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 寺沢莉央が早河に託した四つのUSBメモリには犯罪組織カオスの機密情報が入っていた。


 11月上旬に武田財務大臣の手元に届いた第一のUSBにはカオスと関わりが深い警察関係者、政財界や芸能界の著名人の名前を記したリストが記録されていた。

リストにはカオスのケルベロス、原昌也と笹本警視総監、岩波法務大臣の名も入っていた。


USBの小包に同封されていた手紙に書かれた携帯電話の番号に武田が連絡をすると電話に出た人物はカオスのクイーンと名乗り武田を仰天させた。

貴嶋の行いに疑念を抱いていた莉央は貴嶋の計画を止めるために早河達に手を貸すと申し出た。武田は莉央への信用度は五分五分としながらもひとまず彼女の申し出を受け入れる。


莉央はそれ以降、警察庁の阿部警視となぎさの父親に第二、第三のUSBを預け、最後はなぎさに直接、第四のUSBメモリを託した。


 貴嶋佑聖の逮捕と共に犯罪組織カオスに関わったとして摘発された団体(財団、暴力団等)や人間は数えきれない。東京だけでなく全国で逮捕者が相次いだ。

カオス幹部については以下の通り。


貴嶋佑聖(キング)……逮捕

寺沢莉央(クイーン)……死亡→貴嶋により射殺

田村克典(スコーピオン)……死亡→自殺

黒崎来人(ファントム)……死亡→何者かに射殺

山内慎也(スパイダー)……逮捕(自首)


 警察が把握する幹部五名のうち、三人が死亡、二人が逮捕となった。これにより犯罪組織カオスは事実上の壊滅。

尚、警察が犯罪組織壊滅のために組織幹部の寺沢莉央と協力関係にあったことは公には伏せられている。


          *


12月12日(Sat)


 貴嶋佑聖の逮捕と寺沢莉央の死から一夜明けた12日午後5時、早河は警視庁を訪れた。古巣の捜査一課のフロアに久々に足を踏み入れる。

相変わらず雑然とした机の並びと忙しなく動き回る刑事達の光景が懐かしい。


「なぎさちゃんはどうしていますか?」


小山真紀が早河にコーヒーを淹れたカップを渡した。彼女は阿部の命で警視庁と警察庁の橋渡し役として昨夜から奔走している。

徹夜には慣れている真紀もさすがに疲れた表情をしていた。


『実家に帰ってる。俺は側にいてやれないし、お父さんやお母さんと一緒にいる方がなぎさも気が紛れるだろう』

「そうですよね。寺沢莉央があんなことになって一番辛いのはなぎさちゃんですから。……早河さんに見せたかったものはこれです」


 真紀のデスクには栄養ドリンクの空き瓶や食べ終えた栄養補助食品の袋が散乱していた。真紀はそれらをデスクの下のゴミ箱にまとめて放り込んで、束になった書類のページをめくって早河に渡す。


「美月ちゃんの携帯電話からは美月ちゃん以外の指紋は検出されませんでした」

『貴嶋の指紋も?』


美月は9日に渋谷駅前で連れ去られる時に貴嶋に携帯電話を取り上げられた。しかるべき部分に貴嶋の指紋がついているはずの携帯に持ち主以外の指紋がないのは奇妙だ。


「貴嶋の指紋もありません。携帯の表面、画面、背面、ボタン部分、どこを調べても美月ちゃんの指紋しかなかったんです。他の指紋は綺麗に拭き取られていました」

『浅丘美月のバッグに携帯を戻した誰かさんの指紋もないってことか』

「その誰かが指紋を拭き取ったと考えて間違いないかと」


真紀はさらに書類をめくる。めくったページには映像から読み込んだ顔写真が載っていた。


「赤坂ロイヤルホテルのカメラ映像を調べて見つけました。スパイダーを逮捕した時、私達がラウンジの手前ですれ違ったのはこの男ですよね?」


 早河は顔写真のページを凝視する。紙の上での写真は解像度が低く画質も悪いが顔立ちを判別するには充分だった。

長めの髪に眼鏡、切れ長の目に高い鼻梁。赤坂ロイヤルホテルのラウンジから出てきた長身にスーツを纏った男と類似する。


『間違いない。こいつだ。身元は?』

「それが……この男、明鏡大学で教師をしていたようです。美月ちゃんが証言してくれました」

『教師? 明鏡大で?』

「10月から美月ちゃんが受けていた授業を担当する非常勤講師として明鏡大に勤務していました。それだけじゃなくこの男の名前が……」

『名前がどうした?』


口ごもる真紀を促す。真紀はまた書類をめくり、とあるページを早河に向けた。


「男の名前は三浦英司」

『おい、その名前は……』


真紀が早河に見せたページは美月から聞き出した三浦英司についての調書だ。


「明鏡大に問い合わせましたが、10月から3ヶ月の契約で三浦英司を非常勤講師として勤務させていました。三浦の担当する授業は総合文化学部2年生が選択科目にしているギリシャ神話と人間心理学。この授業は元々は総合文化学部教授の小林教授が毎年受け持っていたようですが、今年は小林教授がヨーロッパに長期出張のため、小林教授の紹介で三浦が代理を務めることになったそうです」


 早河は調書を読んで黙り込む。

三浦英司、その名を持つ者がもうひとりいる。カオスのファントム、黒崎来人の自殺した同級生の名前も三浦英司だ。これは偶然?


