Page 17 鼻上向いた犬

 そんな風に、俺はリリスとの生活が長くなるにつれて疑い深くなっていった。あまりに秘密が多く、「言えない」と突き放されることがばかりが増えていき、内心、とても傷ついている。俺はもっとリリスのことが知りたかった。でも、そんな気持ちの付け入る隙を、リリスは与えてくれないのだ。


「そんなに怖い顔しないで」


 めずらしくリリスの声音がやさしくなる。そんなにおっかない顔をしていただろうか。言われれば、眉間に力が入っていた気がする。俺はひたいをこすり、首を振った。


「あなたは覚えてないって言ったけど」と、リリス。

「私たち、幼い頃は夢で会ってたでしょ」


 覚えている。本当は。でも、俺はさらに眉間のしわを深くして黙込む。


「そのとき、教えてもらったことも、私のデータには蓄積されているの。ペットの名前はそのひとつ。小型犬っていったかな、鼻が上向いた? ね、絵を描いてくれたはず……って憶えてないんだったか」


 あんな昔から、俺はデータ収集されていたのか、という思いと、鼻が上向いた犬? という新たな謎に、どうリアクションしていいか迷って、俺の表情は定まらなかった。飼っていたのは中型の雑種で、鼻はシュッとしたイケメン犬だ。


「お前のデータ、狂ってるぞ」


 なんとか言い返した言葉。これに、リリスは「は?」とドスのきいた声で突き返してきた。「聞き捨てならないわね。私のデータは正確よ」


 険悪な雰囲気。たじろぐのは俺だ。リリスが正しいとするなら、当時から俺は嘘をついてたってことになる。憶えちゃいない。ただ、彼女にいいところを見せようとした可能性はある。たぶん「血統書を飼ってるんだぜ」アピールをしたに違いない。近所でパグを飼っていたおっさんがいたから。それが頭にあったんだろう。せこいな、俺。


「ああ、わかったよ、お前の優秀さは。それより、午後からは気を付けてくれよな。大人しくすること。ふざけない。俺をおちょくらない」


「おちょくるってなによ」

「おちょくるってのは」


 ピンポーンと玄関チャイムが鳴ったのはこのとき。時刻はまだ午前十時。妹ではない。誰だろう。そう思って玄関に向かおうとしたとき、リリスがつぶやいた。


「すず」

「え?」


 魔女の能力ってやつか。勘が鋭いのか、それとも魔法?

 玄関を開けると、美丘すずがはにかみながら立っていた。


 肌が透けそうなほどの白い薄手のワンピースを着て、手には籐カゴタイプのバッグを持っている。美丘はうっすらと額に汗をかいていたが、彼女と向かい合った瞬間、ぶわりとフローラル系の匂いが漂ってきた。


「あのね。すず、倉田くんと勉強しようかなって。倉田くん、頭良いでしょ? すず、ちょっと難しいところがあったから、教えてもらいたいなって」


 こんな女子は初めてだ。わずらわしいレベルを超え、心配になるほどの厚かましさ。俺は不快さが顔に出ていたのだろう。美丘はややたじろいだらしく、「ほんのちょっとだけ」と小声でぼそぼそと言い訳がましいことを並べ立てながら、足をもじもじさせた。


 さすがにこの間のように、ずかずかと乗り込む気にはなれないらしい。

 俺の横にはリリスが、これまた絵にかいたような意地の悪い笑みを浮かべている。しかし、美丘には、やっぱり姿は見えていないのだ。美丘はリリスの方はひとつも見ることなく、俺と自分の足元ばかりに視線を向けていた。


 奇妙だ。居心地が悪い。向かいにはクラスメイトの美丘がいて、肩が当たりそうなほど、すぐ横に、魔女のリリスがいる。でも美丘にはリリスが見えないどころか、何かいるだろうなんて、気配すら感じ取っていない。ものっすごい、ニヤニヤ笑いで、「すずちゃーん。また来たんでちゅか?」なんて言ってやがるのに。


 妹が帰ってきたら。そう思うとゾッとした。リリスは、俺の正気が疑われることはない、とやけに自信たっぷりに請け合ったが、それでも、こういう状況、俺には見える女の子がそばで騒ぎ、一方では俺と二人だとだと思っている相手と、平気な顔して会話しなくちゃいけない、この苦労たるや、体験して初めてわかる。


「あのぉ?」


 黙っている俺に美丘が不安げに首をかしげる。たぶん「身もだえするほど可愛い」を狙った美丘の仕草、「小首傾げて、まばたき二発」をくらい、つい身を引いてしまう。


「あ、どうぞ。上がって」

「おじゃましまーす!」


 帰れよ、なんて追い返す度胸はないんだ。美丘を蔑ろにして、あとで恐ろしい目に合うのはごめんだ。ごめんだが……


「よし! ラブラブ大作戦、第二弾、いっきまーす」


 こぶしを突き上げ、ウキウキしている魔女。俺、泣きそうだよ。

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