第37話 星空の下で




「ん……う……」



 真夜中。僕は今日は妙に寝つきが悪く、目が覚めてしまう。時計を見ると、時刻は2時過ぎ。とても中途半端な時間に起きてしまった。だが、なぜか妙に目が冴えている。どうしたものかと思うが……なんとなく、僕は気分的に外に行くことにした。



「……」



 夜空を見上げると、そこには星々が輝いていた。黄昏に支配された世界で唯一変わることのない煌く星。思えば、黄昏にいた2年間もこうして夜空を幾度となく見上げていた。そんな過去に耽っていると、見慣れた人がそこにいた。



「……ソフィア?」

「……ユリア?」



 いつもはセミロングの髪を短めのポニーテールにしているが、今はそれをほどいているようで新鮮に思えた。でもいつもと違うのはそこだけじゃない。彼女の目からは、涙が零れ落ちていたのだ。



「……あ、あはははー。恥ずかしいところ見られちゃった」

「……何かあったの?」




 ぐしぐしと袖で涙を拭うソフィア。



 踏み込んでいいのか……彼女には前々から何かあると思っていた。僕を試したこともそうだし、あの襲撃で妙に怯えていると思いきや、魔物を嬉々として殺している姿も目にした。はっきり言って……ソフィアは情緒不安定だ。いつもは明るい少女。でも、魔物や黄昏のことになると妙にバランスが危うくなる。そんな彼女のことが心配だった。僕たちはまだ出会って日が浅い。それでも僕は……大切な友人だと思っている。



 だから、今日は少しだけ踏み込んでみることにした。



「……別に、何も……うっ、ううう……うう……」



 そのままソフィアは泣き続けた。僕はそれを隣で黙って見ていた。いや、厳密には僕は空を見ていた。女性の泣き顔をまじまじと見るものではない。だから、泣き止むまで僕はずっと隣で待っていた。



「落ち着いた?」

「うん……ありがとうユリア……」

「そっか……じゃあ、僕は行くよ」



 立ち上がる。話したくないことは誰にでもある。どれだけ親しくても、一生誰かに言うつもりのないことなどは誰にでもある。それは僕にだってあるし、ソフィアにだってある。だから、僕は立ち去ろう。人の心にそう簡単に踏み入っていいものではないのだから。



「……聞かないの?」

「どうして泣いているか?」

「……うん」

「聞いてもいいの?」

「ユリアになら……いいよ……」



 僕は再び隣に座ると、黙って彼女の話を聞くことにした。



「ねぇ、なんで私が初めてあった時からユリアに近づこうとしたか……わかる?」

「いや……」



 確かに、ソフィアの距離の詰め方は早かった。シェリーと違って、事前に会っていたわけではない。だというのに、ソフィアは僕に妙に馴れ馴れしいというか……ずっと見られていた気がした。僕が教室に入った瞬間、彼女の目が大きく見開いていたのも覚えている。



「ユリアはね、お兄ちゃんに似ているの……とっても、とっても似てる」

「お兄さんがいるの?」

「うん。とっても優しくて、頼りになって、カッコよくて、それで……とっても強かったお兄ちゃん。ユリアとは顔も似てるし、その優しい性格も似てる。だから……初めてあった時から、私はユリアがお兄ちゃんに見えて仕方がなかった。あの幼い時から見ていた……あの兄の姿に……」



 兄に似ている……まぁ言い分は理解できる。でも、それと彼女が僕を特級対魔師にしたかった理由は何か関係があるのだろうか。



「私はユリアのこと……元々知ってたの。黄昏から帰ってきて、シェリーとの試合を見てたから。その時ね、思ったの。お兄ちゃんが戻ってきたんだって。お兄ちゃんはずっと特級対魔師になるのが夢だった。だから……私はユリアをずっとお兄ちゃんと重ねてきた。いや……そう、思い込みたかった。兄が……帰ってきたんだと……思いたかったの……だから、ユリアが特級対魔師になれば……お兄ちゃんの夢も叶うと思った……それに、ユリアは強いから兄を奪った魔物をたくさん殺してくれる……特級対魔師になれば、もっと、もっと、あいつらを殺してくれるって……ははは、倒錯しているよね……でも、私はもうそう思うことでしか、自分を保てなかったの……」