『浅丘美月の大学に現れた黒崎来人の同級生と同じ名前の教師……偶然にしては出来すぎだ。そのヨーロッパ出張に行ってる教授とは連絡ついたのか?』


余りの栄養補助食品の封を開けた真紀はかぶりを振る。今日もまともな夕食は食べられそうもない。


「小林教授がヨーロッパの研究チームに招かれて9月に羽田からアムステルダム行きの便で出国したことはわかっていますが、どこの研究機関なのか、小林教授の秘書や家族も詳しく把握していなかったんです。教授はトップシークレットだと言って詳細を誰にも告げずにひとりでヨーロッパに行ったと」

『教授のヨーロッパ出張の話自体にも裏がありそうだな。最悪のケースを考えればヨーロッパのどこかで邦人男性の身元不明の遺体が発見されるかもしれない』

「その線も踏まえてアムステルダムがあるオランダと、ヨーロッパ主要国の大使館には連絡済みです。あちらで何かあれば阿部警視に連絡が入ると思います」


 小林教授のヨーロッパ出張も三浦を潜り込ませる目的で貴嶋が手を回したのなら小林もカオスの人間か、あるいは単に利用されただけか。後者なら小林教授はすでにこの世にいないかもしれない。


『黒崎来人を殺したのはこいつかもな。三浦英司……何者なんだ』

「赤坂ロイヤルホテルには複数のカオス幹部や関係者が宿泊していました。美月ちゃんが軟禁されていた部屋は3003号室、同じ階の3001号室に貴嶋と寺沢莉央、二十七階の2701号室にスコーピオンの田村、2703号室にスパイダーの山内、2704号室にファントムの黒崎、それぞれの指紋や毛髪が検出できました。宿泊者が不明な部屋は2702号室です」


 真紀のデスクのパソコンには12月8日から11日までの赤坂ロイヤルホテルに宿泊した人間の名前が一覧で表示してある。


「2702号室はシングルルームですが、この部屋も12月8日から11日まで貴嶋が借りていました。カオスの関係者の誰かが泊まっていた部屋なのは間違いありません。部屋に残されていた指紋や毛髪から採取できたDNAと一致する人間は逮捕者の中にはいませんでした」

『前科者リストとも照らし合わせたか?』

「はい。でも前科者でヒットした人間もいません。美月ちゃんがいた3003号室からは2702号室の宿泊者と同じ指紋と毛髪が採取できましたので、おそらく美月ちゃんの世話役となっていた三浦英司のものだと思います」


真紀がマウスをクリックして指紋のデータを表示する。断定はできないがこの指紋が三浦英司と名乗る男の指紋だ。


『……待てよ? 佐藤瞬は試したか? 3年前に静岡で採取した佐藤のDNAデータはまだ残っているだろ?』

「だけど佐藤瞬は……」

『いいから。やってみろ』


 早河に促された真紀は前科者リストから佐藤瞬のDNAデータを呼び出した。


「……照合しますよ?」

『ああ』


前科者リストの佐藤瞬のデータと2702号室と3003号室から採取したDNAデータの照合を開始する。一致すれば2702号室の宿泊者は佐藤瞬と言うことになるが結果は不一致だった。

二人は大きな溜息をつく。身を乗り出してパソコン画面に食い入っていた早河は座っていた椅子の背にもたれた。


『そんなに都合良くはいかないか』

「そうですよ。佐藤瞬が生きていて別人に成り済ましていたなんて。そんなことがあれば美月ちゃんにはあまりにも酷すぎる」


 早河はコーヒーを飲み、真紀も栄養補助食品の食べかけのクッキーをコーヒーで流し込む。もしも佐藤瞬が生きているとなれば事は重大。緊張で動悸が速くなっていた。


『だよな。海に落ちた佐藤の遺体はまだ発見されていない。まさかとは思ったがそんなこと、ない方がいいよな』

「第一、三浦と佐藤は顔が違います。整形した可能性もゼロではないでしょうけど」


浮上した佐藤と三浦の同一説は消えたものの、依然として三浦の素性は謎に包まれている。三浦英司のDNAデータは残っていても誰のものとも一致しない。まるで幽霊だ。


『早河、貴嶋の取り調べが始まる。来るか?』


 フロアに顔を覗かせた上野警部に向けて早河は頷いた。早河が警視庁に来た目的は貴嶋の取り調べに立ち会うためだ。


 早河が上野と連れ立って取調室に行ってしまうと真紀はネットの検索画面に三浦英司の名を打ち込んだ。

矢野の調べでは黒崎来人の同級生の三浦英司は高校生ながら劇団に所属し、芸能活動を行っていた。


「やっぱり15年前の、しかも未成年の自殺だから大きく報道はされていないな……」


事件の関連記事はいくつか発見できたがどれも扱いは小さい。15年前の1994年5月に都内の私立高校で男子高校生が首吊り自殺、死亡した高校生は劇団に所属していた、情報としてはこれだけだ。


 関連記事の一覧から〈三浦英司くん応援サイト〉の見出しをクリックする。三浦英司のファンが作ったファンサイトだ。

インターネットが普及し始めた頃に作られたサイトは作りもどこか古めかしい。最終更新は94年6月、三浦が死亡した翌月で止まっている。

このサイトはネットの海を15年間ずっと、削除されることなく亡霊のように浮遊していた。


 モデルや俳優として活動していた三浦の顔写真が載っている。真紀は赤坂ロイヤルホテルですれ違った例の男の顔写真と照らし合わせた。


(これが三浦英司? どういうこと?)


赤坂ロイヤルホテルにいた三浦英司と15年前に自殺した三浦英司の顔は似ていると表現するには事足りない。


「三浦英司が生きていた? いや、それはない。自殺として処理されているし……整形? でも何のために三浦英司に……」


三浦英司の名を持つ二人の男の顔は瓜二つだった。

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