第64話 Sherry's perspective



 焦燥。戸惑い。葛藤。



 シェリーは、それらにずっと支配されて来た。思えば、どうして強い対魔師に成ろうとしてきたのか。その原点に立ち返るとやはり、自分の父親が黄昏で戦って死んでいったということに尽きる。父とは仲が良かった。母もそうだが、何よりも父はシェリーに愛情を注いでくれた。



「シェリー、いい子にしてるんだぞ?」

「うんっ! 私、待ってるからね。パパも早く帰って来てね?」

「もちろんだ」



 幾度となく交わしたやり取り。この日もまた、父は夜には帰ってくるだろう……そう幼いシェリーは考えていた。





「……」



 雨。それもただひたすらに降り止まぬ雨。シェリーは喪服に身を包み、小さな傘をさしている。隣には母親がいて、泣き崩れている。他の親族も同様だった。皆が涙を流している。だというのに、シェリーはただ無表情に父の墓標を見つめるだけだった。雨に打ち付けられるそれは、父もまた泣いているようにも見えた。


 慟哭どうこく。皆がいている。しかし、シェリーだけはその中でもただこの現実を受け止めきれていなかった。だから涙が出ないのだと……そう周りの大人は思っていた。



(どうして? どうして、パパは死んじゃったの?)



 否。シェリーはしっかりと父の死を認識していた。だが、彼女の心を支配していたのは悲しみだけでは無い。それは純粋な疑問だった。この黄昏の世界でどうして人は戦い、死んでいくのか。知識としては教えられていた。数百年前の人魔対戦で敗北し、この世界は黄昏に支配されたのだと。でも、そんなことは結界都市の内部いるシェリーにはピンと来ていなかった。ただ、毎日が楽しければいい。この楽しい毎日をいつまでも享受していたい。それだけが、彼女のささやかな願いだった。外の世界を知らず、結界都市で生きてきた彼女にはその居場所だけが生きる全てだったのだ。



「……シェリー、あなたはいなくならないでね」



 泣きながら、母に抱きしめられる。いなくなる? そうだ……もう、父はいないのだ。シェリーはそれを改めて実感すると、やっと涙が溢れてきた。あの優しい父にはもう会えない。会うことはできない。それに、戻って来たのは父の左腕だけだった。もっとも、その事実をシェリーが知ることはないのだが。



 シェリーの父は、一級対魔師の中でもかなりの手練れだった。そのため、今回の任務ではレベル4まで行っていた。だが、そこで出会ったのが魔人だったのだ。上位魔族との戦闘は特級対魔師レベルにならないと話にならない。そして、彼は仲間を逃がすために一人で戦い抜き……死んでいった。



 そんな父の最期の話を聞いて、シェリーは何を思ったのか……絶望に打ち拉がれるのか、それとも……そして彼女がとった行動は同じ対魔師なるということだった。






「パパ……」



 そっと写真をなぞる。あれから十年近くが経過した。シェリーはただ我武者羅に進んできた。彼女の母もまた、そんな彼女を支えるために対魔学院を組織する側に回った。最初は反対していた。娘もまた、死んでしまうのかもしれない……そんな状況に追いやるわけにはいかない。そう思っていたが、母はシェリーの進む道を最後まで否定できなかった。ただ気丈に振る舞う娘を見て、サポートする側に回ろうと決心したのだ。そして……シェリーは才能があったのか異例のわずか15歳で一級対魔師になった。



 父のために戦う……そんな気概があった訳ではなかった。この世界に強い憎しみを覚えている訳でもなかった。ただ、父が見ていた世界に自分も行ってみたい……最初はそんな動機だったかもしれない。それからシェリーはユリアに出会った。




「ねぇ、ユリアはどうして戦うの?」

「……僕はただ、誰かのために力になりたい。この世界で悲しむ人を少しでも減らしたい、って綺麗事だけどね。はは……」



 ユリアが語る言葉はただ眩しいものだった。自分には無い強みを持っている。彼のその強さだけでなく、心にも惹かれた。でもそれはきっと、恋愛としての意味合いだけではなかった。ユリアはシェリーが夢見た自分の姿だったのだ。偉大な父の姿を追ってシェリーは前に進んできた。いつか自分も、自分も……父のような対魔師に……そんな漠然とした想いで暗闇の中を進んでいた。そんな時に現れたのがユリアだった。シェリーはずっと、何者かになりたかった。ずっと抱いている焦燥感。それは自分は一体誰なのか、そして自分はどうすれば、父やユリアのような人間になれるのか。



