閑話 師匠
全体的に黒い服を身につけた少女が脇目も振らずに歩いている。
彼女の名はルゼ。人界で最も魔力が高い女性、魔女の称号を持った少女だ。
ここは商業都市リーン。ルゼは魔術師ギルドの本部がある魔道都市エルリガからこの都市へやって来たところだった。
迷宮都市へ行く途中ではあるが、ルゼにとってここは聖地。仕事以外でエルリガを離れないルゼにとって、この都市へ来れるチャンスは逃せない。
目的地はエリファ雑貨店。普通の雑貨店だったが、ある時を境に有名になり、ここで揃わない物はない、とまで言われている巨大な店だ。ルゼははやる気持ちを押さえてそこを目指していた。
ルゼは暗記できるほど小説を読んだ。恋愛魔導戦記が初代魔女をモデルにしているなら、モデルとなった町や人もいるはず。ルゼはそう考えて独自に調査したのだ。そしてこの都市に当たりをつけていた。
初代魔女は貴族にさらわれた女性を助けるために親友と町へ乗り込み、そこで運命的な出会いを果たす。
(やべぇ、想像しただけで震えがくる)
ルゼは中央広場でそんなことを心の中で呟いた。そしてその広場から見えるエリファ雑貨店の方へ足を踏み出す。
聖地の中でもっとも重要な施設、エリファ雑貨店。ここで初代魔女は勇気が出るものを買った。具体的にどういう物かは書かれていない。だが、身につけるようなものだとは分かっている。
(何かは知らねぇが、見たら分かるかもしれねぇ。俺にも勇気が必要なんだ)
ルゼの思い人、冒険王フェレス。
今回、アビスから見つかった本の検証でそのフェレスも来ることになっている。これはチャンス。付き合うとまではいかなくてもいい。せめて念話のチャンネル交換をして、いつでも連絡を取り合えるような仲になりたいとルゼは考えていた。
そしてそのためには勇気が必要。素の状態でそんなことができるわけがない。何の備えもないまま会ったとしたら魔力が暴走するに決まっている。ならば、初代魔女のように勇気を貰うべき。ルゼの歩く速度がさらに上がった。
エリファ雑貨店に足を踏み入れたルゼは周囲を見渡した。地上三階、地下一階の大商業施設だ。
有名なのは木彫りの置物や装飾品。安い物から高い物まで何でもそろっている。だが、この店を有名にしたのはそれではない。
この店は迷宮都市以外で唯一エルフと取引がある店だった。エルフが自らこの店に赴き、エルフの森で採れる食べ物を木彫りの置物や装飾品と交換していく。エルフの森で採れるものは希少だ。売ってくれと人界中の商人が殺到した。
ルゼは高価な値段が付いた果物を見た。おそらくこれがエルフの森で採れる食べ物なのだろうと考える。が、直後にルゼは首を傾げた。目に入った赤い果物は、ルゼの師匠がいつも食べているものだったからだ。
値段を見るとかなり高い。そう簡単に手が出せる物じゃない。だが、師匠はそれを自分に振る舞ってくれたこともある。師匠はいつも同じ服を着ていて、正直なところお金を持っていないと思っていた。だが、目の前にある果物は自分でも躊躇するほどの値段だ。
ルゼはどういう事だろうと考えようとしたが、一瞬でやめた。そもそも師匠は謎が多い。普段何をしているかも想像できないのだ。後で聞けばいいと思いながらルゼは別の階を目指した。
着いた階層は服飾関係の商品が置かれているエリアだ。ルゼは勇気の出る物は服ではないかと当たりを付けていた。
小説内で勇気がでる物は具体的に書かれていない。だが、それを「はいている」という表現があったのをルゼは見逃さなかった。考えられるのはズボンやスカート。あるいは靴下や靴なども考えられる。そして大穴で下着。
見れば分かるかるかもしれない、という期待を込めてルゼはそれらを見て回った。
数分後、ルゼは困惑していた。下着の売り場で売り文句が「あなたの恋に勇気百倍」と書かれている物があったのだ。でも、その下着はどう見てもサソリだ。こんなものを身につけていたら勇気よりも羞恥が勝る。ありえないな、と思ってルゼはその場を離れようとした。
そこへ女性の店員がルゼに近づいた。
「お客様、こちらの商品が気になりますか?」
「あ? いや、そういう訳じゃねぇんだけど」
「こちらは恋する乙女に絶大な効果をもたらすと昔から言われている下着なのです。かの有名な初代魔女様も愛用し、そのおかげで意中の人と結ばれたのだとか」
ルゼにとってまさかの情報が飛び込んできた。そしてルゼは頭をフル回転させる。
数年前まで膨大な魔力を制御することができず、ほとんど人に会うことができなかった。そのため、ルゼの個人情報はかなり隠蔽されている。自分の趣味趣向、ましてや恋愛魔導戦記が愛読書などとは家族や師匠以外知らない。この店員も、自分が初代魔女に憧れている、という情報を知り得ることはない。
店員はそんなことを知らずに自分へ言ったのだ。もしかすると信憑性の高い情報なのでは、と、ルゼは食いついた。
「本当に初代魔女が愛用していたのかよ?」
「残念ながら証のある話ではありません。ですが、それにあやかりたいというお客様は多く、こちらの商品は超ロングセラーとなっておりますね」
一瞬だけ買おうかとルゼは考えたが、さすがにそれはないだろうと考えを改めた。勇気は欲しい。だが、こんなものをはくこと自体に勇気が必要だ。自分には無理、と買う考えを切って捨てた。
「悪いが買うつもりはねぇぜ?」
