第153話 【寄付】1億共和国ドル

「聞き間違いでなければ……スズハル君」

 ノートン元帥がおそるおそる言った。

「1億RD共和国ドル出すと……1万RD共和国ドルではなく?」

「はい、1億ですね」


 涼井は事もなげに言った。

 実際のところ銀河商事を解散に追い込んで以来、事実上、開拓宙域の流通や保険、金融を一手に引き受けることで相当な利益があがっていた。

 少なくとも1億RD共和国ドル……小型艦艇なら建造できるくらいの金額だ。一般社会においてはそうそう見ることができる金額ではない。元帥の給料をまるまる全部100年貯金しても到達することはできないのだ。


「それは確かにありがたいが大丈夫かね?」

「問題ありません、それよりも元帥、問題はやはりアドリア・ヴァッレ・ダオスタ候補者の背景です」

「うむ」

「こちらでも調べてみましょう」

「ありがとう、スズハル君」


 ノートン元帥は立ち上がって背後の棚から琥珀色の液体が入った瓶を持ちだしてきた。ウィスキーに似た共和国の蒸留酒だろう。


 彼は昼間からそれをグラスに注ぐと涼井にも薦めた。

「いただきます」

 ジャパニーズサラリーマンである涼井はこういう時は決して断らない。

 サミュエル元帥がグラスを掲げた。

 

「大統領選の勝利を祈って」

 彼がそう言うと、ぐぃっと飲んだ。

 ノートン元帥も飲む。

 涼井も飲んだ。


 それは確かにウィスキーに似てはいるが、特有の泥炭の香りがしない。

 どちらかというと甘味もあって焼酎かラム酒に近い酒のようだった。


「……それにしても……」

 ノートン元帥が酒気を帯びたため息をついた。


「実際のところ、アドリア候補の政策はわりとまともなのだ」

「といいますと?」

 涼井は表面的には調べてきていたが、ノートン元帥の考えを聞きたくもあった。


「保守党から出馬する以上……彼女は前大統領オスカルの政策であった艦隊削減を撤回し、むしろスズハル君の考えた方面艦隊制に戻そうとしている。帝国などとのバランスをとるだけの十分な軍備は揃え、一方で退役軍人や傷病兵、戦争孤児などの社会保障も手厚くする。要は帝国とは停戦したものの戦時下であることに変わりはなく、一時的に国債発行を増加させてもそうした補償に取り組むそうだ」

「現役、退役問わず軍人票も得られると」

「1200万人の現役将兵、その何倍もの家族、退役将兵などには有効だろう……実際、共和国は財政が良くはないのは知っての通りだろう。軍人に対する補償が手厚いとは言えぬ」

「なるほど……」

 涼井は眼鏡の位置を直した。


 共和国軍というのは共和国の中でも最大規模の公務員でもある。

 その現役の軍人、退役軍人の支持を得られれば大きな票田となる。


 一方、ノートン元帥は共和国軍の元帥までつとめあげた人物ではあるのだが、政策は大統領エドワルドまでの保守党の政策を引き継ぐような形であって、有権者にとっては、いまひとつ地味のようだった。


「いっそ救国の英雄であるスズハル君が出れば良いのだが」

 ノートン元帥はそうこぼした。

 とはいえ今更時期的に候補者になることはできない。


「……このタイミングで足元をすくわれたくはないですね。ニヴルヘイム銀河もどういう施策を打ってくるか分かりませんし」

「うむ……」

「いずれにしてもアドリア候補の周辺を探ってみます」

「頼むよ、スズハル君」


 ノートン元帥は派手なタイプではないが、真面目で勤勉な実務家だ。

 大統領もそつなくこなしそうだった。

 しかし一方、若くて言動が派手なアドリア・ヴァッレ・ダオスタ候補者のほうが有権者からみてウケがよさそうに思えるのも事実だった。


 涼井は官舎ではなく惑星ゼウスの定宿であるホテル「トライアンフ」に地上車で戻った。目立たないように特技訓練を受けた憲兵が数名、身辺を護衛してくれている。

 

 ホテルトライアンフはいつも閑散としている広いロビーがあるのだが、今日は妙に人出が多かった。

 端末を手にしたマスコミらしき連中もせわしなく出入りしている。

 どうやら警察のパトカーもホテルの周辺を張っているようだった。


「閣下、お気をつけて」

 いつものように護衛についていたロッテーシャがすっと涼井の前に出た。

 何かの事件を警戒したのだろう。

 特技兵も懐の拳銃を握って周辺の警戒をしている。


 確かに雰囲気がいつもと全く違った。


 ロビーでは惑星ゼウスのマスコミが或る人物を囲んで盛んに端末をつきつけていた。

 その環の中心にはふわふわとした茶髪のきらびやかな服装の女性がいる。


「待ってましたわぁ、スズハル元帥」

 彼女は不敵な笑みを浮かべた。

 アドリア・ヴァッレ・ダオスタ大統領候補だった。


「話がしてみたくて、待ってたのよぉん」

 なかなか大胆不敵だ。

 涼井は内心驚いてはいたが、平静を保って微笑を浮かべた。


「良いでしょう。すぐに場所を用意させます」 

「どこでもいいわよぉ」


 アドリアの口調は独特だが、その視線はしっかりとロッテーシャや、こちらの護衛の特技兵をとらえているようだった。ただ物ではない雰囲気はある。

 涼井は彼女と対峙するにあたってひっそりと気合を入れなおしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る