Page 33 付き合ってよ

「ごめんね、倉田くん。私、ひとりで……。キャプテンにね、倉田くんを部に誘ってみたらどうかって頼んだとき、みんな喜んでくれて。部のみんな初心者が多いの。だから、倉田くんにコーチしてもらおうよって」


「そ、そうなんだ」


 にらんでくるリリスに圧倒されながら、視線を引きはがし、美丘に戻す。美丘はもぞもぞとブラウスのすそをつまみ、「すずはね」と涙交じりの声で言うと、ふうと大きく息を吐いた。


「すずはね、倉田くんのこと、教室で見て、すぐにカッコいいなって思ったの。こんなに、カッコいい人と同じクラスになれて、すず、嬉しいなって。でも緊張して、声はかけられなかったの」


「へ、へぇ」


 いままで何の話してたっけ。こいつ、話きいてたのか? 

 マジになって話していた自分が恥ずかしくなるじゃないか。


 でも、本人はやけに真剣で、耳まで赤くしてグズグズ鼻を鳴らしながら続ける。


「それでね、いろんな人に倉田くんのこと訊いてみたの。そうしたら、倉田くんは、ずっと好きな人がいるけど、付き合えなくて、でも好きだから、誰も彼女になれないんだって話を聞いたの」


 誰に? 問い詰めたいが、ここは黙って先を聞く。


「みんな告白してもフラれちゃうんだよって。だから、すずは、絶対フラれないように、超モテモテになって、それから、倉田くんにアタックしようって思ったの」


「お、おう」


 最近の猛プッシュと、それまでの男遍歴は俺のせいだと言わんばかりだが、どこまで本気で聞いていいのやら。美丘はずずっと鼻をすすると、ちらちらと視線をさ迷わせた。


「ティッシュ、いるか?」


 こくっとうなずくのでボックスごと渡す。ちんっと素早く鼻をかむと、ぎゅとティッシュを丸めてにぎる。それから、「うぅ」と嗚咽を漏らして、泣き始めた。


「すず、絶対、この人、彼氏にするって思ったもん。ぜーーったい」

「へ、へえ」


 本人目の前にこうもはっきり決意を語る美丘に、ちょっと感動した。

 感動するといっても、感激して、「そんなに俺のことを」とは違う感動だが。なんかこう……凄みに、感動した。


「夏休みに絶対、彼氏にするって。もう、みんなに言ったし」


 みんなって誰よ。苦笑しか出てこないが、こういう話を始めたってことは、俺を彼氏にする気はなくなった、っていうことかも。たぶん、さっきのジメジメした話でいやになったパターンを期待する。


「すず、本気だもん」

「本気?」


「超、マジ。他の男の子は練習だよ。ずっと、ずっと、すず、倉田くんひと筋だもん。一途なの」


「いや、でも」

「でも、じゃない」


 きっぱり。


「倉田くん、すずの彼氏になってよ。すぐ別れてもいいから」

「それって」


 友達の手前、意地になってるってことか。

 とりあえず、付き合ったことにして、すぐに別れると、そういう頼み。俺はわかったようなわからないような、どう反応すればいいのやらで、言葉に迷っていると、ソファがわずかに沈んだ。リリスが隣に座っていた。


「なんか、この子ってよくわかんない。ナオのこと愛してないのかしら」

「愛ね」


 そんなの、歌詞の中だけ。あるいは、夢の中だけの世界だ。

 リリスは「つまんない」と足をぶらぶらする。


「あーいのーためーー」


 歌うなよ。何も見えない、聞こえない美丘は、えぐえぐ声を引きつらせながら涙をぬぐい、鼻をずびーっと勢いよくかむ。かなり素が出てきているらしく、好感は持てたが、恋の予感はまるでない。始めこそにぎりしめていたティッシュも、数が多くなり、テーブルに小山が作られていく。


「倉田くん、すずと一か月だけでいいから付き合って。デートも一回でいいから。あと写メ撮っていい?」


「は?」


「写真撮って証拠みせないと。二人で写ってるのと、倉田くんひとりのやつ。こっち見てるやつね。隠し撮りっぽいのじゃなくて。あと、それから」


「あ、あのな。美丘」


 こっちは全然オッケーしてないのに、話はどんどん進んでいく。美丘は携帯片手にすでに撮影準備オッケーで、「すずはいま顔ヤバイから、倉田くん一人のやつ撮るね」と真剣だ。


「だから、嘘でも付き合う気ないから」


 携帯をかまえて、あとは撮影ボタンを押すだけの状態になった美丘は動きを止め、きょとんと首をかしげる。まぶたは腫れ、いつもよりやや目が小さくなってはいたが、「カワイイ」を狙っているに違いない。ちょっとだけ、口をすぼめ、眉を寄せた。


「どうして? すず、彼女にしたら自慢していいよ。メイク直したら、写真撮っていいし。それに、キスもしていいよ。それ以上は倉田くん次第かな。ちょっとならいいかも。さわるくらいなら、いまからでも平気」


「なるほど。こうして新たなセフレを増やしていくのか」

「だ、だから」


 俺は声を上げると立ち上がり、美丘の携帯を取り上げた。


「あっ」と、カチンときたのか、にらみつけてくるが負けるもんか。

「勝手に撮るなって」


 携帯画面をホームの戻し、彼女に手渡さず、テーブルに置いた。ついでに喉が渇いてしょうがないので、麦茶を飲む。リリスが、「私も飲もっかな」と妹に用意した分のグラスに手を伸ばす。


「うまっ。ムギ、うまっ」


 ぷはーっと飲み干すリリス。この姿も、美丘の目には何も映らないのだろう。おかしなことだ。まだ、グラスが宙に浮いていて「ゆ、幽霊っ」って、驚いてくれた方がリアルだというのに。


 そばで、「ズンドルゲの尿みたいな色だけど、ムギ、うまい。たとえるなら、ゾロロゲロのゆで汁にサーモネスの蜜を混ぜたような味。ムギ、やりよるな」

 と、喋ってようが、美丘は何の反応もしない。俺だって反応しないように、耐えているけれど。

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