- 8 -

 流れ出た音に、ローズは感嘆の息を漏らした。


「見た目だけじゃなくて、音も素晴らしいわ……」


 楽器は芸人の扱うもので貴族が弾くものではない、と伯爵には嫌がられていたが、ベアトリスはハープやトラヴェルソなどいくつもの楽器を習っていた。必然ローズも、ちょくちょくレッスンをサボるベアトリスの代わりにレッスンをこなすことになり、様々な楽器が弾けるようになったのだ。



「お嬢様にも弾かせてあげたいなあ」


 言いながら、ローズは知った曲を奏でていく。調律は完璧だったし、音の広がりもベアトリスの使っていたものとは段違いだ。



 ローズは、楽器の中でもハープが大好きだった。ベアトリスが一番好きだったのはトラヴェルソで、踊りながら吹けるから、というのがその理由だった。



(お嬢様、今頃どこで何をしているのかしら)


 もし本当に逃げ出すほどに結婚が嫌だったのなら、自分も一緒にこの結婚を破棄してもらうように伯爵に頼んでみよう。ベアトリスがどういうつもりで姿を隠したのかはわからないが、どんな理由でも、ローズはベアトリスの味方でいたいと思った。



 そんなことを思いながらハープをつま弾いていたローズの耳に、ふと、別の音が聞こえた。


(え?)


 ベアトリスのことを思い出していたせいか、ローズが弾いていたのは二人でよくあわせていた曲だ。そのベアトリスの思い出をたどるように、いつの間にかハープの音に、かすかなトラヴェルソの音が重なっている。


 一瞬ベアトリスかとも思ったが、どうもくせが違う。軽やかなベアトリスの音と違って、今ローズのハープに重なってくるのは、力強く張りのある音だ。息遣いも巧みで、一流の宮廷音楽師でもこれほどの音を出すのを聞いたことがない。



(とても上手だわ)


 つたないローズのハープに合わせて、寄り添うようにその音は優しく流れてくる。ローズは、気持ちよく最後まで弾くことができた。


(今のは……)


 ローズは急いで立ち上がると、これもガラスでできていた扉を開けて庭に出た。けれど、あたりを見回してもそれらしき影は見えない。



「奥様」


 と、急に背後から声をかけられてローズはあわてて振り返る。そこには、驚いたような顔をしたソフィーがいた。


 ローズは、顔には出さなかったが内心で非常に焦った。


(み、見られちゃった……!)


 ソフィーが帰ってくるまでの間ほんの少し触るだけのつもりだったのに、トラヴェルソが合わせてくるのが楽しくてついつい時間を忘れて弾いてしまったらしい。



「ハープをお弾きになっていたのは、奥様だったのですか?」


「あ、あの……勝手に使ってしまってごめんなさい。ええと……私が弾いていたことは、どうか内緒にしておいてね。伯爵家の娘が楽器を弾くなんて、はしたないと思われてしまうわ」


 ソフィーは、は、としたように息をのんで、笑顔でうなずいた。その笑顔からは、今まで見ていた硬い表情が抜けている。



「わかりました。決して口外いたしません」


「ありがとう。あまりにも素敵なハープなので、つい手がでてしまったの。実家で少し習っていたのけど、あまり上手には弾けないから、きかれていたなんて恥ずかしいわ」


「こちらの離れにあるものは、ここを含めて奥様のお好きなように使っていただいてかまわないと言われております。もし奥様がお望みでしたら、またこちらを使っていただいてもかまいません」


「本当? 嬉しいわ。でも、公爵様たちには内緒でね」


「かしこまりました。内緒ですね」


 そうして二人は、顔を見合わせてくすくすと笑った。





「でも、少し、安心いたしました」


 ソフィーが、微笑みながらローズを見つめる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る