8月11日(日)

Page 29 プールに行こう

 一日大人しくしているだろうと思った妹が朝食の最中、「兄貴、今日プール行こ」と断言口調で言ったのには、食べていたグラノーラが喉に詰まってむせてしまった。


「やだよ。なんで妹とプール行くんだよ」

「プールって何? 行こう、プール」


 何って聞きながら行く気満々の魔女はおいといて、俺は食っていたグラノーラをかきこむと牛乳で流し込んだ。


「誰か誘えって。アカリちゃんだか、ヒカリちゃんだかに声かけろよ」

「キラリちゃんだけどね。あの子、いま家族旅行中だもん。うちと違ってさ」


 妹は夏休みに「どこにも行けない」ことを中学生になっても、ぐだぐだと文句言って親を煩わせている。俺としては家族で旅行なんてゴメンなんだが、中二の妹は「予定がない」ことが苦痛らしい。たとえ、それが家族旅行であっても。


「なんだよ。いまは、じいちゃんが入院してるってときだぞ。遊ぶことばっか考えんなよ。俺は今日一日、部屋で宿題やってるから、お前、騒ぐんじゃねーぞ」


「ふんだ。マジメ・アニキ。まだ、夏休み始まったばっかじゃん」


 八月も半ばになりつつある頃に、始まったばかりとは、のんきなもんだが、それでも昨日までテニス合宿に行っていたのだ。妹にとってはこれからが、いよいよ夏休み本番なのかもしれない。


「母さんには昨日、ちゃんと連絡したのか?」


 帰郷している母親と、頻繁に連絡をとってはなかった。それでも、俺は一応「ミク無事帰る」と昨日、LINEで送っておいたし、妹には電話するよう言っておいた。妹はつまらなそうに、まだ半分以上残っているグラノーラをスプーンでつつきながら、「話したよ。じいちゃんは元気だって。それより、ばあちゃんのほうが、疲れてて心配だってさ」と口をとがらせる。


「まだ帰れそうにないって?」

「帰るのは盆終わってからでしょ。予定通りじゃない? なに、兄貴、かあさん恋しいわけ」


「あら、ママン」


 リリスの胸に手を当てる「ママ恋しや」ポーズは無視するとして、俺は「家事がめんどい」と不平を漏らした。昨日までは仕方なくするしかないと思っていたが、昨夜、妹が出した大量の洗濯物を見て、ここは分担をしっかりせねばと決意したのだ。


「洗濯は干したからな。取り込んでたたむのは、お前やれよ。あと、昼はいいとして、晩は用意してくれ。風呂は入れてやる。けど、俺が先な。お前は最後に入って、洗ってから出ること」


「はっ、ヤダよ。暴君! 兄貴が全部やれよ。母さんだって『お兄ちゃん、ミクのこと頼むね』って言ってたじゃん」


「頼むね、はちゃんと生活させろって意味。だいたい、全部やらせようってんじゃないだろ。なにが暴君だよ」


 暴君ってのは、リリスみたいな魔女を言うんだよ。ちらって妹に怪しまれない程度に視線をやると、リリスは牛乳をパックごと、ごくごくと飲み干していた。「おいっ」と俺は小声で話しかける。


「全部飲むなよな。買ってこなくちゃいけなくなるだろ」

「ガラガラバチの絞り汁みたいな味がする」


 ハチの絞り汁って、なに飲んでんだ、と思いながら、牛乳パックを奪い、冷蔵庫にしまう。妹は、その俺の荒っぽい手つきに機嫌が悪いと思ったのか、「なんだよ。わかったよ」としゅんとした態度になった。


「ちゃんと夜は作るからさ。兄貴、プール行こうよ。じゃないと、ひとりじゃナンパされちゃうよ。それでもいいの、兄貴ぃ?」


 誰がこんな日に焼けたカカシみたいな妹をナンパするのかわからないが、ひとりでプールはそりゃあ、寂しいもんだろう。だからといって、一緒にいってやるつもりは微塵もないが。


 俺は「記録」を書くことにスケジュールを埋め尽くされている。なんとか半分以上埋まったが、今日を入れてあと五日しかない。それに残り日数全部を「記録」を書くことに費やすなんてまっぴらだ。


 そんな俺の努力やそれこそ優しさともいえる計画を知ってか知らずか、リリスまで「プール、プール」と騒ぎ立てる。


「お前、水着持ってないだろ」


 俺はリリスにささやいたつもりだったが、妹にも聞こえたらしく、

「なんで? 去年、買ったのがあるもん。ほら、あの紺色のワンピース型」

 と、キョトンとする。

 それに、「黒のワンピースなら持ってる」とリリスがウキウキ。


「だから、それは魔女服だろ。水着ってのは、泳ぐときに着るやつだよ」

「泳ぐの?」


 ああ、もう。いったん会話をやめて、妹にはっきり宣言した。


「とにかく、プールは行かない! わかったらさっさと食って、皿もきれいに洗っとけよ。俺は部屋にいるから、出かけるなら声かけてけ。あと」

 ふと思いついて、念押しする。

「盆過ぎるまでは、うちには誰も呼ぶなよ。誰か友達呼んで、お泊りだぁ、なんだ、騒ごうなんて思ってんなら、すぐに母さんに連絡するからな。いいな?」


「なんだよ。兄貴、ほんと暴君だ!」


 誰がだよ。こんな優しい兄貴なんて、めったにいねーぞ、と言い返したくなるのを飲み込み、部屋に戻って、リリスにプールとはなんたるかを教えてやろうと思っていると、運悪く、ほんと運悪くというか、うんざりすることに、玄関のチャイムが鳴った。

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