第01話 「小手!」がすべての始まりだった。

「小手ーーーーっ!」

「いたああああああああっ!」


 屋内に、りようどうさきの絶叫が響き渡った。

 あきかずの構えた竹刀が振り下ろされ、頭部に思い切り叩き付けられたのだ。


 面、胴、小手、垂れ、二人とも剣道の防具を身に着けて顔は見えないが、もちろん痛みにごろんごろん床をのたうち回っているのがアサキである。


「カズミちゃんっ! わたしの頭が小手に見えるんですかああああ?」


 立ち上がると、掴み掛からんばかりの勢いで詰め寄った。

 たぶん、面の中は涙目だ。


「いやあ、悪い悪い。そっちのが殴って楽しそうだったから、つい」


 カズミは後頭部を撫でながら、笑ってごまかした。


 ここは我孫子あびこ市立てんのうだい第三中学校の体育館。


 あきらはるおおとりせいへいなるもおり、それぞれ防具を身に着けている。


 周囲には他にもたくさんの、防具姿の女子たちがいる。


 彼女ら魔法使い組の五人がここでなにをしているのかというと、剣道部の練習に参加させて貰っているのだ。


 昨日は柔道、本日は剣道。

 ぐろさと先生の指示で、週に二回ほど、なにかしらの運動部を経験させられる。

 いくら魔法力があっても、その破壊エネルギーをヴァイスタの身体へと叩き込むためには自らの運動能力を高めなければならない。という、考えによるものだ。


 須黒先生は体育館の壁際で、ぐちだいすけ校長と一緒に練習を見ていたが、カズミのふざけすぎにため息を吐くと、手を叩き怒鳴った。


「ほらほら、昭刃さん! 真面目にやるっ!」

「はあい。もう、アサキが小手を避けねえから、あたしまで怒られた」

「えーーーっ、わたしのせいですかあ? というか小手じゃなくて面だったでしょお!」


 納得いかないという気持ちと、なにをいっても無駄だという諦めがないまぜになった、なんとも情けないアサキの顔である。


 さて、その横では、明木治奈が剣道部の女子と真剣に向き合っている。

 二人とも動かない、という点に置いては同じであったが、見る者が見れば、優勢劣勢の差がはっきりと出ていた、ということであろうか。

 剣道部の女子が、まるで焦りから背中を押されるかのように、だっと前に踏み込んで、竹刀を振り上げたのである。


 治奈にとって、彼女のその行動は、単に彼女自身の隙が大きくなったという、ただそれだけのものだった。


「面!」


 治奈の突き抜ける叫び声と同時に、二人はすれ違っていた。


 女子部員が上段の構えから振り下ろすよりも早く、治奈は自分から飛び込み距離を詰めて、竹刀を面へと叩き付けつつ擦り抜けたのだ。


「おーーーっ! さっすがハルにゃん! お見事お!」


 防具で顔は見えないけれどもすぐ分かる。小学生でも不思議のない小さな身体で、跳ねて喜んでいるのが、平家成葉である。


 敗れた女子部員は面を取ると、治奈へと向き直り、悔しそうに深く礼をした。


「まいったな。吉田も歯が立たないかあ。えっと、平家、明木、とやって次は大鳥か? よおし、それじゃあ対戦すんのは、もちろんあたしとだな。今度は負けねえぞお」


 ショートカットの元気そうな女子、三年生で剣道部部長のしらはながわくわくしている感じの語気で言葉ぺらぺら、面を装着すると大鳥正香の前に立った。


「お手柔らかにお願いします」


 大鳥正香も面をかぶると、軽く礼をし、竹刀を構えた。


「やだよ。大鳥を相手にして手なんか抜いたら、あたし絶対負けるじゃんか。んじゃ行くぞっ、始めえっ!」


 怒鳴り声を発しながら、白花芽衣子は飛ぶ勢いで前へと出つつ、構えた竹刀を振り下ろした。


 勢いよく踏み込んだ割には、振り下ろす竹刀の振りは小さい。

 正香を一撃で仕留められるなどとは、まさか思っておらず、防御も考えての攻めを、ということだろう。


 受けてすぐさま反撃に出る正香であるが、白花芽衣子は斜め後方にまるで猿のように跳ねて避けた。

 もしも最初の一振りが、勢いに任せた大振りだったら、おそらくここで勝敗は決していただろう。


 再び白花芽衣子が攻めに転じる。

 やはり勢いはあるが小さい振りだ。


 すうっ、後ろに退がりながら竹刀で逸らす正香であるが、白花芽衣子は引かれた分だけ前進し、追撃の手を緩めない。


 正香は、決定的な一打こそ浴びることはないものの、とにかく防戦一方になった。

 白花芽衣子が、攻撃は最大の防御で細かく竹刀を振り下ろし突き出し続け、正香に攻める余裕を与えていないためだ。


 もちろん剣道のルールでは、その細かく振り回し続けている竹刀が相手に当たっても有効にはならない。

 決定打に直結する大きな隙を作り出すことが、彼女の目的なのであろう。


 実は、正香と白花芽衣子の対戦は、もう五回目。

 すべて、正香の勝ちだ。


