第90話 ささやかな日常



 あれからさらに詳細が語られることになり、来週より本格的に攻略作戦が開始することになった。今までの歴史の中で、特級対魔師が一つに集まることなどなかった。多くても一つの都市に3人程度だったが、今回は全てのメンバーを特級対魔師で構成して最前線で戦う。また、特級対魔師に近い一級対魔師の人間たちも召集されているらしい。これだけでも今回の作戦がかなり本気度の高いものなのだとわかる。



 今まではただ結界都市を守るために戦ってきた。もちろんそれもとても重要なことなのだが、言うならばそれは旧態依然としたモノと化していた。形骸化とまでは言わないが、それでも僕たちは今の環境のままでいい……心のどこかでそう思っていたのかもしれない。



 だからこそ、リアーヌ王女は……さらには軍の上層部は今回の作戦を実行することに決めたのかもしれない。



 もう、立ち止まっている時ではないと人類に示すために。




「ユリア、ちょっといい?」

「先輩。何か用事ですか?」



 あれから会議室を出て、街に一人で食事でも取ろうかと思っていた矢先にエイラ先輩が話しかけてくる。ちなみにシェリーはベルさんに連れられて何処かへ行ってしまった。おそらく、特級対魔師になったからこそ色々と説明なり、特訓なりをするのだろう。



「その髪、もう少し整えたら?」

「あ……それもそうですね」



 僕は自分でその長髪を切った。それは過去との決別のつもりだったが、あまり見た目は気にしていないので切りっぱなしになっていた。切断面がはっきりと見えて、いかにも素人が自分でやったという感じが出ていた。



 確かに先輩の言う通り、これはプロの元に行ったほうがいいのかもしれない……そう思っていると先輩は予想もしない提案をしてくる。



「私が整えてあげるわよ」

「え、いいんですか?」

「実は私の髪は定期的に自分で切ってるから。任せてちょうだい」

「じゃあ……お願いします」



 ぺこりと頭をさげる。今日はこれから予定も特にないし、別にいいだろう。食事は後回しにしよう。今はそれほど空腹感は感じていないし。



 そうして僕は先輩の後についていくのだった。




 ◇




「……お邪魔します」

「そこに椅子置いておくから、座っておいて」

「分かりました」



 軍の宿舎。そこは仮に与えられている部屋だが、少しだけ生活感が出ていた。おそらく前に誰かが使っていたのだろう。



「はい。これ被って」



 エイラ先輩が大きめのビニールに穴を開けて頭を通すように促してくる。僕はそれに従うと、それを被ってそのまま椅子に座る。先輩の方は、ハサミを持ってきてチョキチョキと音を鳴らしていた。



「下に紙を敷いてっと。よし、じゃあ切るわね」

「よろしくおねがいします」

「髪型は別にリクエストとかないわよね?」

「まぁ……ブツ切りになっているので、自然な感じに整えていただければ」

「りょうか〜い。はーい、じゃあ切りますよ〜」



 なぜか口調が少し変だが、指摘するほどでもないだろう。そうして先輩は僕の髪にハサミを入れる。


 パサっと下に落ちる髪を見ると、なんだが新鮮な感じがした。思えばこうして人に髪を切ってもらうのはいつぶりだろうか。



「ユリア、綺麗で長い髪だったのにどうして切ったの? それも自分で」

「過去との決別、ですかね?」

「どうして疑問系なのよ」

「ははは、衝動的にやったことなので」

「ふーん。失恋ってわけじゃないんだ」

「え?」

「ほら言うじゃない。失恋したら、髪をバッサリと切るって」

「まぁそれもそう……ですね」

「でしょ? まぁでも、そんなことだろうとは思ったけどね」

「……はい」



 静寂。突然その手の話題になって、僕は黙り込んでしまう。数日前の先輩からのキス。あれはそう言う意味で捉えていいのだろうか。それともただ単に、親愛の証としてしたものなのか。今の僕にはまだ、その答えを聞けるほどの勇気は備わっていなかった。



「よし、いい感じかも。あとは量感を調整するわね」

「量感ですか?」

「そうそう。今は普通のハサミだったけど、今からはすきバサミで量だけをとっていく感じね」

「……先輩はプロなんですか?」

「そんな大したもんじゃないわよ。ただ自分で切ることが多かったから」



 そう言うと先輩はすきバサミを取り出して、それを先ほどのように僕の髪の毛に入れていく。シャキ、シャキ、と一定のリズムでハサミから音が鳴る。下をチラッと見ると、だいぶ髪が溜まっていた。



「ちょっと、下向かないで」

「すいません、ちょっと気になったので」

「……ユリアは長髪も良かったけど、短髪も似合うわね」

「そうですか?」

「えぇ。きっとこれからもっとモテるんじゃない? 中性的な顔してるけど、今は短髪になって男らしさも出てきたし。知ってる? 軍の中にはあなたのファンクラブがあるのよ?」

「え? 何ですか、それ……」

「ユリアに限らないけど、特級対魔師にはまぁ……ファンみたいなものがいてね。その中でもユリアは年上の女性に人気らしいわよ。可愛いって有名よ」

「……可愛いですか。女性の可愛いはあてにならないと聞きますが……」

「ふふ、そうね。確かにみんな何でも可愛いって言うもの。私がこれって可愛いのって聞くと、みんな可愛いって言うし。よくわからないけど……ユリアが可愛いって言うのはちょっとわかるかも」

「先輩まで、そんなぁ……」

「ほら、そう言うとこよ。でもこれからは可愛さよりも男らしさが目立つかもね」

「はは、そうだといいんですけどね」



 その後、僕たちは適当に雑談をした。先輩との会話はとても楽しく、時間を忘れてしまうほどだった。



「どう、ユリア?」

「見違えました。とても上手ですね」

「ふふん、そうでしょ?」



 手鏡で自分の髪の毛を確認すると、そこにはそれなりのヘアスタイルをした僕がいた。ブツ切りではなく、自然な感じに仕上がっており正直ここまでとは思ってなかった。



「じゃあこれは貸し一つね!」

「えぇ!? 聞いてませんよ!?」

「いいじゃない。別に無茶な要求はしないから。いつか返してもらうわ」

「……それは卑怯ですよ」

「もうやっちゃったもんねー。返却はできないわよ?」

「まぁ切られたものを再生するのは不可能ですけど……」

「と言うことで、よろしくー」

「はいはい……」

「にしし!」



 にっこりと微笑む先輩。あぁ……僕はこんな日常がいつもあればいいな、そう思った。でもだからこそ、僕は……僕たちは、こんなささやかな日常のためにこれからも戦い続けるのだろう。


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