新しい人生

 

 あれから一ヶ月が経った。


 妖精王国にある私の部屋、その隣の部屋にセラを寝かせている。


 セラはあれから目を覚ましていない。だが、手術は上手くいった。アビスの話では、今日か明日には目を覚ますらしい。目を覚ましたとき私がいないと色々と面倒な事になるだろうから、出来るだけ一緒にいてやろう。


 私も一週間前に目を覚ましたばかりだから、皆がまだ寝ていろと言ってくる。でも、私の事よりもセラの事だ。それにアイツに話をしてやる時が楽しみだ。どんな顔をするかな。


 ふと、窓の外へ視線を移すと、良く晴れた空が見えた。


 換気くらいしてやるべきだろう。多分、ヘレンが毎日やっているとは思うが、これくらいなら私がやっても問題ないはずだ。


 近づいて窓を開けると、心地いい風が入ってきた。それと一緒に外の喧騒も聞こえてくる。ソドゴラは相変わらず賑やかだ。あの頃の小さな村も良かったが、今のこの状態も悪くはないな。


 長い時間、外を眺めていたら、シーツが擦れるような音がした。


「……ここは……?」


 さらにセラの声が聞こえた。振り返ってベッドを見ると、セラが仰向けのまま、ぼーっとした感じで天井を見ている。


「セラ、ようやく目を覚ましたか」


 セラはゆっくりとした動きで私の方を見た。


「フェ、ル……?」


「ああ、そうだ。喉は乾いてないか? いま、水を入れてやろう」


 小さなテーブルに置いてあるピッチャーの水をコップに入れる。


 よく考えたら眠ったままじゃ飲めないな。上半身くらい起こせるだろうか。


「おい、セラ、起きられる――」


 言いかけて止めた。セラはベッドの上で上半身を起こして、私を悲しそうに見つめていたからだ。なんとなく言いたいことは分かる。


「フェル……どうして……どうして私を殺してくれなかったの……?」


「なんで私がお前の言う事を聞かなきゃならないんだ?」


「言ってくれたじゃない。次に目を覚ました時は新しい人生が始まっているって……その言葉を信じて眠ったのに……!」


 セラは涙を流した。だが、それをすぐに拭って、大きく息を吐いた。


「……そうよね、フェルはそんなことをしない。あの時も、ほんの少しだけ、そう思ってたわ」


「勝手に納得しているところ悪いけどな。私は嘘なんてついてないぞ」


 セラは不思議そうな顔をして首を傾げた。


「なんの、話?」


「目を覚ました時に新しい人生が始まっているって話だ。まず、お前に言っておくことがある。セラが目を覚ましたらずっと言いたいと思ってた」


「……何を言いたいの?」


 セラが私を見つめている。どんな顔をするのか楽しみだ。


「お前はもう勇者じゃない。ただの人族だ。良かったな、お腹の子も産めるぞ」


 セラの反応がない。おかしいな。大喜びすると思ったんだが。


 しかも予想に反して、悲し気な顔をしやがった。


「……フェル、言っていい嘘と悪い嘘があるのよ? いくら何でもこんな時に言う? 貴方に私の命を奪うようにお願いしたのは悪かったと思ってるわ。でも、そんな仕返しってないでしょう?」


 この状況でそんなことを言う奴だと思われているのか。そう思われていたことにショックだ。


「そんな陰険な事をするか。お前から勇者の因子を抜き取ったんだよ。だからお前はもう勇者じゃない。勇者じゃなくても神眼は使えるだろ? プロテクトを解除して自分のステータスを見ろ」


「……嘘、なのよね……?」


「自分の目で見ろ。嘘かどうかはそれで分かるだろ?」


 セラは両手を広げて手のひらを見つめた。神眼で自分のステータスを見ているのだろう。プロテクトのせいで見てないが、勇者の称号が無くなっているはずだ。


 称号については能力制限で最初から見えていなかった可能性もあるが、極端に落ちたステータスを見ても納得できるはずだ。


「う、嘘……!」


 どうやらちゃんと分かってくれたようだな。


「これで分かった――」


「お、お腹の子が三ヶ月になってる! 三ヶ月って!」


 自分じゃなくて子供の方を見たのか。そういえば、あの時で二ヶ月くらいだとか言っていたか?


