第08話 絶望なんて、するはずがない

 絶叫を絶叫でかき砕く、喉の奥がいまにも裏返って飛び出しそうな、叫び声、激情、慟哭。


「いやだああああああああああ! ウメちゃん、ウメちゃんっ! ウメちゃん! うああああああああああああ!」


 嘆き、怒り。

 悲しみ、やり場のない辛さの、衝動に震える魂。

 その震えだけで、地が砕かれて裂けそうなほどの。


 激しい感情の爆発と裏腹に、その手に力はなく、すがるように地を叩き続けている。


 泣いているのは、アサキだけではない。


「ふざけんなよ、くそお……畜生……畜生!」


 カズミである。

 立ったまま、感情を押し殺そうと、でも堪え切れず、涙をぼろぼろとこぼしていた。

 こぼすまいと思ったのか、上を向くものの、流れ出る量があまりに多く、まるで意味をなしていなかった。


 その後ろには、しましようが、黙って下を向いている。

 思うところの違いから、この一年は相対していたとはいえ、応芽とは幼馴染の親友であり、リヒトでの戦友である。

 もしもこの場に誰もいなかったら、泣き崩れていたかも知れない。

 表情こそ冷静であるが、しきりに靴の底で地を引っ掻いている。泣き崩れないまでも、激しく動揺していることに間違いはないだろう。


 悲しみに暮れる三人の様子を、腕を組んで、面白そうに見つめているのは、リヒト所長、だれとくゆうである。


 横には、黒スーツを着た側近の部下が二人、護衛の意味もあるのだろう、肩をぴたり寄せて立っている。

 後ろには、白衣の技術者、そしておそらくリヒト所属の、魔法使いたちが数人ずつ。


 白衣の技術者たちが、それぞれに、提げていた黒いバッグから、小型の機械を取り出した。

 泣きじゃくるアサキのすぐ目の前、応芽の身体が溶けて消滅した地面へと、コードを引っ張って伸ばした、センサー棒の先端を当てた。


 だれとくゆうが呼んだ、技術者たちである。

 応芽とアサキが争った結果、なにかが起こることは間違いなく、なんであれ生じた事象のデータを、測定するために。


 なお、魔法使いは、先ほどだれとくゆうがいっていた通り、戦闘要員だ。

 応芽の魔法力や怨念絶望が足りず、通常のヴァイスタにしかならなかった時に、すぐさま倒し、昇天させるために、呼ばれた者たちだ。


 着々と計測作業が進む中、まだ地を叩き泣き続けているアサキであったが、感情涸れたわけではないものの、瞬発力が尽きて、号泣から嗚咽へと変わっていた。


「ウメ……ちゃん」


 死者への、何度目の呼び掛けだろうか。


 じゃっ

 砂を潰す音に、アサキはびっくりし、目を見開いた。


 すぐ手元の土、硬い地面に、短剣が、斜めに突き刺さっていた。


 顔を上げると、だれとくゆうと目が合った。


 至垂の、薄く歪んた口元が動いて、小さいけれど、はっきりした言葉を呟く。


「受け入れるか、拒絶するか、物理的にか、精神か。自己表現に正解はないよね」


 小さいけれど、はっきりした、

 小さいけれど、侮蔑に満ちた、

 嘲り、虚栄心、欺瞞に満ちた、


 思わせぶりな話し方。

 とどのつまり、絶望の仕方についてということだろう。


 親友を失った、アサキへの。


 この短剣で自害するもよし、世を呪うもよし。

 ここで狂い、ヴァイスタ化するもよし。さらに負を、内に貯め込むもよし。


 挑発しているのだ。

 心を揺り動かそうとしているのだ。


 ここでなにがどうなろうとも、だれとくゆうにとって損は微塵もない。

 なにかきっかけさえ与えれば、どうであれ、今か、いつか、面白いことにはなるだろう。

 そんな、愉悦のための種まきを、しているのだ。


 なにが、楽しいんだ?


 アサキは、リヒト所長へと侮蔑の視線を向けていた。


 何故そんな、自分を正しいと思っていられる?

