最終話 魔法よりも強く
時刻は日が沈む少し前くらいだろうか。雨がさらさらと降り、灰色の空は重苦しく、晴れ間は望めそうもない。
前回はナオを目印に、そのまま部屋へと転移したのだが、さすがに今回は慎重にいこうと、やや指針をずらして移動した。
どうやら住宅街の狭い路地に着いたらしく、庭先に咲く丸い大きな花がたくさん咲いていた。たぶん、アジサイという名前だったと思う。水色に少し紫がかったような色をして、雨のしずくを弾いている。
ナオは近くにいるはずだ。見慣れない住宅街だったので、彼の自宅付近とは思えなかった。もちろん、あれから十三年経つ。散歩で見て回った景色も、すっかり見慣れないものに様変わりしている可能性だってあるけれど、どことなく漂う空気に懐かしさを感じなかった。
雨脚は強くないとはいえ、濡れてばかりだと、さすがに髪や服が湿っぽくなる。
汗ばむようなじっとりとした気温に肌がべたつき、もう少しおしゃれしてきたらよかっただろうかと、何度目かのいまさらな後悔をしてしまった。
緊張しているのだろうか。その自覚ができないほど浮遊した心持で、歩を進める。どこにいるのだろう。一目見て、すぐに彼だとわかるだろうか。すらりとした細身の少年だった。背は高かったが中性的な顔立ちで、目元なんかは私よりも女性的だった。
ものすごく太っていたらどうしよう。髭面とかもイメージにないんだけど。
不安に揺れる鼓動と連動するように、歩く足も速くなる。
角を曲がり、開けた道路に出よう、そう思った時。
ふいに視界に飛び込んできた。彼だ。
シャッターの下りた車庫だろうか。軒下で雨宿りしているらしい。
手元の器械をいじりながら、たいくつそうに眼を細めている。
記憶よりさらに背が伸び、輪郭も痩せたように細くなっていたが、ほとんど変わらない姿をしていた。なつかしい。ナオだ。間違いない。
近づき、歩みを止めた私に、彼は顔を上げた。姿は見えているはずだ。目を合わせるのが怖くなって、自分も雨宿りだというように、彼の隣にそそくさと並ぶ。
「雨、ですね」
何か言わなくちゃと思って、ついた言葉がこれだった。
だからって、「私、リリス」なんて言い出すわけにもいかないし。
たぶん、怪しまれている。しばらく、どちらも無言だ。
どうしよう。自然と肩に力が入り、足はぐにゃりと曲がってしまいそうで、力が抜け、その場に座り込みそうになる。何か、言わないと。息を吸って、吐いて。吸って、……でも、何を言ったら?
「おかえり」
彼の声に心臓が跳ねた。誰に言っているのかと、顔を上げる。
不安だ。目を閉じたい。でも知りたい。
ともだち? 恋人かな、それとも奥さん?
見わたす。雨の路地には誰もいない。雨音だけが響く。
「リリス」
右を向く。目が合う。
私を見ていた。
「雨、きらいか?」
「ど、うして……」
「カミナリ、鳴らないといいな」
彼は空に目をやった。
灰色の空は、すこしだけ光を取り戻したようで。
カミナリも風もなく。雨はもう少しで止みそうで。
それでも、私は彼の横顔に釘付けになった。
「憶えて……?」
戸惑いを振り払うように、彼の視線が私に戻る。
「お前の魔法なんて、効かねーよ」
なにそれ。くやしい。私は偉大な魔女。
ぜったい、ぜったい、優秀なんだから。
「うそよ」
「じゃ、もう一回、かけてみろよ」
背中を指さして余裕の笑みだ。
なによ、もう憎たらしい。
込み上げてくる感情。止められない。
すべてが滲んで何も見えない。
私、ほんとに魔女かな。
魔法、失敗してるじゃん。だめじゃん。
でも。とても、とても。
「ナオ」
世界中を愛せるくらい幸せで。
私は跳びあがり、彼に抱きついた。
「うわ、あぶね」
よろめくなんて、失礼ね。魔女は重くないのに。
とっても軽いんだから。雨粒よりも、ずっとずっと。
――王女さまへ。
どうやら恋は魔法を越えるようです。
彼の記憶を消すのは難しそうなので、もうしばらく、ここで過ごします。
対処方法がわかり次第、帰還します。
結婚式にはちゃんと戻りますから、どうかご心配なく。
リリス(魔女失格?)
(了)
魔女がいた夏 竹神チエ @chokorabonbon
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