「お前から勇者の因子を抜いたのが一ヶ月くらい前だったからな。その時からお腹の子も時が動き始めたんだろう。今まではアルマが体に栄養が行き渡る様に魔法をかけていたけど、今日から少しずつでも自分で食べろよ。ああ、そうそう、もう勇者じゃないから沢山食べても魔力に変換されない。大食いはやめるんだな」


 説明してやったのに、セラは聞いていないようだ。涙を流して自分のお腹を大事そうに抱えている。


「フェル……私、私……!」


「セラ、お前の悪夢は終わった。今日からお前の新しい人生が始まる。私が嘘をついていないってちゃんと分かっただろ? 嘘つき呼ばわりするなよ? そこ、大事だぞ?」


「で、でも、どうして……? どうして私から勇者の因子が……フェル、貴方、私に何をしたの!?」


「胸ぐらをつかむな。説明してやるから」


 セラの弱くなった腕をそっと掴んで離す。そうしてからセラを見つめた。


「あのあと、イブの研究所にお前を運んだ。そこに勇者や魔王の因子を抜く技術があったんだ……そういえば、空中庭園で一緒にイブが言っていた事を聞いてたよな? 昔の記憶だからちょっと曖昧だけど」


「ええ、覚えがあるわ。でも、あれは危険な技術なんでしょ? 因子を抜かれたら死ぬ可能性が高いって」


「その通りだ。だからいままで使わなかった。セラにもその技術があることを言わなかったしな。でも、セラ、お前、死ぬ気だったんだろ? だから、これに賭けた」


「そう、なの……」


「アビスの計算では人族が生き残れる可能性は一パーセント以下だったそうだ。魔族だと元々が強靭な肉体だから、十パーセントくらいはあったらしいけどな。ただ、人族でも魔族でも弱体化は免れないらしい。それに――」


 ちょっと言いづらいな。よく考えたら弱体化も、それに言おうとしたこともセラの許可を取ってない。


「それに、何? 教えて。知っておきたいの」


「分かった。なら教える。セラ、お前の寿命は本来よりも少なくなった。無理やり因子を体から引き離したから、体に影響があって老化が早くなるって話だ。勇者時代に体を酷使していたのも影響しているようだけど」


「……どれくらいなの? 私は何歳まで生きられるの?」


「おそらく六十歳くらいだろうとのことだ。無茶な事をすれば、もっと早い。その、すまないな」


「なにを……何を言っているのよ! 謝ることなんて何もない! 私はそんなに生きられる! ……あ、いえ、この子は!? この子も老化が早いの!?」


「それはない。因子が埋め込まれていたのはセラの体だ。お腹の子も体内の魔素の影響で不老不死だったが、因子を抜き出しても子供の魔素に影響はないとアビスが言っていた」


「良かった……」


 セラは本当に安堵した顔でお腹をさすっている。


「まあ、そんな訳だ。子供が生まれるまで安静にしているんだな……なにか食事でもするか? 食堂で頼んで来てやるぞ?」


「待って、フェル。例え私が死ぬと言っても、一パーセント以下の技術をフェルが私に使うとは思えない。言ってないことがあるでしょ? 隠してないで全部教えて。これまでに何があったのかを」


「別に隠しているわけじゃない。一度に全部聞かせるのはセラが大変だと思っただけだ。目を覚ましたばかりなんだから無理はするな」


「いいの、聞かせて。私はどうして助かったの?」


 セラの意思は固そうだ。仕方ない。説明しておくか。


「セラが集めたアイツらに感謝するんだな。お前のために色々やって貰った」


「あの子達が?」


「そうだ、お前を助けるために膨大な魔力が必要だった。因子を抜いたことでお前は勇者ではなくなったからな。魔力高炉もなく、強靭な肉体もない。お前の生命を維持するために、膨大な魔力を作り出しながら、治癒魔法をかけ続けたんだよ」


