3-3-1 書記、算術の講義

 高等学院生活二日目です。昨日は酷い目にあいましたが、トレス様に親しくしてもらえたのは僥倖でした。私のような平民の娘にも分け隔てなく接してくださられる、とても素敵な方です。


 昨日の失敗を踏まえ、今日はちゃんと前のドアから講義室に入り、適当に前の方の空いている席に座ります。まだ時間も早いので、席は結構空いていました。


 その後、次々と学院生が入ってきて、講義開始の時間までにはほとんどの席が埋まります。私の隣の席を除いて。

 昨日あんなことがありましたからね。無理もありません。貴族に絡まれた少女の隣など、誰も座りたくはないでしょう。


 今日最初の講義は書記です。公式な文書や手紙の書き方を教えていただけるようで、今回は招待状の正式な書き方を教わります。


 貴族様やお金持ちの商人などは、よくパーティーなどを開くのでしょうから、招待状を書く機会も多いのでしょう。あれ、招待状は貴族様本人が書くのだろうか、それとも執事など従者の方?どちらにしても知っておく必要はあるか。

 そんなことを考えながらも、内容を聞き洩らさないよう集中して講義を受けます。


 一コク目の書記の講義が終わると少しの間休憩となります。私はトイレに行こうと席を立とうとしたところで、トレス様の侍女のルルさんに声をかけられました。


「サーヤさん、トレス様が、よろしければあちらの席でご一緒しませんか。とのことですが」

 ルルさんが手で示す右側の後ろの席で、トレス様がこちらを見て微笑んでいます。

私がどうしたものかと考えようとした時、ここでまた眼前の空中に選択の文字列が映し出されました。


1 誘いにのり大公令嬢と座る

2 断りこのまま一人で座る

3 第二王子の下に行き一緒に座る

4 公爵令嬢の席を奪う


 また例の選択肢です。

 私はいったいどうしてしまったのでしょう。気になるところではありますが、ルルさんを余り待たせるのも申し訳ない。さっさと選択しましょう。


 まず、4はなし。次に3もなし。1か2ですが、昨日トレス様と座った結果、最終的に酷い目にあってしまったので今日は2にします。


 2番で。


「申し訳ございませんが、講義に集中したいので、今日はご一緒できません」

「そうですか。残念です。気が変わったらいつでもお越しください」

「ありがとうございます。折角誘っていただいたのに申し訳ございません」

「こちらこそ失礼しました。ではまた」


 そう言って、ルルさんはトレス様の下に帰っていきました。


 今日2コク目は算術の講義、帳簿のつけ方、見方をやるようです。

 商会会頭の祖父が生きていれば、このあたりの話はみっちり仕込まれたかもしれませんが、祖父が亡くなり、商会を追い出されて三年、そういった機会はありませんでした。


 今更、祖父の商会を取り戻すことは無理だろうし、新たに商会を作れるほど商才があるとも思えませんが、人生どう転ぶかわかりません。もしかしたら、どこかの商会の会計担当になれるかもしれません。

 私は真剣に講義を受けました。


 集中していたためか、あっという間に算術の講義は終わり、昼休みとなります。


 今日の昼食はどうしようかと考える前に、さっき、行きそびれたトイレに先に行かなければと席を立ちます。

 前方のドアに向かって早足で歩いて行くと、一人の少年によって行く手を塞がれてしまいました。


「よう、サーヤ、そんなに真剣に帳簿のつけ方を覚えてどうするんだ。役立てようにも、お前の商会はもうないぞ」


 少年は、こちらを見下すように、いやらしく笑ってきます。この少年は、祖父のランドレース商会を乗っ取った副会頭、今はヨークシャ商会の会頭の息子キースです。


「どこで役に立つかわからないでしょ」

「それもそうだな。出来が良ければ俺のところで雇ってやる。しっかり働けば、ゆくゆくは、俺の愛人にしてやってもいいぞ」


 なにをバカなことを言っているのでしょう、こいつは。私は怒りがこみ上げてきます。


 ここでまた、眼前の空中に選択の文字列が映し出されます。


1 ヨークシャ商会に雇われる

2 ガン無視する

3 近くの人に助けを求める

4 公爵令嬢に向かって怒鳴る


 なんだかな。もういちいち突っ込まない。

 頭にきていることもあり素早く決定。


 2番。


 私は、キースを無視して隣を擦り抜けドアに向かいます。


「無視するなよ」


 キースに腕を掴まれてしまいました。

「悪いようにはしないから俺のいうことをきけ」

「離してください」


 私は腕を振って手を振り払おうとしますが、キースはガッチリと掴んで離そうとしません。


「いいからこっちに来い」

キースは掴んだ腕を引っ張り、どこかへ連れて行こうとします。


「嫌です。やめてください」


 私が抵抗していると背後から声がしました。


「おい、嫌がっているじゃないか、やめてやれ」

「関係ないやつがでしゃばるな」


 キースが声を荒げましたが、そこで動きが止まります。

 私は何ごとかと背後を確認すると、そこには昨日カフェで会った、ガタイのいい少年が立っていました。


 キースは「チッ」と舌打ちすると、そのままドアから出て行ってしまいました。


「大丈夫か」

「大丈夫です。ありがとうございます。助かりました」


 私は礼を述べ頭を下げます。


「気にするな、こっちこそ昨日はカフェで済まなかった」

「いえ、あれは別に、ケニー様のせいではありませんから」

「そうか、そう言ってもらえると助かる。エリーもいつもは、あんなことするやつじゃないんだけどな」

「そのことはもう気にしていませんから」

「そうか、まあ、困ったことがあったらなんでも言ってくれ。じゃあ気をつけてな」

「はい、ありがとうございました」


 そう言ってケニー様はドアから出ていかれます。



 ケニー様を見送り、一息つき落ち着くと、私はトイレに行きたかったことを思い出し、慌ててドアから廊下に出て、急いでトイレに向かいます。

 確かトイレは廊下に出て、右手と左手両方にあったが、右手の方が近かったはず。

 私は廊下を急ぎ、右手にあったトイレに駆け込みます。そこで、出会い頭に誰かとぶつかり、私は尻餅をついてしまいました。


 私を見下す、刺すような冷たい視線、あっ、うっ、あー、私、またやってしまったのか。二日続けて、いろいろな意味で盛大にやらかしてしまったようです。


 公爵令嬢が呆れたように言い放つ。

「またですの。仕方ありませんわね。リココ、水」

「はい、お嬢様」


 なぜか傍にいた侍女のリココさんが水差しを持っています。どこから出てきたのでしょう。考えている暇もなく、公爵令嬢がその水差しを受け取り、私の頭から水を注ぎます。


「ここは上級貴族用トイレよ。あなたは廊下に出て左手のトイレを使いなさい」


 それだけ言うと、公爵令嬢はトイレを出て行ってしまいました。


 すれ違いざまにトレス様がトイレに入ってきます。


「サーヤさん、どうしたの」

 ビックリしたようにこちらを見ています。

「なんでもありません。ちょっと転んでしまって」

 私はすぐさま立ち上がります。


「でもあなた濡れているじゃない。エリーザ様にやられたの」

「いえ、私が悪いんです。大丈夫ですから気にしないでください」


「ルル、着替えを用意して」

「大丈夫です。私はここを片付けたら寮で着替えてきますから」


「そう、本当に大丈夫?片付け手伝いましょうか」

「いえ、一人で片付けられますから、おかまいなく。ルルさんも大丈夫ですから」


 手伝ってくれようとしていた、ルルさんにも断りを入れ、私は、そそくさと、濡れたトイレの床を片付けると、寮に着替えに向かいました。


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