「……」



 その言葉で理解した。ソフィアのお兄さんは、黄昏で行方不明になったのだ。毎年、黄昏で行方不明になる人間は多い。学生もそうだが、何よりも多いのは軍人だ。危険区域まで行って、戻ってこれないことなど珍しいことではない。僕もまた、行方不明になった一人なのだが……僕は戻ってきた。そのことに彼女は希望を見出したのだろう。兄に似ている同級生。それもかなりの強さを持っている。その姿を見て、兄を想起し、兄がそこにいるのだと思い込みたかった。



 黄昏に行った人間、または黄昏で大切な人が死んだ人が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になることは、珍しくはない。ソフィアもまた、その一人なのかもしれない……。



「でもね、ユリアはユリアだった。あの襲撃で、みんなのために戦って、血塗れになりながらも人類のために戦っているのは……お兄ちゃんじゃなかった。私ね、分かってるの。理性では分かってる。お兄ちゃんは、もう……死んでるって……ユリアが特別なんだって……知ってる……でもね、諦めきれない。だから私はいつかお兄ちゃんに出会うために……それに、お兄ちゃんを奪った魔族を、黄昏を無くすために……強くなりたいの。誰よりも、何よりも……ははは、こんなことってよくある話だよね……ごめんね、色々と愚痴ちゃって。いやー、私らしくないよね。あはははははは!!」



 よくある話か? と問われれば確かにそうだろうと答える。黄昏が生まれた世界で、魔族に支配された世界で、このような話はありふれている。大切な人がいなくなる。あの黄昏に奪われてしまう。よく聞く話だし、被害者も多い。それでも……僕には云うべき言葉があった。



「よくある話……そうかもしれないけど、その痛みは……当事者にしか分からない。ソフィアはずっと苦しんでいる……その痛みは本物だよ。よくある話で済ましていい問題じゃない。それに、ソフィアらしくないってことはないよ。確かにソフィアは明るくて活発な人間であるのは間違い無いけど、それが何かに対して悲しみを覚えることはない理由にはならない。人間は悲しければ、悲しい。楽しければ楽しい。その人らしさなんて、その時に応じて変わるんだ」

「ユリア……」



 励ましの言葉なんてわからない。自分でも言ったけど、その痛みは当事者にしか分からない。僕はソフィアじゃ無いし、お兄さんがいなくなった気持ちは分からない。それでも、彼女の悲しみを聞くことは……受け止めることはできる。だから僕は彼女の側にいた。



 僕はソフィアのお兄さんでは無い。代替品でも無い。それでも、僕は友人として彼女の側にいたいと思った。



「……ユリアって、本当に似てる……けど、やっぱりユリアはユリアだね」

「どういう意味?」



 次の瞬間、ソフィアは地面に寝そべる。そして大の字になって、この星空を見上げる。



「あー、この星空に比べたら私なんて……世界なんて……小さいよね」

「……」

「ずっと悩んできた。いつか戻ってくる兄を待ち続けようって。それは今でも変わらない。でも私もそろそろ、前に進む時かもしれないね……ユリアはお兄ちゃんじゃ無い。そして私は、私だ……」



 僕もソフィアと同じだった。ずっと停滞してきた。黄昏に行って、強くなって戻ってきたけど……ダンたちの件は心の奥底に眠ったままだった。今はもう、全てのしがらみを捨て、前に進んでいるけれども……そこに至るまで時間はかかった。



「決めたよ。私ね、もう少し頑張ってみる。お兄ちゃんが戻ってきた時に、立派な対魔師になれるように。そして……この黄昏を無くせるように……やれることは、全部やりたいと思う」

「……そうだね」



 結局、人間は自分の決めたことにしか従えない。他人がとやかく言おうと、最終的には本人の意志で進む必要があるのだ。



「……え?」



 刹那、僕の頰に生暖かい感覚が生じる。



「ふふ、お礼だよっ! じゃ、おやすみ!」



 僕は呆然としたまま、去っていくソフィアの姿を見つめると……再び空を見上げた。そこには依然として、星空が広がっていた。

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