 あの襲撃を経て、さらに迷った。自分はまだ弱い。もっと、もっと強くなる必要がある。そうしなければ、父にはなれない。ユリアにはなれない。だが……ユリアに諭される。人は誰かにはなれないのだと……。



(じゃあ、私は一体誰なの? 私は……)



 だが、彼女は知る。自分が何者で、そして何を為すべき人間なのかを。




 ◇




「……」

「……」



 向き合うは特級対魔師、序列一位。ジリジリと間合いを測る。サイラスの武器はワイヤーだ。ワイヤー使いと戦闘をしたことはないが、それでも刀の射程に入れば勝てる……超至近距離クロスレンジならば……そう思い込んでいた。


 だが、シェリーは自分の認識を改める。


 隙がない。何も見えない。ただ立っているだけだ。一見すれば、隙だらけにも見える……しかし本能が警鐘を鳴らしている。迂闊に飛び込めば……やられる、と。



「おや? 来ないのかい?」

「……」



 誘っているのか? 両手を広げて、悠然とした態度でそう言ってくるサイラス。もちろん、それに乗るシェリーではない。改めて距離を測る。今するべきことは、如何にサイラスと戦うべきか……ということだ。他のことは些事に過ぎない。



「シッ!!」



 瞬間、シェリーは大地を蹴り駆け出していた。まだ抜刀はしていない。納刀したままの状態で、サイラスへと向かっていく。そして……一閃。シェリーは自身の持ちうる最速の剣撃を発動した。



「な……ッ!!?」



 だが、それは見えないワイヤーによって受け止められていた。どういうカラクリかは理解できないが、シェリーの刀はサイラスのワイヤーを切り裂くことはできない。しかし全てが切断不可というわけでもない。できるものと、できないものその二つに分かれていた。



「……ふぅ、やるね。けど……」



 シェリーは知覚した。確実に、自分目掛けてワイヤーが射出されているのだと。ここは出し惜しみをしている場合ではない。そう考え、シェリーは最近獲得した特異能力エクストラを発動。



「――絶対領域フォルティステリトリー



 それは感覚系の特異能力エクストラ。ユリアの持つ神域サンクチュアリにも似ているが知覚できる範囲はそれよりも狭い。視覚ではなく、五感すべてをフルに使用して、半径一メートル以内の全てを自分の支配下に置く。


 シェリーはそのまま放たれているワイヤーを知覚すると、全てを躱す。今の彼女にはどの順序で行動をすれば、攻撃を躱せるのかしっかりと意識できていた。いや……厳密にいえば、それは意識しての行動ではなかった。本能。彼女を動かしているのはそれだった。すでに常人の域は超えている。その才能は、特級対魔師の領域に入り込んでいる……だが、それはただの才能……という訳でもなかった。



「見事……やはり、成功体はこうも違うか……」

「……?」



 それは独り言だった。しかし今回は、シェリーの耳はその言葉を聞き逃すことはなかった。



(……成功体? 一体どういう意味?)



 そう考えても、今は仕方がない。その問いの答えなど確認しようがないのだから。彼女は一旦、息を吐いて落ち着くと……再びサイラスに向き合う。



「いやはや、シェリー・エイミス。感嘆すべきその技量。ただただ、感服するばかりだ。特級対魔師でも、近接戦闘でここまでやれるのは数える程だ……しかし、良くない。あぁ、とても良くない。ということで、少しばかり本気で行かせてもらう……死なないでくれよ?」



 よく話す人だ……シェリーはそう思ったが、それと同時に空気の質が変わったことを感じ取る。そして彼女もまた、自身の持ち得る最強の切り札を発動する。



「――六花りっか



 戦闘はさらに、激化していく――。




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