第147話 私たちに翼はない
「……」
起床。自然と目が覚める。時計を見ると、時刻は午前5時。この時間に起床するのは習慣であり、それがたとえどのような状況にあっても基本的にはその時間に起きる。
それこそ、たとえ大切な人が亡くなったとしても習慣というものに変化などはない。
「……よし」
シェリーはスッとベッドから起き上がるとそのまま準備を始める。まずは軽くストレッチをして、体をほぐす。そのあとは紺青の銀縁取りの軍服に身を通して、軍靴を履いてそのままカツカツと音を鳴らしながら彼女は向かう。
その先は演習場である。
すでに季節は完全に冬に入った。
はぁ、と息を吐くと白くなり、空気中に可視化されるほどだ。この寒さの中、しかも早朝となれば気温も10度を優に下回ってくる。
だがそんなことで、シェリーが己に課す訓練を止めることはない。
「先生。今日も宜しくお願いします」
一礼。誰もいないその場所で、シェリーは恭しく礼をする。ここは元々ベル専用の場所であった。そのような決まりはないのだが、ベルがこの場をよく使い、ほかの対魔師が自然と譲った形になり専用の場所となったのが経緯だ。
ベルとシェリーはよくこの場所で鍛錬を行なった。
幾度となく剣戟を交わして、互いに高め合ってきた。
その中でシェリーにはある手応えがあった。それは自分はもしかしたら、師匠であるベルを越えることができるのではないか、というものだ。
でもそれは永遠に叶わない。なぜならば、ベルはもう……この世界にはいないのだから。
葬儀も終了し、今は数日後に行われるパレードに備えて休日となっているもシェリーは止まらない。
復讐を果たす。それはベルに誓ったシェリーの意志。燃え上がるそれは、決して消えることはない。
だからこその鍛錬。毎日のルーティーンをこなす。都合よく能力が覚醒するなど、そんなことに期待してはいけない。全ては毎日の自分の積み重ね。確かにシェリーは魔族の血を有しており、才能という観点では随一のものを持っていると言えるだろう。
だが能力とは戦闘に限らないが、才能、努力、環境の3つが適切に絡み合うことで決まる。
だからこそ彼女が慢心することない。怠ることはない。
全てはベルのために、そして人類のために。
シェリーはその確かな毎日を積み重ねていくのだ。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
荒い呼吸が彼女の口から漏れる。
魔剣、朧月夜。それはベルから受け取った遺品でもある。その性能は今のシェリーでは理解はできていなかった。ただの斬れ味のいい刀。それが今の印象である。
だがシェリーは感じ取っていた。この魔剣には、何かがある。そしてきっとベルが残した何かが……あるのだと。そう信じてシェリーは今日も早朝の鍛錬を終えるのだった。
「ありがとうございました」
もう一度、礼。
恭しくその所作を行い、そのままシェリーは去っていく。ベルがいなくてもきっといつかは、それが当然になってしまう日々がやってくる。
でも今は……まだベルの居ない寂しさが、シェリーの内面には残っていた。
◇
「あら? シェリーさんですか?」
「リアーヌ様。ご無沙汰しております」
ぺこりと頭をさげるシェリー。基地内で偶然バッタリと出会う二人。
現在はリアーヌは王城ではなく、第一結界都市の宿舎で暮らしている。
曰く、王族だからといってその境遇に甘んじたくはないとのことだ。
もちろん彼女以外の王族は王城で暮らしており、そんなリアーヌのことを冷めた目で見ている。それは彼女自身も知ることだが、それでよかった。
ベルの歩んできた道を、その足跡をこれからも灼きつけるためにも、リアーヌは自分自身でそう選択をしたのだから。
「もしかしてお昼に行くんですか?」
「はい。そうですけど……」
「なら、一緒にいかがですか」
「……え? 私と、ですか?」
「はい。シェリーさんとが、いいんです」
「……わかりました」
二人はベルと仲が良かった。いやその表現は正しくはない。
かたや、肉親以上の絆で結ばれ、かたや師弟関係にあったのだ。
共通するのは二人にとって、ベルは大切な人だったということだ。
その一方で、リアーヌとシェリーは交流がまだ希薄だ。共通の知人であるユリアやエイラはいるものの、二人でまともに話す機会などなかった。