 そもそも、この状況下で笑っていられる、その神経をこそ、疑う。


 侮蔑の視線を向けたまま、手元の短剣の柄を掴むと、乱暴に引き抜いていた。


 次の瞬間、壁に、短剣が突き刺さった。

 壁際に立っている、リヒト所長の、顔をかすめて、

 硬いタイルを、ものともせず砕いて、深々と、突き立っていた。


 ゆっくりと、アサキは立ち上がると、あらためて迷いのない強い眼光を、リヒト所長、だれとくゆうへと向けて、静かに口を開いた。


「わたしたちは、絶望はしない」


 真っ赤に泣き腫らした目で、睨み付けた。

 薄笑いを浮かべている、リヒト所長を。


「本当に、そういい切れるのかな?」


 思い見透かす冗談ぽい表情で、深々と壁に刺さっている短剣を、二本指でつまんだだけの軽い持ち方で楽々と引き抜くと、いやらしい流し目をアサキへと向けた。


 アサキは、どっしり地に立ったまま、また、口を開く。


「素敵な思い出を、たっぷりもらった。みんなが必死に頑張ってきた。そんな思い出の生まれた、世界を守るためなら、絶望なんて……するはずがない!」


 少し言葉がまとまらなかったけど、でもこれが、迷うことのないアサキの本心だった。


 リヒト所長には、どうでもいいことのようだが。


「きみはまた、ここへくるよ。自分を知るために。真の絶望をするために」


 ふん、と鼻で笑うと、そういったのである。


「もう知っています。思い出しましたから。わたしが幼い頃、この施設で実験台にされていたこと」


 応芽に教えられ、そこから雪崩式に記憶が戻ったのだ。


「そうか」


 それも予期の範囲ということか、特に驚くこともなく、唇を僅か釣り上げた。


「もっと、思い出したら、または、もっと、思い出したくなったら、また、ここへきなさい」

「なにをされていたとか、そんなことまで思い出せなくていいです。……それよりも、ウメ……みちさんの、葬儀は行われるんですよね」

「そうだね。謀反のような事を、起こした者ではあるけれ……」

「あなたがそう仕向けたんでしょう!」

「知って乗ったは彼女の方だ。でも当然、葬儀は行うよ。殉職したリヒトの魔法使いとしてね」

「分かりました」


 アサキは小さく頷いた。


 気持ちのいいものではない。

 だけど、仕方がない。


 メンシュヴェルトやリヒト、ギルドメンバーが不慮の死を遂げた場合、肉体の損傷度合いによっては、死亡届を出して通常の葬儀を執り行えることもある。

 だが、あまりに奇怪な死であったり、異空での死であった場合には、行方不明で片付けられることになる。

 今回は、肉体の消滅であるため、後者に位置づけられる。


 つまり、社会に隠れてということにはなるが、彼女の葬儀を行えるのは、リヒトだけなのである。


 この所長は大嫌いだけど、でもここで働く者がみな悪者というわけではないだろう。

 応芽と仲のよかった者だっているだろう。

 だから、葬儀はしっかりとやっておくべきだと思ったのだ。


「日取りが決まったら、教えて下さい」

「約束しよう」


 だからといって、感謝する気もない。

 吐き捨てるように、冷ややかな表情で、小さく頭を下げた。


 応芽のためにも強くあらねば、と思うからこその、アサキのその淡々とした態度であったが、でもそれもさして続かなかった。


「令堂さん! 昭刃さん!」


 ぐろさと先生が、息せき切って、走ってきた。


「これは、どういうこと……み、慶賀さんは……」

「先生っ! ウメちゃんが、ウメちゃんが……」

「ちょ、令堂さん?」


 アサキは、須黒先生へと抱きつき、強く抱きしめると、また泣き始めたのである。


 もう涙の枯れるまで泣いたと思っていたのに。

 身体のどこに貯まっていたのか。

 まるで、世界中の雨雲を集めたかのよう。

 アサキの、涙。

 心の中に降る雨は。

 キラキラと輝く、親友を思う宝石の輝きは。

 いつまでも、やむことを知らなかった。

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