ないのだ。後ろ姿で女子だと言われれば、そう見えなくもない。二重にして、眉毛を書いて、化粧をすれば、これはもうわかんないんじゃないのかというレベルだ。




俺はなるべく自然に「可愛いね」と言ったつもりだが、木下くんは照れた。こっちまで恥ずかしくなった。












アパートには、すでにユウナも来ていた。




木下くんはユウナに挨拶をした。ユウナは、おう、とぶっきらぼうに言った。ナナもユウナもなんで普通にできないのか。今さら無理だとは思うが、せめてこれから来る新入生には普通に接してほしいと思った。




とりあえずチーム決めをすることにした。俺はソファーにみんなを集めた。尾見くんの上にナナ、その隣にユウナ、その隣にヒロコ、俺は木下くんにもソファーに座るよう言った。木下くんは少し躊躇ったが、ヒロコが「ここ来て」と言ったので、ユウナとヒロコの間に無理やり入った。




「じゃあチームを決めます。」




俺が言うと拍手が起こった。




「まず、俺と木下くん、」




「おい!ちょっと待て!クジとかだろ普通は!」




ナナがそう言ったので、俺は皆を見た。皆の反応で、どうやらそうした方が良さそうだと知れた。




「じゃあクジをやります。」




今度は疎らだったが、また拍手が起こった。尾見くんと木下くんだ。俺は、割りばしを三本持ってきて、それを割って適当に混ぜた。そしてナナたちに差し出した。




「おまえよ、おまえは本当にポンコツだな。このクズ。三対三なんだから男と女になるように作れよ!」




それに対しては誰も何も言わなかった。すなわち、全員がナナの発言を肯定していた。俺は割りばしを一旦もとに戻し、半分に分けて、右手と左手に三本ずつ持った。




「じゃあこれで。右手が男で左手が女です。やり直しは絶対にしないです。」




みんな深く考えずにひょいひょいと引いた。その結果、俺とヒロコ、尾見くんとナナ、ユウナと木下くんというペアになった。




「食材は、ここにあるのを使ってもいいし、買いに行ってもいいです。自腹で。」




自腹で、と言うと笑いが起こった。みんな、相当テンションが上がっていた。




「二時間後に料理を審査するので、それまでキッチンとか調理器具は分けあって使ってください。」




「審査は誰がするの?」




ヒロコが聞いた。「みんなでやれば良くね?」とナナが言った。誰も異論はなかった。




「じゃあ、作戦タイムも含めて二時間。今からです。用意、スタート」




スタートと言ったものの、あまり動きはなかった。ナナと尾見くん、ユウナと木下くんは、すでにくっついていたからだ。ヒロコは挑発するような顔で俺を見た。




「じゃあ、一旦スタバにでも行くか。」




ヒロコにそう言うと、ヒロコはすぐに立ち上がって俺のあとに続いた。












うちの玄関は広いが、靴が六足も入ればさすがに窮屈だった。俺はシューズボックスからサンダルを出し、スニーカーをそこに仕舞い込んだ。




「一樹くん、めっちゃ綺麗好きだよね。私の家のクローゼットより綺麗。」




「うん。玄関は綺麗にしろって言われて育ったんだ。うち、色々と変なしきたりみたいのが多いんだ。謝るときは全力で謝れとか、挨拶は先にしろとか。」




「全部大事なことだよね。いいなあ。一樹くんのお父さんとお母さん。うちは放任主義だったから、勉強以外は何しても自由だった。」




ヒロコの父親は、現与党衆議院議員の櫻田だ。以前二人のやり取りを見たが、おそらく放任なんじゃないかと思っていた。




「ヒロコのお父さんは、頭が切れるもんな。回転が早くて。俺、尊敬するよ。」




「そんなことないよ!」




ヒロコは笑顔を一つも出さずにそう言った。




スタバに着いても、しばらくその話をした。




「神谷くん、うちのお父さんと仕事したんでしょ?迷惑かけなかった?」




「ヒロコのお父さんのお陰で、でかいことができた。俺も色々と勉強させてもらったよ。」




「そう。良かった。」




「ヒロコはどうなんだ?」




「私ね、亀井くんがいなくなってから学校以外は実家から外出禁止になっちゃってたの。」




「そうなんだ。家、どこだっけ?」




「東京。錦糸町。」




「今日はいいの?」




「神谷くんはいいんだって。ねえ、今度うちに来ない?お父さんも会いたがってるし。」




「ああ、今度また誘ってよ。」




俺たちはそんな感じで最初の一時間を使った。メニューは全然思い付かなかった。それで俺たちは近くにあるミートショップに来た。そして、そこで一番高い牛肉を買った。金持ちが注文したという兵庫産の但馬牛の余りを全部買った。カードで支払ったが、結構な額がしたはずだ。それを持ってアパートに戻った。