 治癒魔法を使ったのはアルマだ。一週間くらいセラに治癒魔法をかけ続けた。その魔力を供給していたのがルゼ。とはいってもルゼだけじゃ魔力は足らないのでアビスも供給していた。


 そしてアビスの魔力を作り出していたのが、魔族や冒険者達だ。アールが魔族を、スタロやフェレスが知り合いの冒険者に声を掛けてアビスの中で待機してもらった。そういえば、魔術師ギルドやメイドギルドも協力してくれたな。ヴィロー商会も大量の薬を提供してくれたし。


 それと、ナキアが持っている聖剣。あれで精霊を呼び出してセラの体の維持をお願いした。セラの体を精霊化させることで重要器官の維持をしたわけだ。


 それでも助かる可能性は低かっただろう。上手くいったのはセラの普段の行いが良かったんだろうな。


 そんな話をセラにしてやったら、セラは泣き出した。


「みんなに感謝しろよ? お前のために体を張って頑張ってくれたんだからな」


「……違う、違うわよ、フェル。みんなが私を助けてくれたのは、フェルがいたからでしょ? みんな、フェルのお願いだから聞いてくれたのよ。フェルがいなかったら、見ず知らずの私の事なんか誰も助けてくれないわ」


「そんなことはないと思うが、私に感謝するよりも、皆に感謝しろ。私は何もできなかったしな」


 セラは首を横に何度も振る。


「そんなことない! 全部、全部フェルがやってくれたんじゃない! フェル、ありがとう! 本当に……本当にありがとう!」


 セラは泣きながらも笑顔で私に抱き着いてきた。


「気にするな。ほら、あれだ。私達は家族だろ?」


「……そう、そうね、フェル、ありがとう……」


 たっぷりと五分ぐらい抱き着かれた。でも、そろそろいい加減にして欲しい。


「さあ、もういいだろ。お腹の子のためにも体を休めろ。その前に食事か? そろそろ私もお腹が減った」


「ええ、ごめんなさい。あの、でもこれ、夢じゃないわよね? イブのラストエデンを使っているとか……いたた! フェル、何するのよ!」


「つまらないことを言ってるからほっぺたを抓ってやったんだ。痛いんだから夢じゃないだろ? それにラストエデンのように幸せなだけじゃない。これからセラは色々と大変だぞ? 勇者だったときと同じように考えるなよ? 今のお前はまともに剣も振れない状態だからな?」


 おそらく、冒険者どころか普通の人よりも相当劣るだろう。セラはもう勇者ではなく、勇者候補でもない。そして因子を抜くことで、体に癒せないダメージを負った。普通の人よりも困難な人生が待っている可能性が高い。


「そうね、夢じゃない。これは現実、そして悪夢でもないわ。ありがとう、フェル」


「お礼をするなら食事を奢れ。次はお前が奢る番だからな?」


「そうだったわね。それも覚えているわ。いくらでも奢るから安心して」


「楽しみにしてる。それとは別にして、セラはなにか食べた方がいい。なにか体に優しそうな食べ物を頼んで来てやるからちょっと待ってろ」


 椅子から立ち上がって、外へ出ようとしたら、セラに手を掴まれた。


「どうした?」


「……もう一つ聞いておきたいことがあるの」


「なんだ?」


「抜き取った勇者の因子はどうしたの?」


 ちょっと話が長すぎたな。そこに気付く前に外へ出たかったんだが。


「……それはアビスに頼んだからどうなったかは知らない」


「嘘ね。フェル、貴方とは四百年近く一緒にいたのよ? 腕を胸の前で組んでいるのは言いたくないことがある時……言って。何を隠しているの?」


 そんな癖があるとは知らなかった。念のため腕を組むのは止めよう。


「何も隠してない。詳しくは知らないが、因子はアビスが破棄したと思うぞ」


「それはあり得ないわ。そんなことをしたら、私じゃない誰かが勇者となって不老不死になるはず。貴方がそんなことをさせる訳がない。それに抜き出された因子がむき出しのままずっと残るとも思えない……まさか……!」