もちろんシェリーは承諾するも、どこか不安だった。それはどうしてもベルのことが脳内に過ぎるからだ。それはリアーヌも同じだが、彼女の方はシェリーに歩み寄ろうとした。ならばそれを拒否することもない。
そうして二人は、基地内の食堂ではなく街へと昼食を取りに歩みを進めるのだった。
「リアーヌ様、お昼はどちらに行かれるんですか?」
「美味しいカレー屋さんがあるの。路地裏にある小さなお店だけど、きっとシェリーさんも気に入ってくれると思うわ」
「……カレーですか。ユリアが好きそうなところですね」
「ユリアさんはカレーが好きなのですか?」
「はい。食堂ではいっつもカレーばっかり食べてますよ。本人が言うには完全食だとかどうとか」
「ははは、ユリアさんってどこか変わってますもんね」
「それは同感です。本人に自覚はないですけどね」
意外と話が合うのか、雑談に花を咲かせながらリアーヌがオススメするカレー屋に到着。8つしかないカウンター席に座ると、注文をする。そうして再び話をしていると、二人の女性組がやってくる。
それはエイラと女装したユリアだったのだが、そこから4人で色々と話が盛り上がるものの……再び別れることになる。エイラとシェリーはカレーを食べ、先に食事を済ませたシェリーとリアーヌはその場から去って行く。
「シェリーさん。寄りたいところがあるんですけど、お時間は?」
「今日は特にありませんので、大丈夫です」
「では行きましょうか」
「どちらに?」
「展望台です」
「あぁ、あそこですか」
二人は再び歩みを進める。そこから先はさっきのユリアの女装の話で持ちきりだった。いつか自分もエイラのようにプロデュースをしたいものだと、リアーヌは興奮しながら話をしていると……到着。
この街を見渡せるその場所に二人はやってきた。
「……」
「……」
暫しの静寂。それは気まずいものではなく、リアーヌが何かを言いたそうにしているも、まだ迷っているような……そんな間である。
シェリーはそれを待っていると、リアーヌが覚悟を持って口を開く。
「ベルのことですが……」
「はい」
「シェリーさん。あなたはベルの後を継ぐのですよね?」
「はい。私が先生の正式な後継者です」
「そうですか……正直言うと、私はあなたが羨ましい。嫉妬とはまた違うかもしれないけれど、シェリーさんはベルと同じ場所に、同じ目線で立つことができる。ベルが感じて、ベルが知った全てを、きっとあなたもこれから知っていくのでしょう。そうしてベルと同様に、美しい
「……リアーヌ様」
「リアーヌ、で結構です。同い年だし、王族だけど特別扱いしなくていい。私もシェリーって呼んでいいかしら?」
「はい……いや、うん。リアーヌがそう言うなら」
「ねぇ、シェリー。あなたはベルの仇を討ってくれるの?」
「もちろん。私があの魔人を殺すわ」
「そっか……私にはできないことね……本当のことなら、この心の奥底に眠る悲しみと怒りと憎しみを、私もこの手で果たしたい。ベルを殺した魔人を、この手で殺してやりたい。でもそれは無理だとわかっているの。私には魔人と戦えるほどの力はないから。だからこれを……」
「これは?」
「私がベルに渡したペンダント。受け取ってくれる?」
「……わかったわ」
そうしてリアーヌはシェリーの背後に回ると、少しだけ背伸びをして彼女の首にそのペンダントをつける。それこそ、以前ベルにやった時と同じように。
そうしてリアーヌもまた、自分の首元にかけているそれを見せるようにして微笑みかける。
「私たちは同じ人を愛した人間。同じ悲しみを知り、同じ怒りを知り、同じ憎しみを抱いている。だから私は貴女に託す。ベルの復讐を果たして。私のためにも、そしてベルのためにも」
「……絶対に成し遂げるわ。リアーヌのために、そして先生のためにも」
「うん。よろしくね、シェリー」
「任せて、リアーヌ」
手を差し出したのは、ほぼ同時。そうして自然と握手が交わされる。
ベルはもういない。でも、彼女が遺したものは確かに引き継がれている。
二人の少女の中に、永遠に――。
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