閑話 聖人教のトップ
暗い森の中を一台の馬車が走り抜けていく。その馬車の小窓からアルマは外を眺めていた。
何かを見ているわけではない。アルマは流れていく木々を見ながら心を落ち着けようと必死だったのだ。
向かっているのは迷宮都市。そこには聖母が建てた孤児院がある。本来の目的は別にあるが、アルマにとって迷宮都市へ行くことは聖地巡礼。はしゃぎたい気持ちを押さえて深呼吸を繰り返した。
その様子を見かねたのだろう。護衛としてついて来た女性は正面に座るアルマを優しく見つめた。
「アルマ様。落ち着かないようですね?」
アルマは少しだけ体を震わせてから、女性の方を見て微笑んだ。
「はい、聖母様が建てた孤児院へ行けるのが嬉しくて、いても立ってもいられないのです。修行が足りず申し訳ないと思っています」
「ふふ、それは修業が足りない訳ではないですよ。聖母様を崇めていれば当然です。かくいう私もアルマ様の護衛という身でありますが、役得だと思っていますから」
「なら一緒ですね?」
アルマと護衛の女性は同時に笑い出した。
ひとしきり笑った後、アルマ達は話を始めた。馬車が迷宮都市に着くのにはまだかなりの時間が掛かる。それまで話をして時間を潰そうと思ったのだ。
本来なら聖母の話をするところだが、聖都からここまで来るのにもかなりの日数をかけていて、聖母の話題は尽きていた。当然、聖母の話ならいくらでもすることができるが、話題を変えてみようとアルマは考えた。
「迷宮都市とはどういう場所なのでしょうか。聖母様が建てた孤児院やアビスという人界最大のダンジョンがあることは知っているのですが、実際に行くのは初めてなのです」
アルマは聖都からほとんど出ない。出たとしても出身地のレメトか聖都周辺の町だけだった。迷宮都市へ行くという話も決まってから数日で出発したので聖都では情報を得られなかったのだ。
「そうですね、イメージとしては冒険者が多いです。男なら一度はアビスで一攫千金の夢見る、といわれていますからね。それに店が多いです。迷宮都市は人界の中心と呼ばれているほどで、あらゆる商会がそこに支店を出しています」
「支店、ですか」
迷宮都市は土地の値段が高いと聞いたことがあった。それはこれ以上都市を広げないと決めているかららしい。どうやらエルフが絡んでいるようで、それを頑なに守っているとのことだった。
なので、迷宮都市で土地を手に入れるには順番を待つしかなく、誰かが迷宮都市を出て行かない限り土地を手に入れることはできない、と聞いたことがあった。
アルマは本の検証、そして孤児院へ行くことを目的にしているが、他にも目的がある。それは初代魔女とニャントリオン創始者の子孫から聖母様を裏切った理由を問いただす、という目的だ。
魔女の子孫に関しては本の検証で直接会うことができる。だが、ニャントリオン創始者の子孫は市長の奥さんであり、直接会う可能性は低い。迷宮都市にあるニャントリオンへ直接乗り込むことも必要だ、と考え出した。
「ニャントリオン、という店を知っていますか?」
女性の顔から笑顔が消える。明らかに不快そうな顔だ。だが、本人がそれに気づいたようで、すぐに笑顔に戻った。
「申し訳ないです。アルマ様の前でこのような顔をするとは――」
「いえ、理由は分かります。聖母様を崇めていれば当然です。詳しくは言えませんが、今回の仕事は色々な調査も含まれていまして、ニャントリオンの事を知っておきたいと思ったのです」
「そうでしたか。ですが、私も詳しくは知らないのです。服飾の大ブランドであること、そして本店が迷宮都市にあること、という情報だけです」
「迷宮都市に本店があるのですか?」
「はい。大きな商会も迷宮都市に本店を出すのは難しいのですが、ニャントリオンだけは本店となっています。なんでも、迷宮都市が村であった頃から存在していたとか」
「迷宮都市が……村?」
アルマは首を傾げる。迷宮都市と言えば、聖都はもちろん、帝都や王都すら凌駕する大きさを誇る都市。それが村だったという話を初めて聞いたのだ。
「ご存知なかったのですか? なら少し迷宮都市の事を話しましょうか?」
アルマは「お願いします」と頷いた。ニャントリオンがその頃からあるなら、何かしらの情報を得られるかも知れないと思ったからだ。