 気付いたのか。察しが良すぎるのも問題だな。


「フェル! 貴方、まさか勇者の因子を自分に……!」


「……これが一番いい解決方法なんだ。不老不死なんか一人でいい。こんなくだらないシステムの犠牲は私だけで十分だ」


「なんて……なんてことを……! ごめんなさい……ごめんなさいフェル……!」


「泣くな、それに謝らなくていい。言ったろ? そういう時は、ありがとう、だ。大体、もともと不老不死の私が更に不老不死になっただけ。なんの変化もない。そうだろ?」


「でも、でも……!」


 確かにちょっと問題はあった。魔王に勇者の因子を入れたからなのか、それとも魔族に勇者の因子を入れたからなのか、体が拒絶反応を起こして、激しい痛みに襲われた。そして私も三週間ほど眠ってしまう事になった。でも、今は何の問題もない。


「私は魔王様が目覚めるのを待つ。セラが言った通り、四千年でも一万年でもな。だから問題ない。それに魔王でもあり、勇者でもあるなんて恰好いいだろう? こう闇と光を持っている感じは悪くないと思うが、どうだ?」


 ちょっとだけチューニ病のようなセリフだな。


 でも、言った甲斐はあった。セラが笑ってくれている。


「私はフェルにどれだけの恩義を感じればいいのかしら? ……いいえ、私だけじゃないわね、私の子孫たち全員がフェルに恩義を感じないと駄目ね。フェルの事をずっと伝えさせるわ。私達を救ってくれた魔王、そして勇者だって……」


「勘弁してくれ。私は魔王でも勇者でもない。ただの魔神だ。子供にはそう伝えておけ」


「……ふふ。ええ、そうするわね……それじゃ私は少し横になるわ。ちょっと疲れたみたい。でも眠るのが怖いわ。これが夢だったら耐えられそうにないもの」


「まだ言ってんのか。大丈夫、これは現実だ。魔神である私が保証してやる。寝るなら食事は後だな。何か用があれば机の上にあるベルを鳴らせ。ヘレンが来てくれる」


「ええ、分かったわ」


 セラにシーツをかけてから、部屋を出ようとしたら、またセラに止められた。


「まだ何かあるのか?」


「ちょっと言いたいことがあるだけよ……前にも言ったけど、貴方が魔王で本当に良かったわ……ありがとう、フェル」


「……ああ、私もセラが勇者で良かった。最初は嫌な奴だと思ってたけどな。それじゃ無理するなよ」


 セラが笑顔で頷くのを確認してから部屋を出た。


 これでセラは大丈夫だろう。弱体化しているとはいえ、普通に生活する分には問題ないし、アビスやアルマの話ではお腹の子も順調だと言っていたからな。


 セラは目を覚ましたし、今のところ何の問題もない。今日くらいはゆっくり食事を楽しもう。


 食堂の方へ歩きだしたら、ルゼとアルマが来た。


「おーい、師匠、メシ食おうぜ、メシ!」


「教皇様、今日は私と食べましょう! ところで日記はどこにありますか? いえ、世間話ですけどね」


「お前ら、ちょっとうるさい。セラがちょうど眠ったところだ。うるさくするな」


「目が覚めたのか! よかったなぁ!」


「だからルゼさん、教皇様はうるさくするなって言ってるじゃないですか。これだから裏切者は……!」


「おう、アルマ、人を裏切者呼ばわりするんじゃねぇよ。大体、初代様を裏切者呼ばわりしてたのは、聖母の奴が勝手にそう思ってただけじゃねぇか」


「聖母の奴じゃなくて、聖母様と言ってください! 料理よりも、天罰を食らわせますよ!?」


「だからお前らうるさい。ほら、食堂へ行くぞ。セラが目を覚ました今日くらいは奢ってやるから好きな物を頼め」


「師匠は話が分かるな! ゴチになるぜ!」


「ご相伴にあずかります!」


 二人とも急に喧嘩をやめて、食堂の方へ歩き出した。お前ら本当は仲いいだろ?


 まあいいや。さあ、今日は昼から全メニュー制覇だな。

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