「それは残念です。お客様には必要だと思ったのですが」
「なんでだよ?」
「お客様は恋をされていますね?」
店員に見透かすように見つめられ、ルゼの心臓が跳ね上がった。している。ものすごくしている。
一般的に見てフェレスは強面のタイプ。イケメンには程遠い。最初に会った時は好感度が欠片も無かった。だが、遺跡へ行くために一緒に行動をしていると、強面の顔とは裏腹にフェレスの優しさが分かった。
もともとルゼは人との付き合いが薄く狭い。それもそのはず。ルゼのあまりの魔力の多さに、化け物を見るような目で見られる事が多かったのだ。そんな相手と仲良くすることは無理。魔族よりも魔力が多いことを考えたら、それは間違いではないだろうとルゼは思っているが、多感な年ごろであるため、やはり傷ついた。
だが、フェレスはそんな目をしなかった。むしろ、フェレスがルゼを怖がらせているんじゃないかと、事ある度に大丈夫かと気遣ってくれたのだ。家族と師匠以外でそんな目をしなかったのが初めてだったので、それだけでも好感度が上がった。
そして恋愛魔導戦記でも出てくる、ルゼにとっての憧れ、壁ドン。これを食らってしまった。
遺跡へ行くためにとあるダンジョンを通る必要があったのだが、そこで魔物に襲われた。急に襲ってきた魔物からフェレスがルゼを庇ったのだが、そこで壁ドンされた。
ルゼは落ちた。恋の奈落に一直線。這い上がることは不可能。その後、どうやって依頼を達成したのかも覚えていない程にルゼは恋に落ちた。
「お客様、勇気とは誰もが持っているものなのです」
店員がルゼに優しく諭す。ルゼは店員を見つめた。
「ですが、勇気を出せるかどうかは、また別の話。こちらの下着は勇気百倍と書かれていますが、実はそうではないのです。本当は持っている勇気を百パーセント出すための装備なのです」
「勇気を百パーセント出す……」
「これをはく、それにも勇気が必要でしょう。ですが、これをはく程度のことで躊躇するような勇気なら、意中の男性に告白するなど夢のまた夢。最後には男性が別の女性と結婚するところを遠くから見るような未来しかありません」
ルゼはぐらついた。そんな光景を見たら、全魔力を使ってメテオストライクする。
「ここが最初の勇気を出す場所だと考えればいいのです。勇気を出す装備を買う勇気、出されますか?」
ルゼは店員の言われるままに下着を購入した。
「お買い上げありがとうございます。ですが、そんなお客様にもっと耳寄りな情報がございます」
「耳寄りな情報?」
「男を落とすテクニックでございます。しかも一撃必殺」
ルゼがごくりと喉を鳴らす。そんなテクニックがあるなら是非とも聞きたい。ルゼは店員を見つめた。
「教えてくれるのか?」
「お客様、耳を拝借」
店員は周囲を窺って人が近くにいないことを確認すると、ルゼの耳に口を寄せた。
「……裸エプロンでございます」
来た。師匠に教わった恋愛の極意、裸エプロン。やはり師匠の言うことは間違いないのだ、とルゼは確信した。
「お客様のその表情。既にこの情報は得ていましたか」
ルゼは軽く頷く。
「これも証のある話ではないのですが、初代魔女様も裸エプロンで意中の男性を落とされたのだとか」
ルゼにとってそれは初耳だった。すくなくとも恋愛魔導戦記には書かれていない。何十人もの暴漢に襲われそうになったとか、アダマンタイトの金属板が倒れて来たとか、意中の相手の妹がラスボスだったことしか書かれておらず、裸エプロンは無かった。
「ただ、初代魔女様は純粋な裸エプロンではなく、アレンジしたという話があります。お知りになりたいですか?」
裸エプロンのアレンジについてはルゼも考えた。だが、どうアレンジすればいいのかは思いつかなかったのだ。ルゼは店員を見つめて頷く。
「どうやら初代魔女様は先程の下着の上にエプロンだけを装備したようです。その場で結婚を申し込まれるようなことはありませんでしたが、その行動がボディブローのようにじわじわと男性の心を掴んでいったのだとか」
店員が流れるような動作でエプロンを取り出した。
「お客様はまだお若い。肌を晒すのに抵抗もあるでしょう。勝手ながら少し大きめのエプロンを用意させていただきました。一撃必殺ではなく、初代魔女様のようにじわじわと相手を追いつめる方法が良いかと思います。いかがでしょう? 買われますか?」
ルゼは満面の笑顔をしている店員にお金を払い、商品を亜空間に入れて一息ついた。
まだ装備したわけではないが、何となく勇気を出せる気がする。下着一つでここまで気分が高揚するとは思っていなかった。ルゼは晴れ晴れしい気持ちで店を出た。
それにしても、とルゼは考える。師匠の言う通り、裸エプロンが効果的なのが分かった。そういう事には疎そうなのに的確なアドバイスだったんだなと、改めて師匠を尊敬した。
たまに修行で無茶を言うし、「お前の名前と喋り方が似ている奴を知っていてな、あの二人が合わさった感じだと思うとイラッとする」とか理不尽な事も言うが、色々な事を教えてくれる師匠をルゼは好きだ。
(見ていてくれ、師匠。勇気を出してアイツの念話チャンネルくらい聞き出してやるぜ!)
ルゼは決意を新たにして、今日泊まる宿を探し始めた。
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