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「あれほど旦那様に反対されたのに、どうしてもと言ってレッスンをお願いしたのはお嬢様ではないですか! 私では、ごまかすのにも限界があります!」
「だって、私は好きな曲を弾きたいの。あの先生、教本ばかりやらせるからつまらないんですもの。でも、今日も先生にはバレなかったのでしょう?」
にっこりと笑ったベアトリスは、彼女そっくりな顔で怒っているローズを見つめる。
姉妹というわけではない。ベアトリスのはるか遠縁にあたる身寄りのなかったローズは、住み込みのキッチンメイドとしてリンドグレーン伯爵家で働いていた。
ある日偶然顔を合わせたベアトリスが、ローズがあまりにも自分に似ていたために、面白がって彼女を自分付きの侍女に召し上げたのだ。ローズの方が少し髪の色が淡くて幼く見えるが、ベアトリスに似せて化粧をしてしまえば二人はまるで双子の姉妹のように見えた。
伯爵令嬢のおつきなんて、と最初は恐縮していたローズだが、しとやかで物静かなご令嬢と思っていたベアトリスがとんでもないお転婆娘だという事を知るのはすぐだった。
ベアトリスは自分そっくりのローズを、館を抜け出している間の身代わりに使うために侍女に召し抱えたのだ。
幸か不幸か、もう身代わりをつとめ始めて一年になるが、今のところバレてローズが怒られたことはない。もともとベアトリスは、対外的には深層の令嬢として人と会う時にも扇で顔を覆い口を開くことも少なかった。大人びた化粧をしてベアトリスのドレスを着てしまえば、背丈も顔つきもそっくりのローズを疑うものはない。
それをいいことにベアトリスは、ここのところ二日と開けず館を抜け出していた。
「それで? 今日はどちらにいらしていたのですか?」
「だから……お茶をしに……」
ぼそぼそと答えるベアトリスに、ローズはピンとくる。
「……例の、商人のお坊ちゃまですか?」
ベアトリスは、ふいと顔をそらして答えない。ローズは深くため息をついた。
「そんなどこの馬の骨ともわからない男、お嬢様がからかわれてるにすぎません」
「彼は誠実よ。決して不埒な真似もしてこないし、私をちゃんと一人の女性と認めてマナーを守って相手をしてくれるわ。とても私の事を大事にしてくれているの。今日だってすぐそこまで……」
言いかけて、ベアトリスは、は、と口をつぐむ。それをローズは聞き逃さなかった。
「そこまで? まさか、お嬢様、ご自分がリンドグレーン伯爵令嬢だとその男に知られて?」
沈黙こそが回答だった。
「お嬢様!」
無言を貫くベアトリスの目の前に回ったローズが、その明るい青の瞳を覗き込む。
「ご自分のお立場をお判りなのですか? お嬢様はこのファルの街、いえセラーシナ王国においても一番の由緒正しき伯爵家の娘ですよ? その男だって、どこまで信用できるかわかったものじゃありません。軽々しく身分を明かしてもしかどわかされでもしたりしたら……」
「あの……失礼いたします」
説教モードに入ったローズの声にびくびくとしながら、メイドが声をかけてきた。
「あら、何かしら」
これ幸いとばかりに、ベアトリスはメイドに答える。まだ言ってやりたいローズは、それでも同じようにメイドに視線を向けた。
「お話の途中で申し訳ありません。旦那様が、お嬢様をお呼びです」
「お父様が?」
「はい。至急のご用事だそうなので、すぐにお越しください、とのことです」
伯爵の呼び出しとなれば、ローズが邪魔をするわけにはいかない。しぶしぶローズは、ベアトリスを説教から解放した。
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