第49話 フラッシュバック part 2 かつて起こり、しかしけして起こりえなかった事象の記憶
「案ずることなどない。やがてお前は、お前自身へと回帰することだろう」
と、誰かが俺に話す。
「ああ、一時……俺は俺を手放す……って話だろ? なんのことはない。酒に酔うようなものだ」
と、見知らぬ俺の口が答える。
「感じる苦痛など一時のこと。そんなものは取るに足らない」
「やるなら。今すぐにやりやがれ。
……それより、約束は分かってるんだろうな?」
「ああ。私が責任をもって庇護する。
彼女、お前の
「それと、
「ああ、彼女には教えんよ」
「……それでいい。あとは……勝手にしやがれ」
俺は、目を閉じる。
腕にかすかな痛み。それは次第に激痛へと変わり……
視界は白転する。
「――正直、キミのそういうところは嫌いではないよ」
と、彼女は人を小馬鹿にするようで、それでいて妙に暖かな口調で言う。
彼女の嫌いではないが、実は相当好意的な表現であることを、たぶん俺以上によく知る人間は居ない。
……という、勝手な自負か我ながらこそばゆく、それはそうとして、彼女は可愛い。
リサ。
夕日の下校路。並んで歩く帰り道。
夕日に照らされる彼女の横顔。
正直、いつまでも眺めていられそうだったし、眺めていたかった。
馬鹿な男の恋路、どう間違ったのかそれは成就してしまう。
夢想の中、イメージの氾濫に溺れる俺の中で、その記憶が粉々に壊れ、忘却へと消えていく。
彼女の顔、声、それらすべて。
大好きな君のことを。
俺は、忘れてしまう。
幻影の中に移る彼女の顔が、声が、言葉が、その些細なしぐさや温度が――もとから存在しなかったかのように、俺の記憶の中から蒸発していく。
――って思うと、酷く悲しい。
ホームシックを今まで隠し通してきた。下手に悲しまないようにしてきた。
今更、こんな状況で、ただ悲しみの感情だけが、堰を切り、胸中に氾濫していく。
回想の中の、リサの姿がノイズに塗れていく。
彼女の顔を強く思い浮かべようと俺は必死になる。
彼女の髪型、衣装が彼女とは別の人の物と入れ替えられ、彼女の記憶、姿そのものがあいまいなものへと変わっていった。
「行かないでくれ」と、誰に言うでもなく懇願する。
ランダムに組み合わせれる有象無象のコラージュアートへと、俺の大切な人の姿は変わってしまう。
記憶という記憶が無秩序に組み替えられ、パズルのピースを無理やり組み合わせるように。
そして、噛み合わない断片と断片はバラバラに崩壊する。
彼女、景色、視界が。
――鬱蒼とした森の中、遠くに小川が流れる音、踏みしめる地面の湿った草と土の感触。
……そんな中を俺とリサは歩いている。
彼女は髪留めで長い髪を纏め、粗末な衣服に身を包んでいる。
その服装は、この世界。俺が迷い込んでしまったこの世界のものとよく似ている。
違う。こんな記憶が存在するはずがない。
彼女は向こうの、元の世界の住人だ。
俺と同じように。
既に、記憶の真贋は判別が付かないものへと変わりつつある。
『記憶の再生を眺めている俺』という視点ですら、既に何者であり、それが存在しているのかさえ危うい。
そんな中で、ある感情がリフレインする。
――俺が犠牲になればいい。
――彼女を守るためなら。
かつて自分がした決意。
いや、それは。
……本物の記憶、だろうか?
俺は、
俺は、
誰で、どこからきて、今の俺と今までの俺は果たして同じ俺なのか。
これからの俺は同じ存在か?
答えは出ない。
答えられるだけの確固たるものを俺は失ってしまった。
ただ、俺はぐらぐらぐらぐらと……
崩れ、壊れていく。
「目を覚ませ」
耳元で、聞き慣れない男の声がした。
口の中に何かを押し込まれる感覚。
液体を喉に流し込まれる。
口の中に、不快な苦い味が広がっていた。
「目を覚ませ。今はまだ、その時ではない……」
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