「迷宮都市の前身は小さな村だったそうです。五、六十人程度の人しか住んでおらず、どの国にも属していなかったとか」
「それは随分と小さな村ですね。それに、当時、境界の森と言えば狂暴な魔物が多くいた森と教わりました。よく無事だったという感想しかないのですが」
「その通りです。ですが、その村はある時を境に急激に繁栄することになるのです」
アルマは身を乗り出した。既にニャントリオンの事は頭になく、迷宮都市がどうなったのかを知りたいという好奇心だけになっていたのだ。
「繁栄した理由はよく分かっていません。アビスというダンジョンができたからではないか、というのが一番有力ですね」
「なるほど。アビスのおかげで冒険者が訪れるようになった……そういう事ですね?」
「そうなのですが、それだけでは説明できないこともあります。当時、国家間の争いも良く行われていましたし、種族間の交流も少なかったのです。ですが、そんな状況にも関わらず、その村へあらゆる種族が集まりだしたのですよ」
「アビスへ来たのではないのですか?」
「当時、交流がないはずの種族がアビスの存在を知る術がないのですよ。ドワーフは人族との交流があったので分からないでもないのですが、エルフやドラゴニュートは今よりも閉鎖的でしたからね。それに獣人に至っては当時迫害されていました。村へ来れるはずもないのです」
アルマは心の中で頷く。千年前と言えば、大転換期と呼ばれる時代だ。人界のあらゆる状況が大きく変化した時代。その原因は分かっていないが、それが無ければ人界は滅んでいたとも言われている。
「ですが、学者の間で一つだけ面白い仮説があるのです」
女性は話したそうにアルマの方へ身を乗り出してきた。笑顔から察するによほど面白い仮説なのだろう。アルマは気になって、じっくり聞く体勢になる。
「当時、聖母様もその村に住んでいたらしいのです。他種族がその村を訪れたのは聖母様のご威光ではないか、という仮説があるのですよ」
「本当ですか!?」
初めて聞く聖母のエピソードにアルマは興奮して大声を出してしまった。その声に御者が驚いて声を掛けてきたほどだ。アルマは御者に謝ってから、改めて話を聞くことにした。
「すみません。興奮しすぎてしまいました。ですが、その話は本当ですか? まず、聖母様がその村に住んでいた、というところからなのですが」
「それは間違いないでしょう。さっきも言いましたが、迷宮都市で土地を買うのは難しいのです。ですが、迷宮都市には聖母様が建てた孤児院があります。それは聖母様が迷宮都市となる前の村に住んでいた、という理由になりませんか?」
アルマはなぜその考えに至らなかったのだろうと後悔した。聖母様は聖母となる前の情報が極端に少ない。それを知っていくことがアルマの趣味なのだ。
そもそもアルマは迷宮都市が村だったことを知らなかった。孤児院に関しても迷宮都市という大都市だから作った、という程度にしか考えていなかったのだ。ちょっと考えれば、あり得ないという思いに至るはず。アルマは自分の迂闊さを呪った。
「私はなんて愚かなのでしょう。聖母様が、大都市だから、という理由で孤児院を作るわけがないのです。その考えに至らなかった自分が恨めしい……」
「アルマ様、言っておきますが証のある話ではないですよ? 聖母様が聖母となられる前は邪教に所属していて、それを内部から滅ぼした、という程度の話しか伝わっておりませんから」
「それはそうですが、それ以外に聖母様が迷宮都市に孤児院を作る理由がないと思います。その考えに至らなかったことが無念です」
アルマは大きくため息をつき、下を向いた。
アルマにとって聖母とは信仰。その教えだけでなく生き方までも真似したい、そんな風に考えて生きてきた。自分はまだまだ聖母様のことを理解していないと思い、気持ちが沈んでしまった。
そんなアルマを護衛の女性は微笑ましく見ている。
「アルマ様。顔をお上げください。聖母様はどのような事もお許しくださいます。その聖母様の聖女たるアルマ様がそのような事で落ち込んではいけません」
「しかし、聖母様の事を誤解していたようで、その、悲しいのです」
「誤解していて考えを改められたのならそれでいいではありませんか……そうだ、もう一つ聖母様の事を話しましょう。それで聖母様の事をもっと理解しませんか?」
