page 45 急展開
明日、早朝には家を出ることにして準備を進めたまではよかったんだ。
すべて順調で、リリスもお祭りや花火が楽しみだとはしゃいでいた。
俺も楽しみだった。たぶん、妹といっしょに三人で行くことになるだろうけど、それでもリリスと最後にいい思い出が作れると嬉しくなって、自然と笑みが出てしまうのを抑えるのが大変だった。
それなのに俺が風呂から出て部屋に戻ると、状況ががらりと変わっていた。
リリスはベッドにふさぎ込むようにして座っていて、俺の服ではなく、こちらの世界に来た時に着ていた魔女服、黒色でやぼったいワンピース姿をしていた。
「なんだ。いまから出かけるのか?」
いままで外出するからといって着替えるリリスではなかったが、このときは浮かれた気持ちもあった。だから、よく考えれば察せたであろう次の言葉に、俺はバカみたいに動揺したんだ。
「帰ることになったの。もう、お別れよ」
リリスは肩をすくめて笑った。無理して笑っているといったぎこちない笑顔。
俺は一瞬ぽかんとして、彼女を凝視してしまった。
言葉がすぐには出来こなかった。リリスはまた肩をすくめて、「予定より早くなったけど」と言って、右手を伸ばした。
「ノート、ちょうだい。全部、書けてなくていいから。もう半分は埋まったんでしょ? それで十分よ」
「二週間じゃなかったのか?」
「え?」
俺はまだぼんやりした感覚でいたけれど、なるべく感情が表にでないよう押さえることは出来ていたと思う。リリスの隣に座ると、彼女は伸ばしていた手をおろあして、膝の上のスカートをぎゅっと握った。
「あくまで予定、というか目安かな。約十四日間。でももう、戻ろないとマズいらしいの」
「マズいって?」
リリスはしばらく考えをまとめるように口をつぐむと、「こっちで魔力を使い過ぎたのが原因だと思う」とあいまいながら説明を始めた。
「私、向こうに本体があるってのは話したよね。こちらには意識だけが飛んできてるんだって。だから、向こうにいる私の体は眠っている状態なんだけど、これ以上、この世界にいると目覚めなくなっちゃうの」
だから、戻らないと。
リリスは「わかった?」というように上目づかいで俺を見る。
「もし、目覚めなくなったらどうなるんだ? 元の世界に戻れなくなって、ずっとこっちにいることになるのか?」
「ううん」
リリスは首を振ると、「しばらくすると消えると思う」と言った。
「消える?」
「そう。だってこの体は魔力によって、あなたにだけ見えるようにしてるの。本当の私は向こうにいて、そちらの体が目覚めない、つまり、仮死状態になるわけなんだけど、そうなると魔力も弱ってきて、ここにいる私も消えちゃうってこと」
「じゃ、早く帰らないとな」
「うん。だから、今日でバイバイみたい。花火、見たかったけど」
あと、電車にも乗ってみたかったな。
ミクが言っていた金魚すくいってやつも興味あったのにな。
「屋台のかき氷も?」
「そうそう。食べたかったなぁ。カラフルなんでしょ?」
「らしいな。変わった味も最近あるって。田舎の祭だと、普通かもだけど」
「こっちのは全部、珍しいよ」
くすっと笑うリリス。
俺も、口を持ち上げようとして、目をそらした。
笑えなかった。それでも、陽気な声は出た。よかった。
「近場しか見てないもんな。せっかくこっちの世界に来たのに」
「ま、それも楽しかったけどね。明日には私、消えてるから」
「俺の記憶も?」
「そうよ。いままでお世話になったわね」
ポンと俺の肩を叩く。
こんどは俺が肩をすくめる番だった。
「ノート、あれでいいのか。まだ半分くらいしか埋まってない」
「大丈夫。あなたが書いてくれたってことが重要なの。ページ数はそこまで厳格に考えてなくてもいいはずだから」
「なんだよ、それ。はやく言えよ」
「だって、必死に書いては欲しかったんだもん」
「鬼か」いや、魔女か。
それでも、俺は今夜中に完成させようと思った。
内容はめちゃくちゃになるかもしれないけれど、一度やると決めたことだから。
「今日中はいるんだな。十二時までか?」
「あなたが眠ったら行く」
「寝なかったら?」
半笑いで言うと、リリスは「寝なさいよ」と顔をしかめた。
「私が帰るために、あなたには眠ってもらう必要があるの。ナオを目印にこっちまで来たでしょ? だから、戻りはナオの意識を通して帰るわけ。記憶もいっしょにさらっていくからね。あ、それと。帰るとき、背中に魔法円を書くけど、ナオ、大人しくしててよ」
「魔法円?」
「痛くないから安心して。指で書くだけだから。朝になったら全部忘れてる。あとに何か残るってこともないから」
「もう二度と来ない?」
問いかけに、リリスは「こっちに?」と少し驚いたように目を丸くした。
「ああ。もう二度と会えないのかなって。夢でも」
「どうかな」
リリスは首をかしげると、「たぶん、ない、かな」と痛烈だ。
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