第85話 追憶 11



 計画は成功すると思えた。ユリア、そしてエイラがこの会議室から出て行くまでは。クローディアの結界は完璧だった。しかしそれは、彼女の見積もりの上では……という意味でだ。



 実際のところ、ユリアとエイラはその結界をすり抜けていき……そのまま地獄の戦場と化した都市に繰り出していった。特級対魔師だけでなく、主力の一級対魔師、女王も抑えてあるというのに……そう思うも、状況はすでに動いている。もう止めることなどできなかった。




 そしてユリアが古代蜘蛛エンシェントスパイダーを撃退したことによって、彼女たちの計画は一旦立ち止まる事となる。それでも、そんなことで諦めはしない。多くの人間の死によって、魔素だけは十分に集まった。後は、セフィロトツリーを開くための媒体となる4人を揃えるだけ。まだ機会は十分にある。失敗ではない。そうなのだが、クローディアは未だに大きな爪痕の残る街並みを見て、一人で呆然としていた。




「……」



 王城の最上階にあるテラスから、蹂躙された街を見る。そこには燃え尽きた建物、そして大量の血液で染まっている地獄とも呼べる場所が生まれていた。まだ鎮火してから数時間しか経過していないその場所は、確かな爪痕を残していた。



「クローディア、ここにいたのか」

「……サイラス」



 その場にやってきたのはサイラスだった。彼女は彼がやってきたのを確認すると、その場に結界を張る。それは音声を遮断するために作り出したものである。



「どうした、後悔でもしているのか?」

「……そんなわけないでしょ」

「そうか。本題だが、例の個体……死んだようだった。彼に殺されていた」

「回収は?」

「残骸のみだ。しかし分かったのは、やはり人間は完全な意味で魔族になれない。限りなく近づくことはできるも、あの4人の代わりになる素体は作れそうにないな」

「そう……」



 彼らが言及しているのはダンのことだ。人間を魔族にする計画。それはユリアたち以外の媒体を作れないか、というバックアップ計画であったが……やはり仮説の通り、人間は魔族にはなれない。黄昏症候群トワイライトシンドロームに何かを見出そうとしていたが、やはりそれは病でしかなかった。その事実がわかっただけでも、僥倖。あとはあの4人を集めるタイミングを考えて、行動を起こせばいい。そう話をしていたが、クローディアは上の空だった。サイラスとしっかりと話をしていたし、その内容も覚えている。



 だが、彼女の心を支配していたのは虚無だった。



 逸る心抑えて、ここまでやってきた。そしていざ実行され、さらには次の目処が立ったというのに……彼女は何も感じていなかった。




「私はどうしたいのかしら……」



 自問自答。すでにサイラスはいない。彼が去ってからも、クローディアは街並みを見つめ、その次に黄昏を見つめていた。この空を覆う、赤黒い光。それは依然として世界を照らし続ける。



 これだけのことが人類に起きようとも、黄昏だけは変わらない。それはまるで人類の現状を嘲笑っているかのようにも思えるが、彼女は純粋に疑問だった。



 自分の行いの果てにあるのは、何のだろうか……と。



「ねぇ、私はどうしたいの?」



 自分の顔に手を添える。そして考える。いざ考えると、自分は黄昏の先にある青空を見ることが目的だった。この世界の真理を知りたい。それは根源的な欲求。だが、この世界の真理を知り、青空を見るという目的を果たした先には……一体何があるのだろうか。いや、きっと何もないのだろう。そんな期待などしても無意味だと悟る。そもそも、人間と魔族。それだけではない。この世界に生きる生物に大した意味などない。生きているのは遺伝子にそうさせられているだけ。本能が、生存と種の保存を促しているだけでしかない。だからこそ、彼女は自分の生きる意味を自分で定義づけてここまで進んできた。



 でもいざ、その目的に近づくとなると……分からなくなる。自分は一体これから先……どうしたらいいのだろうか、と。




「多くの犠牲を目の前にして、怖気づいたの?」



 そう問いかけるのは幼い頃の自分自身だった。クローディアは自分の問いに答える。



「そんなわけない。私は、私のやりたいことをなすだけ」

「それなら、どうしてこんなところでずっと立ち止まっているの?」

「それは……」

「ねぇ、後悔しているんじゃないの。多くの人間をこれだけ殺したことに、罪悪感を覚えているんじゃないの」

「そんなわけ、ないわ」



 問いかけてくる自分は幼い頃の彼女だった。それは幻影。幻覚の類でしかない。それでも彼女はそれが本物に見えて仕方がなかった。自分の深層心理がこれを作り出しているのかと思うも、今は……ただ自分の心を暴きたかった。



「じゃあどうして、立ち止まっているの。クローディア、あなたは進むと決めたんでしょう? どれだけ大きな犠牲を払っても。博士を殺した時に誓ったんじゃないの? ねぇ……」

「博士、懐かしいわね」



 そう言われて思い出す。彼の時折見せる憎悪は本物だった。本当に魔族を殺しつくすという想いがあった。だがそれと同時に、彼女を本当に愛していたのも事実。クローディアはそんな彼を何の躊躇いもなく殺した。こうして今の今まで忘れていた存在。彼女にとってはどうでもいい。そこらへんにいる有象無象と変わりはない。そう……思っていた。



「行くわ。私は、絶対に成し遂げる」

「頑張ってね、私」



 幼い自分に別れを告げる。自分の心に芽生えた感情は、考えないことにした。

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