アルマは顔を上げる。聖母様の事なら何でも知りたい。また、なにか自分の勘違いが分かるような内容になってしまうと心苦しいが、知らないままでいることの方がもっと心苦しい。
「ぜひ教えてください」
「分かりました。では、聖母様には親友がいたことをご存知ですね?」
「はい。ですが、その内の初代魔女とニャントリオン創始者は裏切りものです」
「そうですね、ですが、それは置いておきましょう。聖母様が死の間際まで真の親友だとおっしゃっていた方がいるのです。ご存知ですか?」
「真の親友ですか? そんな方がいらっしゃったのですか?」
アルマは首を傾げる。確かに聖母様には多くの親友がいた。
トランの王位を取り返した簒奪王や、メイドギルドの最上位アスフォデルスへ至った唯一のメイド、それに何人かのアダマンタイト級冒険者、思いつく親友は何人もいる。だが、真の親友というのが誰なのかは知らない。
アルマは是非とも聞きたいと、目で答えを促す様に女性を見た。その行動に護衛の女性は頷く。
「燃えるような髪をした魔族の女性、それが真の親友だそうです」
「魔族、ですか?」
今であれば魔族は珍しくない。温和で規律正しく、よほどの理由がない限り人族を襲うことはないだろう。だが、千年前の魔族と言えば、恐怖の代名詞だと教わった。そんな時代に人族と魔族が親友になれるのだろうか、とアルマは不思議に思った。
「にわかには信じられませんが、具体的な証拠があるのですか?」
「聖母様の死の間際にそう言ったのを聞いた方が何人かいます。あと、聖母様がその方に宛てた手紙があったそうですよ」
「聖母様の手紙! それはどこに!?」
そんなものがあるならぜひ見たい。アルマはまた興奮状態になった。それを護衛の女性は両手でなだめる。
「落ち着いてください。残念ながら現物はありません。ただ、複数の方がそれを見たそうです。邪教にさらわれた聖母様がその魔族の方に助けて欲しいと手紙を送ったとか。聖母様がその手紙の中で自らその方の親友だと名乗り、お願いをしたそうですね。その手紙以外に親友に宛てた手紙はありません。聖母様にとって親友の中の親友だったといえるでしょう」
「聖母様が、そのような手紙を……」
「はい、それに邪教を滅ぼしたのは聖母様ですが、そのお仲間に魔族がいたという話はご存知ですか?」
「もちろん知っています」
アルマは大きく頷く。それは知っていた。
邪教を滅ぼすときに聖母様を手伝った何人もの仲間。その中に魔族が含まれるのは有名な話だ。だが、それが聖母様の親友だったというのは初耳だった。
邪教は魔族を殺す方針を打ち出していた。当時の状況を考えたら当然だが、その邪教はそれ以外にも極悪な事をしていた。そのために聖母様と魔族が手を組み、戦ったとされている。
「その二人が親友だったわけです。当時の魔族と言えば、人族の敵。ですが、聖母様はその敵と親友になられた。なんと素晴らしい事ではないですか」
「はい、全くその通りだと思います。聖母様の素晴らしさが分かるお話、ありがとうございます」
アルマはいい話が聞けた、そう思ったが、ふと別のことを思い出した。
「聖母様の親友は魔族で燃えるような赤い髪なのですか?」
「そうですね、当時の文献から見てもそのように書かれているらしいです」
「聖人教のトップである教皇様もそうですよね? 赤い髪で魔族……」
「アルマ様は教皇様に会ったことがあるのですか? 実を言うと私はないのです。もしかすると教皇はその方の子孫なのかもしれませんね。もしそうなら聖母様の話を知っているかもしれません。ぜひ話を聞きたいものです」
アルマはその言葉に同意した。
アルマは確かに教皇に会ったことがある。それに三日間、不眠不休で治癒魔法を教わったのだ。
しかし、当時は死に物狂いで何とも思わなかったが、いま思うと不思議だ。知ったのは自分が聖女に任命された時だが、十五、六くらいの女性が教皇なのだ。あり得るのだろうか。
そう思ったのだが、護衛の言葉でアルマの思考は霧散した。
「アルマ様、迷宮都市へ着いたようです。まずは孤児院へ向かいますか?」
「はい、迷宮都市での仕事は数日後ですから、先に孤児院へ行きましょう」
アルマはさっきまで考えていたことは忘れ、聖母が建てた孤児院へいけることに嬉しさで頭がいっぱいになった。
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