 今回の白花芽衣子の戦法は、大振りせずにとにかく攻め続けるというだけのものであり、正攻法ではないし、愚策といえないまでも奇策というほどでもない。

 でもこれが、五回も負け続けた剣道部部長の、勝利への執念なのであろう。


 そしてついに、部長の見せる邪道戦法が、正香の隙を作り出すことに成功した。


 正香が、攻撃を払おうとしたのだが、白花芽衣子が自分の竹刀をくるんと回して接触をかわし、上から軽く叩き付けた。

 それにより、正香の持つ竹刀がだらりと下がったのだ。


「小手!」


 叫びながら白花芽衣子が、正香の小手へと目掛けて、竹刀を振り下ろす。

 だが次の瞬間、面の奥にある剣道部部長の目が、驚愕に見開かれることになる。


「小手!」


 正香の竹刀がするり擦り抜け、白花芽衣子の小手を叩き、そして、


「胴!」


 電光石火の神業というべきが、小手を打撃した瞬間には、既に胴を打ち抜いていた。


 呆然。

 白花芽衣子は、ゆっくりと天井を仰ぎ見た。


 十秒ほども、そうしていただろうか。


「ああもう、また負けたああああああああっ!」


 突然怒鳴り声を張り上げた。


 そして、ゆっくりと面を脱いだ。

 思い切り叫んで発散したのか、すっきりしたようにも見える彼女の表情である。


 正香は深く礼をすると、自分も面を脱いだ。


「負けた負けた。強えなあ大鳥は。お前ほんと剣道部に入れよ」


 白花芽衣子部長は、歯を見せて少年のように笑った。


「すみません。お誘いは嬉しいのですけれど」


 正香は微笑を浮かべ、勧誘をやんわり断った。


「部活、どこにも所属してないんだろ? もったいないよなあ」


 授業中、放課後、土日、深夜、いつヴァイスタが現れるか分からないため、彼女らは部活への参加を免除ではなく禁じられている。

 もちろん、それを誰かに話すことも厳禁だ。


「こいつらがいりゃあ、地区どころか全国だって狙えるのになあ」


 などとぶつぶついいながら剣道部部長は、壁際に立っている須黒美里先生のところへすーっと近付いて行った。


「また負けちゃいましたあ。あたし部長なのに、帰宅部にい」


 自虐的なことをいいながらも、表情は楽しげだ。


「まあ、小学校卒業まであなたと一緒にずっとやってたからね」


 正香は中学に入り、校長と先輩からのスカウトを受けて魔法使いになることを承諾したため、先ほど説明した通り、部活としての剣道はやっていない。

 しかし、小学生時代の正香は、千葉県大会の決勝に必ず出場しており、全国大会でも悪くない記録を残している。


「それに、家ではお父さんに教えて貰ってるらしいよ」

「知ってる。……先生、あの子たち昨日は男子に混じって柔道をやってましたよね。なんだってこんな、部を転々としているんですか? 新しい競技団体でも旗揚げするつもりですか?」

「あ、いや、ちょっとね。迷惑だった?」

「いえ、みんな凄い実力あるし、入部してくれないまでも、助っ人として大会に参加してくれたらいいなーって思って、聞いてみただけで」

「うーん、それも面白いかも知れないけど……」


 難しそうな、渋柿食べた顔になる須黒先生。


 何故そんな表情になるのか、原因はすぐ目の前。


「だいたいカズミちゃん全然剣道やってないじゃないか! 昨日の柔道だって、投げの受け身練習なのに、わたしにプロレスの関節技ばっかりかけてきたしさあ」

「うるせえな、剣道やりゃあいいんだろ! プロレスラーで剣道といえば、そう、うえうますけだあ!」


 カズミは叫ぶが早いか竹刀をぶうんと振り回して、アサキの面をバッシーンと横から打った。


「いたいっ!」


 という悲鳴にも構わず、ばすばすばすばす頭を打ち続けるカズミ。


「痛いっ! 痛いっ!」


 面をしてても、真横から叩かれると恐ろしく痛いのである。


 悲鳴を上げながら、ぐらりよろけた。


 その隙に、カズミはさっと後ろに回り込んで、がっしり押さえ付けた。

 背後から、アサキの面のふちを歯でがちっと噛り、「むんはーっ!」など奇妙な雄叫び上げながら顔を上げ、レスラーマスクよろしく強引に面を剥ぎ取ると、竹刀を首に回してぐいぐいと締め上げた。


 うえうますけ、昭和時代のプロレスラーである。

 別に剣道で戦うわけでもなんでもなく、単にいつも竹刀を手にしている悪役ヒールというだけの話であるが。


「入場曲はもちろん『地獄へ堕ちろ!』だああああ!」

「知らないそんなのぐぐぐるじいいいっ! やぁめてええええ」


 アサキの顔がどんどん青くなっていく。


 白花芽衣子は、あっけにとられた顔で、二人が織り成す低レベルの争いを見つめている。


「大会参加の件、あの子たちも一緒でいいのなら考えるけど」

「いえ、やっぱりいいです」


 きっぱり即答する白花芽衣子であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る