「おまえら何してたんだよ。つまんねえ。」




ナナがいきなり悪態をついた。ユウナは明らかにイライラした雰囲気を出していた。ヒロコは真っ先に謝った。俺も後に続いたが、ユウナは顔が強張ったままだった。




「一樹、ちょっとひどいんじゃないのか?」




尾見くんも俺を責めた。木下くんはおどおどしながら俺たちのやり取りを見つめた。




「ごめん。これ探してたら遅くなっちゃった。キッチン使っていい?」




「うちらもう終わったから。あとおまえらだけだぞ。」




俺とヒロコは手分けをしてハンバーグを作った。俺は和牛を遠慮なくミンチにし、ヒロコが焼いた玉ねぎと混ぜた。




「玉ねぎ足りなかった?」




「いや、このくらいでいいよ。肉の美味さが際立つはずだ。卵も少な目にしよう。」




作った種をフライパンで焼き、オーブンに入れた。今できる最高の早さで焼いたが、三十分はかかった。他のみんなは、ヒロコも一緒にソファーに座って盛り上がっていた。ホッとしたが、耳に入ってきた会話で、「ラインのグループ名、一樹以外、でいくない?」と聞こえた。




俺のハンバーグは好評だった。俺もこんなの食べたことがなかった。尾見くんたちのパエリヤ、ユウナと木下くんの角煮。どれも美味しかったが、和牛ハンバーグはダントツだった。




