page 45 魔法円
「そうか。で、なんだっけ。なんで、今日で帰るんだっけ?」
とぼけた俺の台詞に、リリスは「はあ」と大きく息を吐く。
「だから、向こうに残してきた私の体が弱ってるの。間に合わなくなる前に帰らないと、向こうでは意識が戻らないままになるし、こっちでは消えちゃうの」
「うん、だから。なんでそうなったんだっけ?」
まだ、日にちは残っていると思っていた。
それが、急に帰ると言われて、混乱していたんだと思う。
リリスの言葉が聞こえるけれど、内容が脳に沁みてこないっていうか。
ぼんやり、それこそ夢の中にいるようだった。
「正確にはわからない。でも体が衰弱しているのは本当。たぶん、こちらで魔力を使い過ぎたからだと思うけど」
「魔力、使った?」
被せ気味にいった俺の言葉に、リリスは大きく息を吸い込むと長くゆっくり吐き出した。あきれているんだろうか。物分かりの悪い俺にイラついている?
「魔力は感情と深くつながってるの。コントロールが難しいのはそのせい。気持ちがたかぶったり、動揺したりすると、勝手に発散されることがある」
「ああ、雷のとき?」
それと美丘がうちに来た時も、「魔力が」と言って、慌てて歌い出していたっけ。気持ちを落ち着かせるために。あれで落ち着くのかは怪しかったけど。
「こっちではコントロールが難しかった。急にあふれてくるみたいで。向こうでは普段、もうちょっと冷静なの」
私の魔力って強いから。抑えるのは大変だけどさ。
リリスは手の平を上に向け、俺に「見てて」と言った。
「ほら」
一瞬だけ、火花が散った。
「魔法。というか、魔力ね」
「あんま、使うなよ」
体が弱るんだろ?
それに、残り時間が少なくなる。
俺の不安が見えたのか、リリスは「これくらいは影響しない」と笑った。
それから俺は、この「記録」の続きを書き、リリスは「最後の散歩」に出かけて行った。いっしょに出かけようとか、もっと何か二人の思い出を作ろうとか、そう頭に過ったけれど、俺は黙々とノートに文字を埋めることを選んだ。
俺の思い出作りなんかのせいで、しかも消えてしまう思い出のせいで、リリスが試験に落ちるようなことになったらいけない。俺の自己満足に付き合わせた結果、彼女の夢がついえるなんて、あってはならないんだから。
リリスが戻ってきたのは、もう夜も十一時になろうって頃。
俺はまだ机でこれを書いていたけれど、リリスが「終わり。寝よ」と言ったので、手を止めた。
「俺、寝ないとダメなんだっけ?」
「そう、魔法円書くから。寝転がって」
ベッドを指さされ、嫌々ながら従う。眠れる気はしない。目だけ閉じていればいいんだろうかと思っていると、背中に体温を感じた。
「な、なんだよ」
「なんだよ、じゃなくて」
リリスもベッドに入って来ていた。寝転び、それから、「電気、消して」なんて言い出すから、俺は飛び起きてしまった。
「なにすんだよ」
「なにって、魔法円書くんだって。帰れないでしょ」
そりゃ、わかってるが。
ぶつくさ文句いって抵抗したが、無駄な抵抗ってやつで、リリスの無言の圧力に屈した俺は、再び横になり、リリスに背を向けた。
「動かないでよ」
薄暗い月明かりだけが部屋に差し込む中、俺は鼻先にある壁に意識を集めていた。背中では指でなにかが書かれているようだったが、くすぐったいだけで、何を書いているのかはイメージできなかった。
「まだか?」
「まだ。大人しくしてて」
文字を書いているらしい指の動きに、まぶたが重くなってきた。
魔法の効果だろうか。それとも退屈だから?
眠ったらリリスが帰るんだと思うと、俺はその眠気に抵抗したくなる。
「なあ」
寝返りを打って向き合うと、リリスは「ちょっと」と怒る。
リリスは体を起こすと、あおむけになったままでいる俺を見下ろした。
「動かないでって言ったでしょ」
「もっかい、最初から?」
期待が含んでいたのかもしれない。でも、リリスは、「続きから書けるけど」と言って、顔を覆うように垂れ下がっていた黒髪を耳にかけた。月明かりでも、彼女の宝石のような紫色の瞳が、俺をじっとにらみつけているのはわかる。不機嫌で、顔をしかめて。それでも瞳の奥に怒りが潜んでいる様子はなかった。
「だったら休憩。じっとしてるの退屈だし、背中かゆくなったんだよね」
かいても大丈夫なのかと目で問うと、リリスはこくりとうなずいた。
「まだ完成まで時間かかる?」
「もうちょっとだった」
背中をかきながら、俺はリリスを見上げていた。リリスは膝を抱えて座ると、「まだ、かゆいの」とじれったそうにする。
「ムズムズするんだ。虫が這うみたいで」
「失礼ね。偉大な魔女にむかって」
むくれるリリスの頬に、俺は手を伸ばしかけてやめた。
かわりに堅く握りしめて、もう一度、彼女に背を向けて目を閉じた。
「はやくしてくれ。俺、寝ちゃってもいいんだよな?」
「いいよ。おやすみ」
背中にリリスの指を感じて。その指の線をなぞるように、俺は壁に指を這わせた。そうしたところで何を書いているのは想像できなかったけれど、複雑な動きが背骨や肩甲骨の下をくすぐった。
「な、わざとやってる?」
「なにが?」
真剣な声のトーンに、俺は「べつに」と短く答える。
指はトントン軽く叩いたかと思うと、最後に何かが背に押し付けられた。
リリスがおでこを付けたんだとわかったとき、小声がした。
「ナオ」
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