「一樹たち、反則だよ。これ素材の味じゃん!」




尾見くんは文句を言った。結局勝敗はつかなかったが、みんなで遅い夕食を食べた。




俺は今日の尾見くんの話をみんなにした。少し自慢気に話してしまった。




「凄いのは一樹だよ。俺は一樹がいかなかったら通りすぎてた。あんなとこ入りたくなかったもん。」




尾見くんが俺の肩を叩くと、ナナは「おめえらキモいな。」と言った。もうナナには何も言わないことにした。尾見くんも苦笑いをした。ユウナは、




「おまえ、こじれたらどうするつもりだったんだよ。そいつ、これから大丈夫か?」




と言った。するとヒロコが、




「でも、一樹くんが行かないとその人ヤバかったんだよね。私は一樹くん、正しかったと思うな。」




と言った。ユウナはヒロコを睨んだ。




「こいつは昔からそうなんです。いつも弱い奴の味方で、お陰で俺らのクラスはいじめが一切なかったんですよ。」




尾見くんが俺をかばってくれた。ユウナの顔はますます固くなっていた。




「一樹くん、私の友だちのことも助けてくれたよね。斉藤くんって覚えてる?一樹くんに感謝してたよ。」




「神谷さん、やっぱり凄いですね!」




俺は悪い気はしなかったが、ユウナが携帯を見始めたので話を反らした。




「そういえば、新入生って何人かいるんですか?」




ナナとヒロコが顔を見合わせた。




「軽音は五人入ったよ。ホリのほうはまだゼロ人だ。」




尾見くんが言った。ヒロコは、




「うちは木下くんがいるもん。あとはいらないよね。」




と言った。木下くんは照れた。




「別にこのままでもいくね?」




「ナナ先輩、私たちのことも考えてくださいよ。先輩たちが卒業したら私たちだけで寂しいじゃないですか。」




ヒロコの言葉にナナは黙った。このままだったら、ナナたちが卒業したら俺とヒロコと木下くんの三人だ。それは普通に嫌だ。俺は提案した。




「新歓以外にもなんかやりますか?」




「なにするの?」




「うーん。なんだろう。わかんないけど。」




「なにもねえんなら言うなよ。」




携帯を見ていたユウナが突然そう言った。それで、その話題は立ち消えになった。


俺は席を立ってコーヒーを入れた。ユウナは、「ああ、あたしいらねえわ。」と言って冷蔵庫を開けてビールを飲んだ。みんな苦笑いをしていた。




「一樹、大変だな。俺は今日は帰る。風紀委員会だっけ?俺にできることあったら言ってよ。」




尾見くんはそう言ってナナを連れて帰った。ヒロコも、木下くんに声をかけて尾見くんたちに続いた。












俺は後片付けをしたあと、改めてコーヒーを淹れた。ユウナは今度は口をつけた。




「一樹、こっち来て。」




ユウナは俺をソファーに呼んだ。そして俺が座ると、俺の太ももに顔を乗せた。




「ユウナ、今日はごめん。」




「ホントだよ。」




ユウナは俺から顔が見えないように、少し下を向いた。そして、しばらくそうしていた。




「今度、海でも行きませんか?あそこ、好きなんです。」




ユウナはなにも言わなかった。髪を撫でると手を振り払われた。




今日は長くなりそうだ。












明け方、中原さんからの電話で目を覚ました。隣ではユウナが寝ていた。何事かと思って電話に出ると、とんでもないことになっていた。




「坊っちゃん、ご実家に何者かが侵入しました。」




「なんだって!」




思わずでかい声を出してしまった。




「今から来れますか?」




「すぐに行きます。」




俺はユウナを起こして事情を話すと、シャツを着替えて出かけた。アパートの下でタクシーに乗り、実家に向かった。




すでに警察が来ていた。俺は中原さんを探したが、室内の検証に立ち合っていた。




「中原さん!」




「坊っちゃん、窓から侵入されたようです。」




西向きの一室の窓ガラスが割られていた。ガラスは中途半端に割られ、サムターンが開いていた。部屋の中は、備え付けの収納が開けられ、中の引き出しやプラスチック制の入れ物が開けられていた。




「交番に警察官がいないタイミングを見計らって侵入されたそうです。すぐに警報が鳴って、警備会社の職員がかけつけたのは、十分後です。侵入者の姿はすでになかったとのことです。」




「警察のものです。検分をお願いします。取られたもの、壊されたものがあれば教えてください。」




俺は中原さんと警察と一緒に、家を一通り見た。なくなったものはすぐには見つからなかった。それどころか、どんなものがあったのか、俺にもよくわからなかった。家の管理は中原さんの事務所に任せたことになっていたが、さすがにこの責任は追及できなかった。




「逆に増えたものはありませんか?」




「増えたもの?」




「盗撮や盗聴の可能性です。コンセントとか延長コードとか、そういうものです。」




それもわからなかった。この部屋は物置のようなものだった。家族の誰かが使っていたわけではない。何があったのか、俺もよくわからない。他の部屋も含めれば、もう埒があかない。居間からして四十平米はあるし、一階に六部屋、二階に十二部屋、三階と地下にもスペースはある。細々した物の管理はハウスクリーニングや家政婦に任せていたし、しばらく家には帰っていない。家の中で、何がなくなって何が増えたかは、それこそ雲を掴むような話だった。




「あ、カメラありますよ。中原さん。」




俺は中原さんを見た。中原さんは頷いた。




「防犯カメラは既に解析をしております。」




警備会社と警察がカメラを解析していた。幸い、全てのカメラは正常に作動しており、ガラスが割られた部屋を出たところの通路と、家の周りにの三百六十度、視界がカバーされていた。




俺がカメラのところに行くと、「見てください」と言われたので、モニターを確認すると、外のカメラに人影が映っていた。人影は室内に入ったが、けたたましい警報のおかげか、すぐに窓から出てきた。室内の様子はわからなかったが、確認できたのは、駅の方面に走り去るスクーターだった。




ヘルメットのようなものを被っており、人相は全くわからなかったが、長袖のジャンパーのようなものを着ていた。




「長袖ですね。」




「はい。バイク乗りなら頷けます。」




とりあえず、それ以外のことはわかりそうになかった。警察は近所に聞き込みをしてくれることになり、また必要な対応は中原さんの方でやってくれることになった。俺はふと、岡本を狙ったスクーターのことを思い出した。




「ちょっと、もう一回見せてください。」




俺はモニターを見た。侵入した男は、手に何かを持っているように見えなくもない。




「これ、拳銃じゃないですか?」




警察官がすぐにモニターを確認した。家から出て走り去る男は、右手に確かに黒っぽいものを握っていた。




「拳銃に見えますね。」




その警察官も言った。俺はすぐに岡本に電話をした。

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